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多くの場合、Yahooブログ記事の上限である5000字に近くなり、場合によってはそれでも足らずに分割して記事をアップしている当ブログだ。偶にはシンプルに行こう。
【問題】 以下の文章を読み、明らかな誤りである部分を抜書きせよ。
【日経コラム】春秋 2014/3/3付
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO67653960T00C14A3MM8000/
第2次大戦も末期、一般人を巻き込んだ空襲が本格的に始まったのは、終戦の年の3月だった。10日に東京、数日後に名古屋や大阪と、軍事施設だけでなく普通の街が火に包まれていく。ある程度予想されたにもかかわらず、農村や郊外へと避難した住民は少なかった。
▼ 最近出版された「検証防空法」という本で、理由の一端を知った。消火活動に従事させるため避難を事実上禁止し、違反すれば懲役か罰金を科していたのだ。法律にこうした決まりが盛り込まれたのは東京大空襲の4年前。真珠湾攻撃と同じ年だ。「爆弾にあたって死傷する者は極めて少ない」といった手引書も出ていた。
▼ 同書によれば、戦意喪失を避ける目的も大きかった。空襲を受け郊外に逃げたら、食料配給を止めると言われて街に戻り、次の空襲で家族を失う。そんな体験をした人もいた。NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」にも、「焼夷(しょうい)弾が落ちたら、消火しようとせず逃げろ」と指導した市役所職員が逮捕される場面があった。
▼ 東京大空襲などがあった3月には長らく、多くの人々が戦争の悲惨さを語り継いできた。3年前からは、震災とその犠牲者に思いをはせる季節にもなった。終戦から70年近くがたち、直接の体験者が減っていく。しかし何が起こり、それがなぜ起きたのかを調べ、伝えていく大切さはいまも変わらない。震災も同様だろう。
【解答】「「第2次大戦も末期、一般人を巻き込んだ空襲」
さて、如何だろうか。
当該日経コラムは、「第2次大戦末期の空襲」を取り上げ、「避難を事実上禁止した大日本帝国」を批難しているが、上掲コラム中にもある通り「消火活動に従事させるため」と言うのもさることながら、都市はそのまま生産拠点でもあり、「勝手な都市住民の避難=流民化」は経済上も治安上も問題あるのだから、「避難を事実上禁止した大日本帝国」にも少なくとも一理はある。とは言え、この点は大日本帝国と上掲日経コラムトで「議論の分かれ得る処」であり、「明らかな誤り」とは言い難い。
上掲問題文の通り、「明らかな誤り」と言い得るのは、上掲東京新聞コラムの章題にした部分。即ち、
【解答】「第2次大戦も末期、一般人を巻き込んだ空襲」
である。
何故ならば、一般人は「軍人・軍事施設に対する爆撃に巻き込まれた」のではなく(*1)、「爆撃目標として狙われた」からである。戦術爆撃ならぬ戦略爆撃とは、軍人よりも民間人、軍事施設よりも民間の生産施設・流通施設を標的とする事で、「一定の自己防衛能力を持つ軍人・軍事施設を攻撃する」よりも容易に戦争に勝とうと言う方法。広島・長崎に対する都市核攻撃も、その延長上にある。第1次大戦当時は「恐怖爆撃」とも呼ばれ、第1次大戦当時こそ、実質「恐怖だけ爆撃」で済んだが、第2次大戦では実質を伴って「戦略爆撃」に化け、事実戦争そのものの帰趨を決している(*2)。
それを知らないから、米軍の戦略爆撃が我が国の大都市圏から始まり、中小都市まで拡大し、その相当部分を灰燼に帰した史実を無視して「一般人を巻き込んだ空襲」などと言う、「明らかな誤り」である上に実に情けない(*3)表記になる。
「戦争を知らない子供たち」と言うポピュラーソングが流行したのも、もうずいぶん昔の話。大東亜戦争後もはや70年近くなり、2世代以上のギャップが生じているとは言え、「実体験としての戦争を知らない」事は、「史実を知らない」事の言い訳にはなるまい。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、と言うぞ。
「戦争を実体験として知らない子供たち(*4)」なればなおの事、「史実としての戦争を知る」必要があろうが。
「戦争を実体験として知らない子供たち(*4)」なればなおの事、「史実としての戦争を知る」必要があろうが。
如何に、日経新聞。
<注釈>
(*1) そりゃ「巻き込まれた一般人」も、居るだろうが。(*2) 先行記事「戦略爆撃入門 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/29853328.html 」参照先行記事にも書いた通り、「書いて居るだけで、胸糞の悪くなる事実」だが、冷徹なる現実だ。(*3) これが米国や、外国の新聞ならばいざ知らず、経済紙とは言え「日本経済新聞」のコラムである。情けないとしか、言い様がなかろう。(*4) 憚りながら、この私(ZERO)も、そんな「戦争を実体験として知らない」子供の一人だ。