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[転載]民主党政権の末路

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民主党は、平成21年9月に政権交代以来、約2年間、日本の政治を混迷に陥れ、日本は政治・経済において危機に瀕しています。この状態で、3人目の“代表=首相”となった野田氏は、東日本大震災・各地の災害の復興・再建より、党内融和を優先し、権力の維持のためには自らの思想・信条を曲げる変節漢である。小沢元代表に配慮し、日教組と連携し、韓国・北朝鮮の勢力とのつながりを隠し通そうとしています。
この野田氏の変心ぶりは、野田氏個人の資質の問題である以上に、民主党という政党の本質なのです。

代表=首相”が鳩山氏であろうが、菅氏であろうが、野田氏であろうが、民主党は変わりません。党としての基本的な性格は変わっていない。そこから、民主党政権の行く末が見えてくるのです。
 平成5年に細川護煕氏を首班とする非自民連立政権が発足した。これによって、冷戦下で長く続いた55年体制は崩壊し、以後、政治家の集合離散・合従連衡が繰り返されてきました。いくつもの新党が現れては消えた。その中で出現した最大の政党が、民主党です。
 冷戦の終焉とソ連の解体の後、アメリカが唯一の超大国となりました。共産主義・社会主義は世界的に大きく後退し、資本主義・自由主義が勢力を強めた。わが国では、55年体制下で自民党に対抗してきた社会党は有権者の信を得られず、平成8年に四分五裂した。こうしたなか、新たに自民党に対抗する政党として、民主党が伸長したのです。

民主党は、豊富な資金源を持つ鳩山由紀夫氏が、実質的なオーナーとなっている政党でした。鳩山氏は、昭和61年衆議院議員総選挙で自民党から出馬して初当選した。祖父・父の血を引く、保守のサラブレッドとして、注目を集めた。平成5年、政治改革の考えの違いから自民党を離党し、武村正義氏らの新党さきがけに加入した。平成8年にはさきがけを出て、弟・邦夫氏と菅直人氏とともに旧民主党を作り、平成10年民主党を結成しました。
 この過程で、民主党には、自民党を出た元自民党員から、旧社会党の右派・中間派、さらに最左派・社会主義協会などまで、幅広く集合した。保守系リベラルからリベラル、左翼の社会民主主義者までが集まった。右から左までの幅広い諸勢力が、反自民という一点でだけで集結した政党が、民主党です。
 民主党は、平成15年に、小沢一郎氏の自由党を吸収合併して党勢を増した。小沢氏の自由党と合併する前、鳩山氏は資金力はあるものの、政治的な手腕に乏しく、民主党において求心力に不足していた。菅氏も市民運動上がりで、指導力を欠いていた。鳩山氏・菅氏が反自民の政権を目指すには、小沢氏の力が必要だった。民主党は、小沢氏の自由党と合併したことによって、政権交代を実現し得る政党に成長した。
 民主党は、巨大化の過程で、傘下に労働組合や各種の左翼団体を抱えるようになった。今日、民主党の最大支持基盤は、労働組合である。最大の支持団体は連合(日本労働組合総連合会)である。また日教組・部落解放同盟を支持団体に持つ。
 労働組合や各種の左翼団体は、組織的な集票力がある。それだけ、政党の指導層に影響力を持つ。民主党は、平成17年以降、自民党に対抗するため、労働組合や旧社会党系の団体の要望を多くいれ、また日教組の教育政策をほとんどそのまま受け入れるなど、左傾化しました。
 民主党という名称は、保守的・中道的な感じを与える。ソフトで明るくやさしい感じを与える。その看板のもとに、旧社会党系の諸団体の多くが鳩合し、巨大な政治勢力の中によみがえった。その点では民主党は「第2社会党」的な政党に変質しているのである。
 こうした政党が、平成21年9月の衆議院総選挙で政権交代を成し遂げ、自民党に替わって政権に就いた。自民党は、立党の精神を失い、長年腐敗・堕落を続けていた。公明党が延命装置となっていた。小泉構造改革で新自由主義的な政策が強行され、わが国の伝統・家庭・社会・道徳は危機に瀕していた。国民の多くは、民主党の本質や実態を知らずに、自民党に替わり得るものとして、民主党に過大な期待を寄せました。

民主党が政権を奪取できたのは、小沢元代表の選挙戦術の結果です。小沢氏と組んだことによって、鳩山氏・菅氏は政権交代を実現することができたのです。これは小沢氏なしには不可能でした。
 だが、民主党に入り込んだ小沢氏は、巨額のカネと強力な手腕によって、民主党の最高実力者となっていた。鳩山政権が発足すると間もなく、民主党の権力は二重構造となっていることが、国民の目に明らかでした。

さしたる成果も挙げることなく、日本を混乱に陥れた鳩山氏は退陣しました。

 鳩山退陣後、後を継いだ菅氏は、脱小沢を志向しましたが、今年3月11日、東日本大震災が勃発すると、菅氏は全く指導力を発揮できないのみか、かえって首相の判断や言動によって被害が拡大し、わが国は深刻な事態に陥った。この間、民主党の体質・欠陥・危険性が、国民の目に顕著に表れるようになりました。
 野田氏は、民主党の代表戦で反小沢の票を集めた。だが野田氏は首相になるや、小沢氏に配慮し、党内融和を図った。私は、民主党は、55年体制での自社の馴れ合い政治が、政党の形になったものです。自民党の金権体質と旧社会党の組合体質が融合し、権力の奪取と強権の行使が目的化している。自民党出身で田中角栄・金丸信の弟子だった小沢一郎氏と、日教組出身の輿石東氏の結束がその象徴です。
 小沢氏は、独裁者的なタイプだが、旧社会党や日教組系の政治家は、小沢氏の采配に反発しない。逆に小沢氏を強く支持し、結束している。私は、小沢氏の独裁者的な性格と手法は、マルクス=レーニン主義的な組織原理と親和するのだろうと見ている。野田氏が小沢氏に近い輿石氏を幹事長にしたことは、民主党の体質をよく表現しています。
 そのうえで、私が民主党の最大の問題だと思うのは、外国勢力に深く犯されていることである。この点は、党内の左翼よりも、そして小沢氏よりも、もっと重大である。

どうして民主党は、朝鮮半島の南と北の双方から侵食された半コリア化した政党になったのか。
 民主党は反自民という一点で寄り集まった雑居ビルのような集団です。そのため、政党として必要な綱領を作ることができず、精神的に隙だらけの集団でしから、韓国と北朝鮮の勢力がともに入り込んだのだと筆者は思います。
半コリア化した原因は以下に挙げられます。 

※ 鳩山由紀夫氏の説く「友愛」の脱日本志向
 戦後50年を迎えた平成7年は、日本の精神的な劣化が顕著になった年でした。その翌年に旧民主党が結成された。旧民主党の結成前、鳩山氏は、平成8年6月号の雑誌に寄せた「わがリベラル友愛革命」で、「定住外国人に国政参政権を与えることをも真剣に考えても良いのではないかと思っている」と書いた。地方参政権どころではない。国政参政権を与えるというのである。こういう愚かな思想を持った人間が、民主党を作ったのです。
 鳩山氏は、平成14年8月の夕刊フジ・コラムで、民主党代表として発言し、「日本列島は日本人の所有物と思うなという発想は、日本人の意識を開くことであり、死を覚悟せねば成就は不可能であろう。私はそこまで日本を開かない限り、日本自体の延命はないと信じる。だから私はその尖兵を務めたいのだ」と述べている。倒錯した思い込み、世界市民的な似非ヒューマニズムと反日的な破壊衝動が、民主党を危ういものとしたのです。そこに韓国・北朝鮮の両方の勢力を引き込んだ原因の一つがある。
 
※ 菅直人氏の北朝鮮・市民団体とのつながり
 平成8年9月28日、鳩山氏が旧民主党を旗揚げしたとき、菅氏も参加した。菅氏は初代代表とりました。菅氏は、市民運動上がりの政治家だが、国政選挙で最初3回落選。この時、酒井剛氏の協力を得たことで、4回目にして初当選。菅氏は酒井氏とその後、ずっと付き合いを続けている。民主党結党の時点で、菅氏と酒井氏との付き合いは約15年になっていた。
 菅氏は酒井氏を通じて、北朝鮮・よど号犯・新左翼系グループとつながりを持っている。このルートが民主党に北朝鮮の勢力が入り込む経路の一つとなっている。菅氏の資金管理団体は、酒井氏が代表を務める「市民の党」に、6250万円もの献金。菅氏は「自分が判断した」と述べています。民主党側からの献金で最も多い額です。菅氏がいればこそ、民主党側から「市民の党」等に、巨額の献金がされ、「市民の党」のメンバーが民主党議員の秘書に入り込んだのです。

※ 旧社会党系の反日左翼運動
 平成8年1月、日本社会党は、社会党の看板を下ろし、社会民主党に改称した。その後、同年9月の旧民主党の旗揚げに際し、社民党の約半分の所属国会議員が民主党結成に参加。この時、右派・中間派だけでなく、最左派の社会主義協会派からも、民主党に参加、共産主義政党は、社会党への加入戦術を行っていた。民主党の事務局には、新左翼のセクト出身者が少なくありません。旧社会党は、ソ連系列のマルクス=レーニン主義政党であり、北朝鮮、労働組合、部落解放同盟との関係が深く、日教組を中心に日本断罪史観、反日自虐教育を推進してきました。民主党はこうした旧社会党系の勢力が生き延びる場所、隠れ蓑になったのです。
 旧民主党は他の諸政党が合流する形で、平成10年に現・民主党に発展した。現・民主党は、この平成10年の結党時に、基本政策の一つに「定住外国人の地方参政権の実現」を揚げ、その後、参政権付与の法案を繰り返し国会に提出しており、過去の政策論文集でもこの方針を打ち出してきた。
 民主党には、思想的には親北朝鮮の勢力とともに、在日韓国人の反日運動と連携する政治家も多くいる。ここに韓国・北朝鮮の両方の勢力に入り込まれ、積極的に連携する関係ができあがっているのです。

※小沢一郎氏の権力欲・選挙戦術
 結党後、党勢を拡大させた民主党は、政権交代を実現するために、小沢氏に接近。 小沢氏は、鳩山氏の民主・自由両党合併に向けた協議提案を受け入れた。その後、民主党代表となった菅直人氏が合併を決断し、平成15年9月、民主党・自由党は正式に合併。自由党は解党して、民主党に合流した。民主党に入り込んだ小沢氏は、党内で地歩を固め、中心的な存在になっていった。
 小沢氏は、“数こそ力”の論理で、自民党から権力を奪えるなら、左翼団体であろうと在日外国人であろうと、数として利用。この権力欲と選挙戦術が、韓国の民団の協力・支援を必要とし、韓国の勢力を呼び込んだのです。
 
 こうした現象は、民主党で初めて生じたものではなく、自民党は、かつて世界基督教統一神霊協会(略称 統一教会、教祖・文鮮明)を母体とする勝共連合との関係を深め、統一教会員が議員秘書になったり、選挙運動をしたりした。また、自民党の有力政治家が、パチンコ利権に預かり、保守政党の政治家でありながら、北朝鮮を擁護したり、拉致問題の解決に消極的な言動を行ったりする者がいた。統一教会やパチンコ利権は、旧社会党等の議員にも関わっている者がいた。だから、この問題は、民主党で初めて生じた問題ではない。ただし、問題の大きさ、深さの程度がまったく違うのです。民主党は、党自体が半ばコリア化しているからです。

野田政権において、筆者は、民主党政権はますます欠陥・矛盾をさらけだし、解散総選挙で惨敗。政権交代が起こり、保守を中心とした政治で日本の再建が進むと予想します。それが民主党政権の末路です。新たな保守勢力の中核となり得るのは現状では、数的には自民党しかあり得ません。しかし、自民党は、長年の腐敗・堕落から再生し切れず、自民党の再生は、立党の精神に立ち返ることなくして、実現はありえません。

このまま民主党に日本を委ねることは、日本、及び日本人の運命を危険にさらし、亡国に繋がります。
この危機を乗り越えるには日本人が自己本来の精神、やまと魂を取り戻し、日本を根本から変える以外にありえません。民主党政権の末路を断ち、日本の再建は急を要します。

転載元: 美しい国


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