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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131119-00000069-jij-kr
韓国、「犯罪者」に反発=安重根めぐる菅官房長官発言
【ソウル時事】韓国外務省報道官は19日の定例記者会見で、菅義偉官房長官が初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した独立運動家、安重根について「犯罪者だ」と述べたことに対し、「はなはだ遺憾だ」と批判した。
報道官は「日本の帝国主義、軍国主義時代に伊藤博文がどのような人物だったのか、日本が当時、周辺国にどんなことをしたのかを振り返れば、官房長官発言はあり得ない」と主張。「安重根義士はわが国の独立と東洋の平和のために命をささげた方だ」と反論した。
時事通信 11月19日
>韓国外務省報道官は19日の定例記者会見で、菅義偉官房長官が初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した独立運動家、安重根について「犯罪者だ」と述べたことに対し、「はなはだ遺憾だ」と批判した。
ふざけるな韓国!
安重根は、伊藤博文を暗殺したテロリストで、先進国でテロリストは「犯罪者」です。
>「安重根義士はわが国の独立と東洋の平和のために命をささげた方だ」と反論した。
日韓近現代史の真実を認めろ!
<韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は、徹頭徹尾腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、六十歳を超えた高齢で統監という多難の職を引き受けたのである。>
ドイツの新聞に載ったエルウィン・ベルツ博士「伊藤公の追懐」
<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に
伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張りの主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失であるばかりでなく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
東清鉄道長官 ホルワット少将 ロシアの新聞「ハルピン・ウェストニツク紙」
<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマークの如く武断的でなく、平和的であったことはむしろグラッドストーンに類するところである。財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての大政治家の特徴を抜萃して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の明を有し・・・要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>
「伊藤公暗殺」に対してのイギリスの新聞「ジャパン・メール」に」載ったブリンクリ-主筆の「伊藤公の性格」の一節
<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義をもって臨み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言していた。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事の理事を解さないこと甚だしく、おそらく海外流浪人であろう。>
一〇月二七日「伊藤公暗殺」に対する大韓帝国皇帝の論調
<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。日本天皇は唯一の重臣にして大師の伊藤をなくされた。それなのに伊藤を害した凶徒を出した国の皇太子を、あくまでも輔育する誠意をみせた。山よりも高く海より深い恩義ある日本皇室にどう感謝の意を表すべきだろうか。
(明治天皇が、韓国皇太子の輔育の後任に、岩倉侯爵を命ずる勅語を出された報を聞いて)>
<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。日本天皇は唯一の重臣にして大師の伊藤をなくされた。それなのに伊藤を害した凶徒を出した国の皇太子を、あくまでも輔育する誠意をみせた。山よりも高く海より深い恩義ある日本皇室にどう感謝の意を表すべきだろうか。
(明治天皇が、韓国皇太子の輔育の後任に、岩倉侯爵を命ずる勅語を出された報を聞いて)>
十月二十八日 太皇帝(高宗)
6月28日、訪中していた朴槿恵大統領は習近平国家主席との昼食会で、伊藤博文を暗殺した安重根の記念碑を暗殺現場となった中共・ハルビン駅に設置することを要請しました。
習近平は、「関係部署に検討を指示する」と回答しました。
日本外交筋は、国内にウイグルなど少数民族の独立問題を抱える中共にとって、「テロリストによる破壊活動を称賛することになる」として、推進は疑問とする見方がありました。
2006年には、韓国企業家がハルビン駅近くの広場に安重根の銅像を建てましたが、中共は「外国人の銅像建設は許可しない」として、10日後に撤去しました。
2006年には、韓国企業家がハルビン駅近くの広場に安重根の銅像を建てましたが、中共は「外国人の銅像建設は許可しない」として、10日後に撤去しました。
11月18日、朴槿恵大統領は、訪韓している中共の楊潔チ国務委員(外交担当)とソウルで会談し、安重根記念碑の建立計画について、「両国の協力でうまく進んでいる」と感謝の意を表明しました。
11月19日、菅義偉官房長官は記者会見で、韓国が中共に安重根記念碑を設置するよう要請しいることについて「安重根は犯罪者であると、韓国政府に対してこれまでも伝えてきている。このような動きがあるというのは日韓関係のためにならない」と批判しました。
菅官房長官は19日午後の記者会見で、安重根を「犯罪者」とした自らの発言を韓国外務省が批判したことに関し、「ずいぶんと過剰反応だ。従来のわが国の立場を淡々と申し上げただけだ」と反論しました。
安重根は、日韓併合慎重派の伊藤博文を暗殺したことにより、韓国が強制併合だと歴史を捏造している「日韓併合」を推進してしまったので、韓国にとってはマヌケなテロリストであり売国奴です。
日韓併合の歴史の真実を知らない韓国人は、日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文を暗殺したテロリストの安重根を「反日の英雄」にしています。
韓国人は、サッカー代表による日本対韓国の親善試合などで、安重根を韓国チームの応援に使っています。
韓国海軍は潜水艦に安重根の名前をつけています。
毎年3月1日、日韓併合時3・1独立運動の日に、安重根精神の継承実践を確認する、安重根平和マラソンを開催しています。
多くの韓国人がマラソンに参加して、日本の初代総理を暗殺したテロリストを平和の象徴にしています。
2011年10月26日、安義士義挙第102周年記念式を行って、安重根が拳銃を持って伊藤博文を暗殺するモニュメントを公開しました。
韓国人は日本の初代総理大臣を暗殺した日に、その状況を公開して祝いました。
韓国・ソウル市内には、安重根義士記念館(伊東博文暗殺者称賛記念館)があります。
また、韓国人歌手らは安重根を賞賛する「音楽会」を開催しています。
395:名無しさん@13周年:2013/11/19(火)
K-POPで正しい歴史を学ぼう
「開かれた音楽会」の幕を開きました
祖国の独立と東アジアの平和に尽くした─
熱い思いで生きた安重根義士を追慕し
K-POPで正しい歴史を学ぼう
「開かれた音楽会」の幕を開きました
祖国の独立と東アジアの平和に尽くした─
熱い思いで生きた安重根義士を追慕し
侵略政策反対を世界に示そう
敵陣中かきわけ伊藤の前へとウルルルル
我らが仇移動博文我が手で殺した
大韓独立万歳万歳万歳万歳
敵陣中かきわけ伊藤の前へとウルルルル
我らが仇移動博文我が手で殺した
大韓独立万歳万歳万歳万歳
大韓独立万歳
伊藤博文殺害理由を述べたい
罪なき大韓の人々を大量虐殺した罪
伊藤博文殺害理由を述べたい
罪なき大韓の人々を大量虐殺した罪
大韓帝国が日本人の保護を望んでいると
世界に厚かましい虚偽を広め
世界の人々を欺いた罪
被告安重根は死刑に処す
世界に厚かましい虚偽を広め
世界の人々を欺いた罪
被告安重根は死刑に処す
「あのような人はもういません」イ・スンチョル
「少女時代」イ・スンチョル
「少女時代」イ・スンチョル
1905年(明治38年)11月17日、日本と韓国は、「第二次日韓協約」を締結しました。
第二次日韓協約により、大韓帝国は日本の保護国になりました。
1905年12月、韓国統監府が設置され、伊藤博文が初代統監に就任しました。
歴史を捏造する韓国は、第二次日韓協約の交渉の際、「伊藤博文が韓国駐箚軍(日本軍)にソウルの宮殿を包囲させていた」と、条約の不法性を主張しています。
韓国では、儒者などによる「騒擾(テロ)」が、日露戦争中の1904年(明治37年)から異常に多く発生して日本を悩ませていました。
韓国駐箚軍が王宮前広場で演習などを行った日は、李完用学部大臣の邸宅が焼き討ちされる等の状況でした。
日本は、テロ防止の目的からソウル市内と宮殿を警護しただけで、第二次日韓協約締結は不法ではありません。
第二次日韓協約の交渉中、韓国皇帝の高宗らが儒者などを使った「テロ」を企てており、伊藤博文は韓国側の策略を知りました。
1905年11月15日の高宗との内謁見で、伊藤博文は「昨今儒生輩を扇動して上疏献白を為し秘密に反対運動を為さしめつつありとの事は、疾く我軍隊の探知したる所なり」と述べました。
伊藤博文の指摘したことに対して、高宗は反論できずに、伊藤博文ら日本側は交渉を続け、韓国側は納得して第二次日韓協約を締結したのです。
第二次日韓協約締結について、高宗は納得どころか満足していました。
暫くあつて李内相、李宮相出来り、陛下は該修正案を満足に思召し裁可を与えらるるへきの処、今一箇条陛下の御希望として、韓国か富強を致し其独立を維持するに足るの実力を蓄ふるに至らは此条約を撤回する旨の字句を挿入せんことを特に大使に懇望せらるるとの御沙汰に基き、大使は聖意を満足ならしむる為め自ら執つて協約書の前文中に『韓国の富強の実を認むる時に至る迄』の文字を加へ、再ひ李内相、李宮相をして聖覧に供せしめたるに、陛下は特に満足の旨仰せあり。
「伊藤特派大使日韓新協約調印始末」(日本外交文書)
「伊藤特派大使日韓新協約調印始末」(日本外交文書)
1909年10月26日に、初代内閣総理大臣、初代韓国統監だった伊藤博文(当時は枢密院議長)を、安重根が暗殺しました。
日韓併合について、日本側は、陸奥宗光、曾禰荒助など反対派で、伊藤博文、井上馨などが慎重派であり、桂太郎、山縣有朋などは推進派でした。
韓国側は、李容九などが推進派で、総理大臣の李完用などは容認派であり、両班や儒者などは反対派で割れていました。
伊藤博文という、日本側の日韓併合慎重派の重鎮を一人失ったことで、韓国内の併合推進派に併合推進の口実を与えました。
日韓併合を推進したといってもよい、「李容九」などが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」は、1909年12月4日に「韓日合邦を要求する声明書」を作成しました。
「韓日合邦を要求する声明書」
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。(中略)
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
「1909年12月4日 一進会」
(百万の朝鮮人会員)引用
「一進会」は、上奏文と請願書を、李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出しました。
一進会は上奏書を却下されましたが、再度提出を繰り返すことで、桂首相の指示により遂に受け取られたことになりました。
韓国側では、次第に日韓併合に賛成する者が増えて、韓国が懇願した「日韓併合条約」(韓国併合ニ関スル条約)締結になりました。
伊藤博文は死の間際に、自分を撃ったのが朝鮮人だと知らされて、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と嘆いたと言われています。
これは、日韓併合に慎重派の立場として、日本と朝鮮国内の併合推進派に、併合推進の口実を与えてしまったからだと考えられています。
伊藤博文は韓国併合について、「保護国化による実質的な統治で充分である」との考えから、併合には反対の立場を取りました。
1909年7月、「韓国併合の基本方針」が閣議決定されましたが、伊藤博文は、本格併合は将来的な課題として、早期併合には慎重な立場でした。
伊藤博文が韓国併合に消極的で、併合よりも「韓国の自立」を望んでいたことは、1907年(明治40年)5月30日、大韓帝国の閣僚たちに伊藤博文統監が与えた訓示でも分かります。
名越二荒之助(抜粋)
およそ国家は、自ら、独立する要素がなくて、単に、他国に寄りかかっているだけで、立っていけるものではない。今日のままで進むとすれば、韓国を亡ぼすものは、他国ではなく、韓国自身ではなかろうか。故に諸君は、反覆表裏なく、専心一意、韓国のために謀らなければならない。日本は諸君を助けて、韓国を独立させるよう尽力しつつある、然るに韓人は、日露戦争のような大激戦を目撃していながら、尚、覚醒しないのは、何事であろうか
伊藤博文を射殺したのは安重根ではないという、第三者狙撃説もあります。
安重根は、ほぼ正面から伊藤博文を「拳銃」で狙撃しました。
事件現場にいた室田義文貴族院議員が、「伊藤に命中した弾丸はカービン銃のもの」「弾丸は伊藤の右上方から左下方へ向けて当たった」と証言したからです。
これが事実だとしても、伊藤博文を射殺したと自供した安重根はマヌケなテロリストです。
安重根は「裁判所」(旅順の関東州都府督裁判所)で、清渕孝雄検察官に「伊藤博文公を敵視するようになったか」と、射殺の動機を問われました。
安重根は15項目の馬鹿な理由を主張しましたが、当ブログには投稿文字数に制限がありますので一つだけ取り上げます。
安重根は、「伊藤は現天皇(明治天皇)の御父君に当たられるお方(孝明天皇)を暗殺(毒殺)した」と言っています。
しかし、考明天皇のご崩御は1866年12月25日であり、毒殺されたという記録もありません。
当時、伊藤博文は長州の三田尻にいたのであり、宮中に入れる身分でもありませんでした。
韓国は安重根を独立運動家と賞賛していますが、韓国にとって「日韓併合」を推進してしまったマヌケなテロリストであり売国奴です。
安重根は犯罪者だ!
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