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良識ある日本国民の皆様には、慰安所で働きその様子をつづった朝鮮人男性の日記が韓国で発見されたことはご存知だと考えます。
慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづるhttp://mainichi.jp/select/news/20130807k0000m040125000c.html
昭南博物館のスタンプが押された日記
【ソウル澤田克己、大貫智子】第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。男性は、1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、44年末に朝鮮へ戻った。慰安所従業員の日記の発見は、日韓で初めて。旧日本軍による従軍慰安婦問題では、数十年たってからの証言が多いが、現場にいた第三者による記録は、冷静な議論をする上で貴重な資料と言える。
朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。堀和生京大教授と木村幹神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。
日記は、朝鮮半島南東部・慶尚南道(キョンサンナムド)出身の男性が、ビルマとシンガポールの慰安所で働いた43、44年に記した。漢字やカタカナ、ハングルで書かれている。
男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった。
男性は、43年7月10日に「昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」と記述。44年4月6日には「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」と書いた。
ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける。
安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。
また、日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(同29日)などと、慰安所や慰安婦と軍の関係が記されている。
一方、「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」(43年8月13日)、「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」(44年10月27日)など、日常生活の一端がうかがえる内容もあった。
毎日新聞 2013年08月07日
>第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった
戦後68年も経って韓国で発見ねぇ^^
8月7日付の朝鮮日報は、「慰安婦:慰安所管理人の日記発見、性的奴隷の実態明らかに」というタイトルの記事を掲載しました。
朝鮮日報によると、「従軍慰安婦の動員に日本政府や日本軍が関与しなかった」という主張を全面的に否定する、新たに発見された資料だそうです。
しかし、韓国メディアが騒いでいる「性的奴隷の実態」を証明する新たな資料ではありません。
まず証明されたのは、ビルマとシンガポールで慰安婦を管理していたのは朝鮮人ということで、日本軍が管理した性的奴隷はいないのです。
>安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手
10年も公開しなかったのか^^
安秉直とは、慰安婦について韓国挺身隊問題対策協議会と共同で調査し、途中でやめた学者です。
この調査で強制慰安婦と認定したのが、朝日新聞が身売りを強制と捏造した金学順と、売春で稼いだ大金を郵便貯金していた文玉珠です。
安秉直は韓国紙のインタビューで、
「強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」「3年活動してからやめた理由は、挺身隊対策協の目的が慰安婦の本質を把握して今日の悲惨な慰安婦現象を防止することではなく、日本とケンカすることだったからだ」
とコメントしました。
安秉直は「慰安婦強制動員を否定した」と韓国内で反発を買いました。
■ 動画
安秉直(ソウル大)が否定する慰安婦の強制連行(動員)
>男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった
死人に口なしか^^
当時は、朝鮮人が朝鮮人女性を騙したり誘拐したりと、犯罪により朝鮮人女性を慰安所に売り飛ばしていたので、犯罪行為を日記に書けなかったのでしょう。
>ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける
何が問題なんだ^^
当時、外地に渡った民間人の記録が残っているのは当然で、また、物資などを外地に運ぶ船舶、海軍徴用船に慰問目的の民間人が乗船したこともあります。
>「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」
>「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」
どっちなんだ^^
学者としての正論を通すのか、韓国人として生きるのか、安名誉は迷っているようです。
>「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」
春代と弘子は朝鮮人なのか^^
ここで証明されたのは、当時の慰安婦には結婚が許されていたことで、性的奴隷ではありません。
1992年7月に日本政府は、旧日本軍が慰安所の設置や管理に関与した事は認めています。
但し、ここでいう関与とは、慰安所の開設の許可・施設の整備・利用時間や料金を定めた規定の作成などです。
また、軍医による慰安婦の健康検査などのことです。
つまり、夫の部隊が進軍しても夫が戦死しても、兵站はその妻の戦地残留を自由意志とし、再び慰安婦として大金を稼いだのです。
>「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」
性的奴隷が映画鑑賞か^^
「テキサス親父」が米国立公文書館から取り寄せた米軍の報告書にもありましたが、慰安婦達は日本軍人とスポーツや宴会などをしていました。
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>「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」
性的奴隷が郵便貯金か^^
大東亜戦争当時、陸軍大将の俸給は年間約6600円(月給550円)で、二等兵は年間約180円(月給15円)でした。
ここで証明されたのは、陸軍大将の月給とほぼ同額、二等兵の年収3年分以上の大金を慰安婦は稼ぎ送金できたことで、性的奴隷ではありません。
この朝鮮人男性の日記は、日本語訳を作った1943年から44年分だけで10万字以上になるそうです。
公開した日記で、名前の一部を伏せ字とした慰安婦には金学順と文玉珠もいるようですが、これら慰安婦のどこが性的奴隷なのでしょうか?
戦地で日本軍と民間人や慰安所に関係があるのは当然のことで、日本軍が慰安婦を管理した証拠にはなりません。
それに、軍人の避妊具使用や慰安婦が病気などで入院できたこと、送金や廃業、外部との連絡や帰国の自由が認められていたことが記されています。
慰安婦を管理していた朝鮮人男性も、莫大な預金・送金をしています。
慰安所従業員の日記 抜粋
◇1943年
1月13日 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。
1月25日 横浜正金銀行ラングーン支店で3万2000円を貯金した。
4月 5日 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。
7月16日 村山氏の慰安所の慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、今日、鈴木病院に入院したが流産だった。
8月10日 ラングーンの翠香園で慰安所組合会議に出席した。組合費として経営者は30円、慰安婦は1人2円で計62円を払った。
◇1944年
2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。
3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。
4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。
4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。
6月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。
6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと2回も電報が来た。
6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。
9月 5日 <倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。>
10月25日 スマトラのパレンバンからシンガポールに来た宮本と<第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が今般結婚した。今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。>
12月16日 横浜正金銀行に行き、許可された3万9000円を送金し、検疫所に行って検疫証明書をもらった。13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。
韓国メディアが「従軍慰安婦を証明する資料を発見」と騒ぐ時は、慰安婦が売春で日本軍人から大金を稼いでいたと証明する証拠ばかりです。
2012年11月に韓国のMBNテレビは、「日本政府と軍隊が慰安婦を直接管理したという証拠を独自に入手しました」と報道しました。
しかし、独自に入手した証拠とは、朝鮮人慰安婦の文玉珠の軍事郵便貯金の資料のことで、日本軍人相手に売春で大金を稼いだという証拠でした。
※ 当時の貨幣価値
・総理大臣月給 800円(東条英機)
・陸軍大将月給 550円
・大卒初任給 40円~100円
・一般日本兵月給 15~25円
━━絶対に越えられない壁━━
・慰安婦の月収 1000円~2000円(アメリカ軍の調書)
・元慰安婦、文玉珠の2年3ヶ月の郵便貯金26145円
現地で贅沢品を消費しながら、26,145円(現在の貨幣価値で約6千万円)を約2年で貯金した売春婦!
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日本軍性的奴隷は存在しないので証拠がないのは当然ですが、何でも都合の良いように解釈し歪曲するのが韓国です。
良識ある日本国民の皆様、慰安婦についてご考慮下さい。
韓国は追軍売春婦と認めろ!
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