Quantcast
Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

[転載]真のかたい友好と絆は口先ではなく心がつながることです 

$
0
0
人気ブログランキングに参加しています。
          読む前にまずはここをポチッとお願い申し上げます。
イメージ 2
 
イメージ 1
       ネルー首相と娘さん、そして象のインディラ(上野動物園にて)
 
戦争中、上野動物園では米軍の爆撃で檻が壊され、猛獣や大型動物が逃げ出して市民に危害を加えないよう薬殺などの処分が行われました。象が殺された悲劇は後に物語にもなりました。
戦後、インドのネルー首相が、上野動物園がある台東区の子供たちの熱望に応え、再び上野動物園に象が飼われるようになりました。
昭和24年、ネルー首相は娘の名前を付けた「インディラ」を贈ってくれました。
 
インドのネルー首相が少年の頃、インドはイギリスの植民地支配から抜け出そうと独立運動を行っていましたが、とてもイギリスには歯が立ちませんでした。しかし、その頃、同じアジア人がとてつもないことをしました。日露戦争で日本が大国ロシアに勝利したのです。
 
この時のことをネルー首相はのちにこう書いています。
「日本が勝ちました。大国の仲間入りをしました。アジアの国、日本の勝利は、全てのアジア諸国に計り知れない影響を与えたのです。少年の私がこれにいかに興奮したか。この興奮はアジアの老若男女全てが分かち合いました。欧州の大国が負けました。アジアが欧州に勝ったのです」
この時、ネルー少年は日本に勇気と希望を与えてもらい、自分たちもやればできると強く思ったのです。
 
その後、大東亜戦争で日本がインドをイギリスの植民地から解放するために命をかけて貢献しました。ネルー首相はそれもしっかり見ていました。
しかし、その後の日本を見たネルー首相は、「敗戦で打ちひしがれていた日本を元気づけたい」と思い、象を欲しがっている日本の子供たちに次のような文書を贈りました。
 
日本の子供たちへおくる言葉
皆さん 私は皆さんのお望みによって、インドの象を一頭皆さんへお贈りすることを大変嬉しく思います。この象は見事な象で、大変にお行儀が良く、そして聞く所によりますと、体に縁起の良いしるしをすっかりそなえているとの事です。
 
皆さん、この象は、私からのではなく、インドの子供達から日本の子供達への贈物であるとご承知下さい。世界中の子供達は多くの点で似かよっています。
ところが大人になると変わり出して、そして不幸な事には、時々喧嘩をしたりします。
私達はこの様な大人達の喧嘩を止めさせなければなりません。
そして、私の願いはインドの子供達や日本の子供達が成長した時には、おのおの自分達の立派な祖国のためばかりにではなく、アジアと世界全体の平和と協力のためにも尽くして欲しいということです。
ですから、このインディラという名を持った象を、インドの子供達からの愛情と好意の使者として考えて下さい。
 
インディラは東京でたったひとりぽっちで、あるいは少しさびしがって遊び友達を欲しがるかも知れません。
もし皆さんのお望みならば、インディラがこれから自分の住家としてゆく新しい国で幸福になるように、お友達の象を一頭送るようにすることも出来ます。
 
象というものは立派な動物で、インドでは大変に可愛がられ、しかもインドの特に代表的なものです。象は賢くて、しんぼう強く、力が強く、しかも優しいものです。私達も皆、象の持つこれらの良いところを、身につけるようにしてゆきたいものです。おわりに皆さんに私の愛情と好意とを贈ります 
ジャワハルラルネルー 194991日 ニューデリー
 
このインドの好意はその後も続いて、四頭目の象には「スーリア」が贈られました。「スーリア」とはヒンズー語で「昇る太陽」という意味で、これは「日出ずる国」である日本にちなんで命名されたといいます。
 
インドの独立記念日は815日で、イギリスからの独立を記念する日です。
このような国の特別の祝日には、どこの国の在外公館でもお祝いのパーティーを開きますが、在日インド大使館だけは、この日が日本人にとって大東亜戦争の戦没者を追悼する特別の思いがこもった日であることに配慮してパーティーをやりません。代わりに日本の国花である桜が満開の春の時期を選んでパーティーを開くことにしています。
 
昭和40年から41年、インドでは大飢饉に襲われ多くの国民が食糧難で困っていました。これを受けて、昭和413月に台東区町会連合会定例会において「インド飢餓救援の募金」を決めました。
これは、かつて台東区の子どもたちが中心となって象の招致運動をした際に、ネルー首相から象のインディラが贈られ、その恩をお返ししようと募金を計画したものです。

早速、その翌月の4月と5月の2か月を募金の期間としました。
動物園のある上野地区は410日に80万円を集めて台東区へ届けてきました。
集まった救援募金は当時の額で総額3431403円にもなり、インド大使館アイ・エス・メーター書記官に手渡されました。
当時、昭和4165日の台東区民新聞には、「江戸っ子の人情でかたい友好の絆が結ばれた」と書かれていました。
 
・・・・・・ 
人気ブログランキングに参加しています。
先人たちのお陰でその後の絆になっている、心から先人に感謝したい、
           と思った方はここをポチッとお願い申し上げます。
イメージ 2

転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>