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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]終戦と皇族  「特使となった三皇族」

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特使となった三皇族
 
運命の8月15日正午、日本の敗戦、そしてポツダム宣言の受諾を告げる玉音が
放送された。昭和天皇の二番目の弟である高松宮と高松宮妃喜久子(きくこ)は
その日の朝5時、東京を出発して御殿場にある秩父宮別邸に向かった。実の
兄である秩父宮とともに玉音放送を聞くためである。この頃秩父宮は肺を患い
御殿場の別邸で療養していたが、病床の兄宮がたった一人で放送を聞くことの
辛さを察した高松宮は、一緒に聞くことにしたのだった。床に臥せる秩父宮を、
秩父宮妃勢津子(せつこ)、高松宮、高松宮妃喜久子の三方が取り囲み、揃って
玉音を拝した。両宮妃は声を上げて泣いたという。

玉音放送があった翌日の8月16日、朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこ)、
東久邇宮稔彦王、竹田宮恒徳王、閑院宮春仁(かんいんのみやはるひと)
の四名に、昭和天皇から突然の御召があった。東久邇宮を除いて三名は
何の御用かさっぱり分からずにいた。東久邇宮を残して三名が先に 
昭和天皇の御前に案内された。

天皇は14日の日と同様の緊張した面持ちで、「終戦をつつがなく行なうために、
一番心配なのは現に敵と向かい合っている我が第一線の軍隊が本当にここで
戈を収めてくれるという事だ。蓋(けだ)し現に敵と相対している者が武器を
捨てて戦いを止めるという事は本当に難かしいことだと思う。

しかし、ここで軽挙盲動されたら終戦は水の泡となる。自分が自ら第一線を
廻って自分の気持をよく将兵に伝えたいが、それは不可能だ
。ご苦労だが
君たちが夫々手分けして第一線に行って自分に代わって自分の心中をよく
第一線の将兵に伝え、終戦を徹底させてほしい。急ぐ事だから飛行機の準備は
既に命じてある。

ご苦労だがあした早朝発ってくれ(竹田恒徳『終戦秘話』)と仰せられた。
朝香宮は支那派遣軍に、竹田宮は関東軍と朝鮮軍に、そして閑院宮は
南方総軍にそれぞれ 天皇の特使として終戦の聖旨を伝達しに行くこと
になった。
 
一人控え室に残った東久邇宮にはその直後に大命降下があり、
東久邇宮内閤が誕生する。つつがく終戦させるために皇族たちが
それぞれ大役を仰せつかったのである。

皇居からの帰り道、竹田宮は思いがけない重責に緊張しながらも深く覚悟を
決めていた。つい7月まで関東軍参謀として満州帝国の首都新京(満州国
時代の長春の呼称)に赴任していたことから、ソ連軍と中国軍の進駐が
目前に迫る現地の混乱ぶりは容易に想像がついていた。

関東軍に幕引きを命じに向かう心境は悲痛なものであったろう。竹田宮は
「これは誠に大変なお役目である、果して無事に帰れるとも分からない」と
思い、帰宅するとすぐに身辺の整理を始めた。するとその日の午後、
内閣総理大臣に就任したばかりの束久邇宮から電語があり、赤坂離宮の
組閣本部に来てほしいと言われた。

竹田宮が組閣本部に出向くと、東久邇宮首相と東郷外相から「竹田さんは
満州に行くそうだが、もしできたら溥儀(ふぎ)満州国皇帝に会って、皇帝が
希望されたならば、一緒に日本へ連れてきてもらいたい」と依頼されたのだ。

ただし「もちろん、あなたの本来の任務は聖旨の伝達にあるのだから、無理を
してまでとの依頼ではないのだが」とのことだった。宮は天皇からは聖旨伝達を、
また首相からは満州国皇帝を亡命させることの密命を受けたのである。

朝香宮、閑院宮、竹田宮の三宮はその日の夜8時頃に朝香宮邸に参集し、
現地に赴いた際の言動について打ち合わせをした。翌8月17日午前9時頃、
三宮はそれぞれ現地に向かって本土を後にした。


                  竹田恒泰著  「皇族たちの真実」より







転載元: サイタニのブログ


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