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[転載]【特別寄稿】軍のありがたさ 日心会代表 小名木善行

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「軍のありがたさ」

 日本の心をつたえる会  代表 小名木善行

昭和20年8月9日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍が、120万の大軍で来週しました。日本軍は寡兵ながら果敢に戦いました。ソ連の最新鋭の機甲化師団の前に、我が軍に対抗できる大型火器はありません。ではどうやって戦ったかといえば、民生用のダイナマイトをランドセルくらいのカバンに詰め、垂らした導火線にマッチで火をつけ、戦車の下に飛び込んだのです。ソ連軍の戦車が爆発すると、一緒に飛び込んだ戦友の生首が、10メートルくらい空に舞い上がったそうです。そこまでして必死に戦い抜いてくれたのです。満州にシベリア鉄道で乗り込んだソ連軍は、機関車の先頭部に裸の日本人女性を縛り付けていました。8月14日には、9割以上が婦女子の日本人避難民約千数百人が、現在の中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガンにある葛根廟(かっこんびょう)で、婦女子とわかりながら大量虐殺されています。

8月15日の終戦により、軍の上層部から「即時停戦、武装解除」の命令出ました。このため、カムチャッカや樺太、満州などの各戦線で、日本は戦いに勝っていながら武装解除に応じました。

軍は国の命令に従うものだからです。けれどその結果、多くの日本の将兵が一方的に殺害された挙げ句、シベリアに抑留されてしまいました。

また多くの婦女子が強姦暴行殺害され、持ち物は全て奪われ、衣類まではがされました。そして多くの邦人が、裸にむしろをかけただけの状態で逃げ惑うという状況に至っりました。

やっとの思いで日本に帰国できても、女性たちの多くはそのままでは上陸できませんでした。

約2ヶ月、佐世保などの収容施設のやっかいになり、それからようやく内地の土を踏んでいます。ようやく生きて祖国の土を踏むことができた、ごくひとにぎりの女性たちさえ、無事に帰国できたわけではなかったのです。

優生保護法ができたのも、こんな理由からでした。それでも帰国できただけでも、まだマシな方だったのです。多くの女性たちの命が満州から朝鮮半島にかけてで奪われています。武装を解いた日本には、もはやこうした暴力に対抗できる力はなかったのです。

ところが、こうしたなかにあって、断固として日本人の命を護りぬいた人がいます。駐蒙軍司令官としてモンゴルにいた根本博陸軍中将です。根本中将は、終戦後にソ連の機械化旅団が攻めて来たとき、軍使を出して2日間の猶予を願いました。そこに4万人近い在留邦人(民間人)がいたからです。

けれどソ連は聞き入れませんでした。支那派遣軍からは「即時停戦、武装解除」の命令が来ていました。けれど根本中将は、「民間人を守るのが軍人の仕事である。その民間人保護の確たる見通しがない状態で武装解除には応じられない」と、命令を無視し、「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎これを撃滅すべし。責任は一切司令官が負う」との命を旗下の軍に発したのです。

この決意を聞いた陣地の将兵の士気は一気に高揚しました。既に祖国の敗戦を知りながら、邦人を守るために戦うのです。その日の午後と夜間には、攻撃してきたソ連軍を撃退し、翌日には陣地に突入してきたソ連軍と白兵戦を交えてソ蒙軍を撤退させました。そしてこの日の夕方には、張家口に集まった邦人全員の引揚げを完了させています。

このとき張家口から脱出した当時25歳だった早坂さよ子さんの手記には、「要所々々に日本の兵隊さんがまだ警備に着いていて、皆で手を振り、兵隊さんたち、無事に日本に帰ってと祈りました」と書かれています。同時期、他の地域では、在留邦人が女子供ばかりのところを襲撃されて皆殺しにされたり、ソ蒙軍の兵士から暴行を受け、あるいは地元民に襲撃されて所持品から着衣まで奪われたりしていました。そうした情況からすれば、張家口からの邦人避難民が「手を振りました」とは、もちろん難民としてのご苦労や不自由はあったろうけれど、いかにもみやびなことです。そしてこれをなし得たのは、間違いなく軍の将帥としての根本中将の断固たる意思と、その将を信頼して勇敢に戦った兵士たちの活躍です。そしてその鉄の意思と軍の活躍によって、間違いなく満蒙の邦人4万人の命が守られたのです。

この事件のあと、北支方面軍司令官兼駐蒙軍司令官となった根本中将は、ここでも武装を解かず、襲って来る国民党や八路軍を蹴散らし、結果として北支那に残る軍民合わせて35万人の命を護りぬいています。そのあまりの強さに、次第に根本中将の存在は、国民党軍や八路軍の中で、恐ろしい「戦神(いくさがみ)」と呼ばれる存在となったといいます。

天帝に見出された「戦神」には勝てない。これは支那人の伝統的思考です。そして勝てないと悟った蒋介石は、昭和20年12月18日には、直接根本中将と面談し、国民党も総力をあげて日本人居留民の安全と、無事な帰国のための復員事業に積極的に協力する、と約束を交すに至っています。こうして北支にいた在留邦人の帰国事業は、約1年で全員無事に完了しました。間違いなく、根本中将の鉄の意思と軍の活躍によって、35万人の邦人の生命が護られたのです。

軍が存在すること自体を否定する人がいます。けれどその軍こそが、非常時においては最も頼りになる存在です。隣人でも、友人でも、外人でも、いいときはいいのです。けれど一朝事あり非常事態になったとき、どこの国の民族も、コンビニの前に整然と並んだり、救援食料配給所の前でちゃんと並んだりするわけではありません。8月15日。私たちは、この日を境に、いまいちど軍というもののありがたさと必要性について、思いをめぐらせてみる必要があるのではないでしょうか。

http://www.yamatopress.com/

転載元: 堕ちた天使


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