歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。今回で福地先生のこの論文は最終回となります。
2月21日、石原都知事は都議会自民党の新春の集いで「占領軍が一方的につくった憲法を独立を果たした後ずっと守っている国がありますか。こんなばかなことをしている国は日本しかない」と言い、自民党に憲法を破棄して一からで直そうじゃないかと言ってもらいたいと発言しました。
福地先生の論文の最後としてこの都知事の発言も踏まえて最終回をお読み頂ければ、福地先生の論文の結論を理解しやすいと思います。最後の締めをぜひお読みください。
「終戦の詔書」の精神への復帰
高知大学名誉教授 福地惇
日本国憲法の来歴とその本質を知るにつけ、我々が慙愧(ざんき)に堪えないのは、昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾を決意された昭和天皇の「終戦の詔書」の精神を、敗戦後の政府首脳、政治家、官僚、言論界、教育界そして多くの国民が死守しようとしなかった、そのことである。
詔書の核心部は次の通りである。
今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も朕善く之を知る。然れども朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す。
朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り。
朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り。
若し夫れ情の激する所、濫に事端を滋くし、或いは同胞排擠、互に時局を乱り、為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む。宜しく挙国一家、子孫相伝へ確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏くし、誓って國體の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ。
後悔先に立たずではあるが、過ちを改めるに憚ることなかれ、は大切な心構えだ。
我々は昭和天皇の「終戦の詔書」の精神を奉持すべきであった。講和条約締結を目指した段階で政府要人はもとより日本国民の全叡智を傾けて、占領政治の屈辱を晴らし、本格的な戦後復興に持っていく、真の独立主権国家復興への血の滲むような努力が必要だった。
大戦から敗北そして被占領時代の事実を踏まえて、日本歴史の正当性に立脚する国家再建を目指し、毅然として国際社会に再参入する基本条件を粘り強く地道に整えるべきであった。
我々は、御詔書の精神を見捨てて「大道を誤った」のである。
ではどうするか。
多数の国民の賛同はほとんど得られないことを認識しつつも、本論の結語として一つの議論を提示したい。「敗戦国体制」を廃絶して「敗北主義」を打破・克服することこそ平成の政治改革の大主題である。
具体的には、
① 「日本国憲法」を廃棄して幣原内閣の「松本案」をたたき台に、政治の軍事への優先条項を追加した「明治憲法」を復元する。
② 「教育基本法」を廃棄して「教育勅語」を復元する。
この二点である。
明治22(1889)年発布の明治憲法は古いと言うことなかれ。マグナ・カルタ(1215=建保三年)や権利章典(1689=元禄二年)なる中世の重要な法典から始まり、慣習・判例・成文法の集積を憲法とするイギリス王国やアメリカ合衆国憲法(1787=天明七年)を見よ。新しくともソ連憲法(最初は1918年制定、以後4回の制定を繰り返した)は廃滅し、中華人民共和国の憲法もまた有効に機能しているとは言い難い。現今、憲法と教育基本法の改正議論は確かに高まりを見せている。しかし指摘してきたとおり土台が問題なのだから、現体制の手直しでは我が国の衰亡傾向を抑えることはできない。
「終戦の詔書」の精神を尊重し、勇を鼓して戦後の迷夢を振り払い、歴史伝統の正統性への復帰を意識しなければならない。大敗北後百年という時間を覚悟してでも、長期に耐えうる尊厳・品格を有する安全で豊かな国民国家を構築するための基礎条件を創出しなければならない。
マッカーサーの呪縛を解き、吉田茂の欺瞞を打ち破ることがそのカギである。
そうしてこそ、「世界の進運」に貢献できる真の日本国へと歩を進められるであろう。
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