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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]皇室と国民  

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続き 鹿児島湾上の聖なる夜景
 
 
それは大正十四年の夏、陛下(昭和天皇)が、まだ皇太子であらせられた
ときのことであるが、軍艦長門(ながと)で樺太に御旅行になったことがある。
 
或る日、樺太の南端にある大泊の港から、西海岸にある本斗、真岡の方へ
回航の途中、その夜、長門は海馬島という絶海の孤島の島かげに仮泊する
予定になっていたので、夕食後、われわれは、殿下を中心に、後甲板で涼しい
汐風に吹かれながら、黒ずんだ小さな海馬島の小高い丘が、だんだん近ずい
てくるのを、物珍らしく眺めていた。当日は風波がかなりあったので、艦は丘の
風下にあたる静かなところに泊るために、速力を落し、徐行し、ぐるっと島を
廻わっている、そのとき、突然、夜やみの波の間、艦のすぐ近くに、何やら、
泣くような、叫ぷような大声がきこえてきた。
 
舷窓をもれるあかりに照らしだされたところを見ると、日の丸の旗を舳先(へさき)
に立てた一そうの小舟が、荒波にもまれながら、艦と並行して、六人の若者が
一生懸命に櫓をこいでいる。左手に、しかと、とも櫓を握って指輝をしているのは
、一見、六七十の老父のようであったが、紋付、羽織、袴に、右手に山高帽を
高々と差し上げながら、何か叫んでいる。
 
風が強いためその言葉はききとれなかったが、嬉し泣きに、泣いていること
だけはよくわかる。私は一カ月前下検分でこの島にも立ちよったので、島の
事情は知つていた。昔から、この島には、百人あまりの日本の漁民がいて、
ここを根拠地として漁業を営んでいるのである。
 
きょうの夜、殿下のお召艦が、ここに仮泊することは、みな、知つていたので、
恐らく島の人たちは総出で船をだして、沖で殿下をお迎えする積りでいたの
だろうが、日が暮れて、波荒れ狂う夜闇の海上で、そのうちの一艘が、
やつと長門の艦影を発見し、少しでもお側に近ずこうとして、えいえいと
漕いでいたのである。
 
われわれは、後甲板の上から、帽子やハンカチを振って挨拶をかわしたが、
艦がいくら徐行しているとはいえ、二つの船の速力には格段のちがいがある
ので一瞬の間に別れてしまった。私は、もしほんとに、手がとどくなら、抱き
あって、一緒に喜びたい、と思ったが、まことに残念なことであった。
 
 
このことを、私は食事の際中に思いだし、ここも波の静かな鹿児島湾内の
ことであるから、いつ、どこから、船がこないとも限らない。
今は陛下もお食事中であろうし、われわれも皆食堂にいる。後甲板には、
いま、誰もおらぬだろう。もし船でも来たら、相すまぬことになる、と考え、
皆より早く食事をおえ、大急ぎで後甲板にかけ上った。艦内は非常によく
照明されていて明るいが、後甲板の上は、まことに暗く、電灯の下ならともかく、
少しはなれたら、人の顔も、よく見わけのつかぬ有様であった。
 
ところが、誰もおらぬとばかり思って飛びだした私の眼にうつったのが、
右舷のてすりのところに、西を向いて立っている、ひとりの人の後ろ姿で
あった。望遠鏡から手をはなし、挙手敬礼のうしろ姿。

ハテ、今ごろ、誰が、と思って、近ずいてみると、こは、いかに、陛下ではないか。
さては、奉迎船が下にきているな、と私はすぐ右舷に馳せよって下を見たが、
船らしいものは見えない、ハテ、何か望遠鏡でごらんになったのかな、と
思つて私も近くの望遠鏡に眼を当ててみたが、明るいところから、急に暗い
ところにくると、眼が慣れていないので、なかなか見えない。ジーツとがまんして、
のぞいていると、そのうちに、だんだんと眼がなれてきて、薩摩半島の山々の
輪廓が、ぽんやりながら見えてきた。
 
時刻から推測して、指宿(いぶすき)の沖合あたりかな、と思つた。そのうちに、
こんどは、海の色と陸の色との区別がつくようになり、水陸の境目つまり海岸線
一帯に、延々果てしなくつづく赤い紐のようなものが見える。ハテ、これは何だ
ろうか、と考えていたら、次に見えてきたのは・この赤い紐の上、小高いところに、
幾百メートルかの間隔をおいて点々ともえさかる篝火(かがりび)。これで私は
万事を了解した。
 
当夜は月もなく・星も稀れな、曇りがちの空模様で陸からは軍艦の姿は見え
ないが、時刻から考えて、今ごろは陛下のお船が沖をご通過になるときだ
と語り合い、.薩摩半島の村々に住む人々、老いも若きも、ちょうちんや、
たいまつを持って海岸に立ちならび、また若者たちは山々に登って篝火
をたき、半島に住む村びと、こぞって陛下をお見送りしているのである
 
陛下は、いま、望遠鏡で、これを発見遊ばされ、うす暗い甲板の上から、
ただ、おひとりで沿岸一帯の奉送の灯火に対し、はるかに、御挨拶を
なさっておいでになったのである。この光景を、思いがけなくも、私が拝した
次第であった。
 
ああ、これこそ、ほんとうの日本の姿、と私は思つた。何とか連絡をとって、
いま、あすこでお見送りをしている半島村々の人たちに、いま、陛下は艦上
から、あなたがたのお見送りの灯火(ともしび)に対して・ご挨拶をしておいでに
なりますよ、と知らせたい気持ちで胸一ばいの私は、その方法がないのに、
もだえ苦しんだ。無線で打電しようかとも思ったが、いま、あの山の上で、
かがり火をたいている人たちの耳に、到底、今夜のうちに届くとは思われない。
 
フト、そのと一案を思いついた私は、すぐさま艦長室へ走つた。艦長に事情を
話して、艦の探照灯を全部つけて貰うこと頼んだところ、艦長も感激して、すぐ、
つけましよう、という、私は・お願いしますの一語を残して、また、すぐ後甲板に
引きかえしたところ、そのときは、もう六ケの探照灯の光芒が皎々(こうこう)
と、左は大隅半島、右は薩摩半島の空や山や海岸一帯を、くまなく撫で
まわしていた。はるかに、ワッ、とあがる両岸の歓声を想像しながら、私は
ほんとに嬉しかつた
 
 
海上、聖夜の讃
 
月なく星も稀(まれ)れな夜空の下、黙々と鹿児島湾を南下する軍艦榛名
(はるな)のうす暗き後甲板は、人なく声なく、只ひとり、陛下おん挙手の
尊影を仰ぐ。
御会釈賜わる者は、そも誰か。肉眼にこれを求めて之を得ず、わずかに
望遠鏡のレンズのうちに、薩摩半島沿岸一帯、はるかに見ゆる奉送のともし火、
盛んなるかな、山々には、かがり火、岸辺には、ちょうちんの群れ、延々として
果てしなくつづく。
 
さらば陛下、いざさらば、
   おんすこやかに、おかえりませ。
ありがとう、
   皆も、元気でね。
 
げに闇をも貫らぬくは、まごころの通い路。海波遠くへだてて、君民無言の、
わかれのかたらい。ああ、誰か、邦家万古の伝統を想わざる
時はこれ昭和六年十一月十九日。
 
 
               元侍従長次長  木下道雄著 「皇室と国民」より
 
 
 

転載元: サイタニのブログ


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