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慰安所の日記.その2

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< 慰安所の日記.その113年7月貸出・預金動向 >
その1のつづき

◇1944年
 2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。
 3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、内地帰還旅行証明願を提出させた。
 4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。
 4月 6日 <生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。>
 4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての内地帰還旅行証明書を受け取った。
 4月13日 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。
 4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。
 4月15日 慰安婦募集のため朝鮮に帰った大洋倶楽部の主人は来る7月に京城(現ソウル)から出発する予定だと西原君に電報が来た。
 4月18日 スマトラ・パレンバンからシンガポールに来て、菊水倶楽部が慰安婦として抱え入れることになった金○順の就業許可のため特別市警務部保安課に行ってきた。
 4月30日 今日も軍人の外出が多く、昨日の最高収入をはるかに超過し、2590円余りの最高記録だった。
 5月 9日 金○順と崔○玉の稼業婦としての就業が許可された。
 5月12日 <今日、検査不合格者が6人も入院した。>
 5月26日 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。
 5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。
 6月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。
 6月 2日 今日の検査で2人が不合格となって入院したので、今までの入院者まで入れて計5人が入院中だ。
 6月 5日 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。
 6月 9日 今日の検査結果は、入院中の2人が退院し、2人はそのまま入院。店にいた女たちは全員合格した。今月から女子はたばこ配給がないのだが、稼業婦に対しては接待用として特別に毎日10本の配給がある。
 6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと2回も電報が来た。
 6月17日 新しく入った宋○玉のことで特別市保安課営業係、坂口氏のところに行ってきた。稼業婦特配米を受け取った。
 6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。
 7月 4日 <慰安稼業婦、許○祥(○江)は妊娠7カ月なので、休業届を提出した。>
 7月27日 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。
 8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したというはがきが届いた。
 9月 5日 <倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。>
 9月 6日 保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った。
 9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。
10月14日 病弱のため帰郷を決心した。
10月25日 スマトラのパレンバンからシンガポールに来た宮本と<第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が今般結婚した。今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。
10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。
10月27日 <慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った。
11月 9日 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。
11月15日 稼業婦、金○愛は今日、内地に帰還する船に乗った。
11月16日 特別市保安課営業係に行き、帰国した金○愛の酌婦認可書を納付した。
11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。
11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。
12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1000円を送金してあげた。
12月16日 横浜正金銀行に行き、許可された3万9000円を送金し、検疫所に行って検疫証明書をもらった。13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。

 (注)日記は、慰安婦のことを「稼業婦」「酌婦」などとも記している。慰安婦らの名前の一部を伏せ字とした。「横浜正金銀行」は、1880年開業の外国為替取扱銀行。日記では単に「正金銀行」とも書かれている。東京銀行の前身で、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。<>は記事と関連する部分。
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 ■ことば
◇軍票と戦時中の郵便貯金
 軍票は「軍用手票」の略語で、軍の物資調達などのために一時的に使われる通貨。日本も第二次大戦中に約45億円分を発行したが、終戦後に無価値となった。戦時中はビルマ(現ミャンマー)などの戦地に野戦郵便局、朝鮮半島などの植民地や占領地に外地郵便局が設けられ、軍人や現地住民らが貯金に利用した。


 何だろう~~

 とても、戦中の性奴隷の様子を書いた日記には思えないなぁ~~。

 香ばしいところを抜き出すと・・・

・奴隷のはずなのに、元旦の営業はお休みし、二日から営業開始・・・

・奴隷のはずなのに、軍に収入報告書を提出し、さらに3万2000円もの大金が貯金できる・・・

・奴隷のはずなのに、移動命令に対して団体で反対していた・・・

・奴隷のはずなのに、腹痛で手術を受けていた・・・

・奴隷のはずなのに、同業者が慰安婦を募集するのために帰国していた・・・

・奴隷のはずなのに、妊娠すると休業もでき、入院して出産もできた・・・

・奴隷のはずなのに、組合があり、会議も行われ、客が少なく収入がすくないと嘆くことができた・・・

・奴隷のはずなのに、映画鑑賞に出かけることができた・・・

・奴隷のはずなのに、帰国願いを出すと帰郷でき、帰郷後には送金され、送金されなければ督促できた・・・

・奴隷のはずなのに、特別配給米を受け取れた・・・

・奴隷のはずなのに、結婚もでき、結婚式を慰安所内で挙げていた・・・

 う~む、慰安所の慰安婦さん達には、かなりの自由があったような気が・・・w

 というか、この日記で強制連行されたニダ!性奴隷だったニダ!って証明は無理だろうな。

 まあ、彼らには論理的に物事を考える力が欠如してるから、説得できないだろうけど・・・w
 
 
慰安所の日記.その2←転載元

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