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そこには日本の精神である「規律・誠実・勤勉」が掲げてあった・・
かつて日本が統治した国というとどこの国を思い浮かべるでしょう?
台湾や朝鮮という方が多いでしょう。しかし、日本は第一次大戦後に、ドイツの植民地であった南洋諸島を委任統治することになりました。この最南西端にパラオ諸島があります。
1885年、パラオはスペインの植民地になり圧政と虐殺、天然痘で6万人の人口が6000人にまで激減していました。1899年にはドイツに売却されましたが、スペインと同じようにパラオ人には同じ教育を与えず、インフラ整備もしない、搾取と略奪のひどい植民地政策でした。
第一次大戦後のパリ講和会議でパラオは日本の委任統治領になりました。日本は学校や病院、道路などのインフラ整備を行い、住民の生活向上に力を入れ、特に教育は日本と同じ教育を行い、人種差別のない政策を行いました。これによりパラオに優秀な人たちが増えました。
神輿を担ぐパラオの人たち
終戦後、パラオはアメリカの統治となりました。アメリカは日本を否定し、二宮尊徳像や神社を破壊し、日本文化を破壊しました。そして「日本人は残虐で多くのパラオ人を虐殺した」と学校で教えたのです。
しかし、パラオ人にはそれは通じませんでした。日本統治を経験した長老たちが「日本は素晴らしい国だ。日本の統治が一番よかった。何より日本人は皆正直で嘘をつかず勤勉で、いざという時には潔く立派であった」と言い、アメリカのデタラメな嘘に激怒しました。
パラオの長老たちは日本を「内地」と呼ぶくらい親日です。パラオ400年間のうち30年間に過ぎない日本の統治時代が一番よかったと長老たちは言いました。特に長老たちに強い印象を与えたのは、ペリリュー島やアンガウル島を守るために、大軍でやって来た米軍を相手に玉砕するまで戦ったことです。その勇猛果敢な戦闘ぶりに心から敬意と感謝をしていました。平成6年10月1日にパラオは独立しました。
パラオが独立時してやったのが神輿担ぎでした。
昭和52年、パラオのコロールからバベルダオブ島に架けられる橋を韓国の建設会社が鹿島建設の半額で落札しました。この橋は完成直後から中央部がへこみ、崩落の危険性が言われていました。日本やイギリスの調査会社が「陥落する」と結論を出したために補強はしましたが、手抜き工事のため結局は平成8年に橋は真っ二つに折れて崩壊しました。
この橋は空港へ向かう唯一の道路であり、橋に電気・水道・電話のライフラインが埋設されていたため、全てが遮断され、コロールの町の機能は完全に麻痺しました。クニオ・ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発令しました。
クニオ・ナカムラ元大統領
パラオは補償を韓国企業に求めようにも既に解散しており、韓国政府に救いを求めると「関係ない」と突き放されました。パラオで建築費用を捻出するのは不可能でした。そこで手を差し伸べたのが日本でした。平成9年、日本は無償援助で工事は鹿島建設が請負い、平成14年に完成しました。これは「日本パラオ友好の橋」と命名されました。
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