なぜ男系継承にこだわったか
解答は先例にあり
ヨーロッパでは、各国の王家の間で姻戚関係が頻繁に結ばれてきた。
女性皇太子と諸外国の王子であれば釣り合いが取れる。
有名なところでは、例えばフランスのルイー6世に嫁いだマリー・アント
ワネットはハプスブルク家(オーストリア)の出身であった。このように王家の
間の婚姻は現在に至っても頻繁に繰り返されている。
現在の英国女王のエリザベスニ世の夫のエジンバラ公は、ギリシャ王家の
グリュツクスブルク家出身である。
しかし、日本の場合、天皇に外国出身の配偶者がつき、その子供が皇位に
就いたことはただの一例もない。昭和22年に施行された現行の日本国憲法
の第一条に
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と明記されているが
、皇祖から現在に至るまで、時代によって 天皇の役割は変化しつつも、
変わらないものがあるとすれば、それは、
天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であり続けたという
ことである。したがって、天皇の配偶者が外国人であっては、天皇は
日本の象徴にならない。よって天皇の配偶者は外国人であってはなら
ないことになる。
そのため、日本はヨーロッパと違い、近隣諸国の王家の王子を女帝の
配偶者に迎え入れることは全く以って不可能である。
日本とヨiロッパは背景が異なっているのだ。外国の王室から日本の皇室に縁談話
が持ち込まれたことがあるが、これは不調に終わった。
明治14年にハワイ国王のカラカウア王が来日して明治天皇と会談したとき、
カラカウア王は姪のカイウラニ一当時5歳)と山階宮定麿(やましなのみやさだまろ)
王一当時13歳、海軍兵学校在学)との縁談を申し込んだ。カラカウア王は、この縁談を
成立させることでハワイが米国に併合されるのを防ぐことができると考えて
いたと思われる。しかし
明治天皇は書簡にて、定麿王は既に結婚相手が決まっていることを理由に
この縁談話を断った。だが実際の理由は、この縁組が欧米の反感を買う
ことになり、また皇族が外国人と結婚することは日本の伝統から大きく
逸脱することになるからである。
カイウラニは王位継承者であったが、明治28年(1895一、ハワイ王国は
滅亡した。また、北白川宮能久親(きたしらかわのみやよしひさ)王は
ドイツ留学中にドイツ貴族の娘と結婚したが、後に無理やり離婚させ
られている。
続く
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より
続く
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より