武士が農民から搾取した?マルクス階級闘争史観。
教育学博士の若狭和朋氏は高校時代、日本史の教師が江戸時代に武士が農民や町民から搾取したと教えられたそうです。
先生 「搾取により百姓は米は満足に食べれなかった・・・」
若狭氏「誰が食べたのですか?」
先生 「支配階級の武士や大名だ」
若狭氏「何パーセントぐらいいたのですか・・・武士たちは」
先生 「6%くらいかな・・・」
若狭氏「? 武士や大名の胃袋は大丈夫でしたか」
先生 「なにを?」
若狭氏「米は食べ物だから、酒や酢になる分を引いても、結局は食べるしかないでしょう」
先生 「理屈を言うな・・・」
私も子供のころ武士や大名などの支配階級によって農民は苦しめられたというようなことを教えられました。「武士は農民を生かさず殺さず」という話も聞いたことがあります。年貢など五公五民、六公四民というように重税だったとも教わりました。
しかし、実際は江戸時代の初期に検地が終了しており、ここで村高が確定しています。この頃の幕府領400万石のうち年貢米は150万石前後ですので、年貢率は30~40%となります。そして江戸時代にも農業は発展しているわけで、生産性の向上、収益性の高い商品作物の導入、農産加工業の進展、農民の賃金収入などがあり、村高は固定されているわけですので、実質年貢率は十数パーセントから二十パーセントぐらいになっています。現代の一般サラリーマンの税金とほとんど変わりません。
結局、われわれは西洋の貴族が農民を搾取したというような西洋型封建制度をマルクス主義史観を通して、武士も同じだと教えられたということなのでしょう。この「ウソ」は戦後に作られたものだと思います。
以前「武士の家計簿」という映画がありましたが、その原作を見ますと、歴史学者の磯田道史氏が加賀百万石の会計係という大藩のエリートの猪山家の36年間の家計簿を分析しています。猪山家当主の直之の一年間のお小遣いがわずか19匁。現在の価値に換算すると7万2千円です。草履取りの家来は衣食住保障され、年に給銀83匁プラスお使い代などもろもろもらっており、ご主人より懐具合がいい。武士の家の使用人である下男下女のほうがかえって豊かな商業や農家だったりしています。正月には武家の女性たちが下男下女を逆にもてなしたりしています。
この武士の姿は外国人も指摘して、財力も権力もひけらかすことのない日本の武士が農民や町人に敬意を払われていることに驚きを覚えています。
ちなみに江戸時代は「士農工商」という身分制度があったといわれていますが、これは支那の古い書物の呼び方で「武士」「町人」「百姓」の3つが正解のようです。職業による身分の区別であっても血統ではなく、きびしいものではありませんでした。武士から百姓になるものもいれば、百姓から武士になるものもいました。また、漁業や林業も百姓であり、百姓=農民ではない。町の鍛冶屋は町人ですが、村の鍛冶屋は百姓です。百姓とはそもそもはたくさんの姓という意味であり天皇から姓を与えられた公民の総称です。
なんだか随分ウソ教えられてきました。江戸時代に農民一揆などありましたが、体制破壊が目的ではありません。江戸時代は権力分散型社会であり、武士は特権階級でしたが財力はなく、町人に財力があり、百姓は天皇の権威の下に多数派として存在していたのです。そのため日本では西洋のような「革命」は起こりませんでした。
参考文献
朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
海竜社「国家への目覚め」櫻井よし子・田久保忠衛(共著)
小学館新書「明治人の姿」櫻井よし子(著)
自由社「日本人の歴史教科書」
小学館「天皇論」小林よしのり(著)
新潮新書「武士の家計簿」磯田道史(著)
講談社現代新書「貧農史観を見直す」佐藤常雄・大石慎三郎(共著)
添付画像
日下部金兵衛の「稲刈り」(PD)