参院選挙後、日本は憲法改正、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)など、多くの重要事案の解決に取り組まなければならない。そのとき、日本人と日本国がなすべき課題を無自覚に先延ばししたり、自主独立国としての揺らがぬ心構えを欠いたりする場合、日本は中国に席巻されかねない。彼らの風下に立たされ、屈辱を味わわされることも覚悟しなければならない。そのことを中国人の「学び」を通して感ずるのである。
米国の調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査で、日本に「非常に悪い印象を持っている」と答えた中国人は74%、韓国人は38%だった。「余りよくない印象」を合わせると、中国人が90%、韓国人が77%で、中韓両国は反日気運の真っ只中にある。
日本嫌いの極致をいくかのような中国で、ここ10年ほど、奇妙な日本ブームが起きている。ルース・ベネディクトの『菊と刀』の翻訳ラッシュに象徴される日本精神の研究ブームである。明星大学教授で教育問題の専門家として知られる高橋史朗氏によると、少なくとも50種類以上の翻訳が出ているそうだ。
『菊と刀』は中学3年生の時に、雪深い長岡で読んだ。それにしてもなぜいま中国で『菊と刀』なのか。なぜ、嫌いなはずの日本研究なのか。
高橋氏の説明は以下のとおりだ。小泉純一郎首相のとき、どれだけ中国が反対しても、小泉氏は靖国神社に参拝し続けた。実利という意味では全く利益につながらない、むしろ実利を損なう靖国参拝に日本人は拘り続けた。中国があれほど脅しても、めげずに参拝を続ける首相と、高い支持率でその首相を支え続けた日本人とは一体なんなのか。なぜだ、という大きな疑問への答えを中国人は見出せず、その答えを求めて『菊と刀』の研究が始まったという。
■みな中国が教えたもの?
『菊と刀』の熱読に拍車をかけたもうひとつの理由があの3・11だったと高橋氏は指摘する。
「震災後、進んでボランティア活動に参加した中国人留学生はほとんどいなかったそうです。対照的に日本人は本当に多くの人々が、学生も含めてボランティア活動に集まりました。被災者同士も、少しでも力のある人が弱い人を助けました。極限状況の下で互いに助け合った日本人の姿を見て、中国人は感動し、中国が失ったものが日本に残っていると考えるに至ったのです」
なぜ、日本人の心はこれほど美しいのかと彼らは考え、その疑問が『菊と刀』の研究をさらに深めることになったという。ただ彼らは、日本人の優れた資質はみな中国が教えたものだと考えるとも、氏は指摘する。
中国の儒教思想を受け継いだから日本人は優れた利他の精神を身につけた。遣隋使が儒教文化を日本に持ち帰った後、聖徳太子は十七条憲法を制定し、「和を以て貴しと為し、忤ふること(争うこと)無きを宗とせよ」としたが、これは孔子の『論語』の精神だというような解釈だ。
中国人は日本人の心が知りたくてたまらない。90%が日本人は嫌いだとしながらも、或いは、日本人の良さは本来、自分たち中国人が教えてやった徳性によるものに違いないと考えつつ、なぜ、日本人はあのように自分たちと違うのかと思い惑い、『菊と刀』が幾十種類もの翻訳本となって書店に平積みされるに至ったというのだ。
「しかし、内容はかなり好い加減です。タイトルも章立てももともとの『菊と刀』とは似ても似つかぬものがあったり、無関係の『南京大虐殺』の偽写真などが200枚以上も掲載されていたりします。櫻井さんが書いた昔の『諸君!』の記事もなぜか、そこに入っています」
高橋氏はこう言って笑う。
中国問題に詳しいジャーナリスト、富坂聰氏は日本研究は実は昔から盛んで、日本の本は中国ではとてもよく売れると語る。
「松下幸之助や本田宗一郎など日本の経営者に関する本はいずれもブームを起こしました。日本人を罵倒する言葉として日本鬼子というのがあります。鬼という言葉には、地域を牛耳る強力な人間、ワルだけれど能力の高い者という意味があります。中国人は、日本人を嫌いながら同時に裏では凄く認めているのです」
中国人は相手が自分より下だと思えば限りなく横柄になるが、自分より優れていると認めるときには、たとえそれが日本人であっても大いに学ぶという。
「彼らの学びの姿勢には、感心します。とりあえず勉強してみるなどというものではなく、目標を定めて極めて貪欲にやってきます。中国では生き残ること、とりわけ人より秀でて競争に勝つことが、本当に、大変なのです。ですから、学びも半端ではありません」
中国人を見ていて、実は私もそう思う。学んだことを実行するか否かは別にして、中国人は実によく学ぶ。
たとえば、海軍力を強化し、現在の軍事大国の基礎を築いた中国海軍の父、劉華清は、『海上権力史論』を著した米国海軍大学校校長のアルフレッド・セイヤー・マハンを貪欲に研究した。
■私たちの負の側面
中国は、ソ連はなぜ崩壊したかを研究しその轍を踏まないために、改革開放は経済にとどめ、決して政治改革は行わないできた。
中国共産党が紅い貴族といわれ、腐敗が中国社会の深刻な病理となったいま、中国政府は8200万の共産党員全員に、フランスの思想家、トクヴィルの『旧体制と大革命』を読むように命じた。それは、フランス貴族の腐敗が血塗られたフランス革命につながったとの記述を含む書であり、中国共産党が下からの革命によって血の粛清を受けなくて済むよう、危機を回避するための学びであろう。
中国政府や中国人の学びは、栄枯盛衰に直結する状況下で行われるために自ずと真剣にならざるを得ないといえば大袈裟であろうか。13億の人間が競うのである。8200万人の共産党員がいて、彼らは世に類例のない腐敗と、その腐敗の中から生まれた繁栄の中で、生きているのである。ほんの少しの油断が命取りになる世界の中に彼らはいるのだ。
子供時代に学校で競争することを否定され、皆平等だと教えられ、弱く儚いことは否定されず、むしろ美しいこととされ、手厚く保護されるわが国の文化文明の中での学びとは、自ずとその貪欲さにおいて異なる。
私は中国人の学びが出鱈目だとしても、その学びの姿勢に敬いの気持さえ抱く。中国人が日本人の徳性に注目する間に、私たちは、3・11の瓦礫の引き受けを拒否する醜い身勝手さに陥った。弱いことを武器として利用する狡猾さも目につく。こんな私たちの負の側面を、私たちは正さなければならないと中国人の必死の姿を見て、痛感させられる。(週刊新潮)
米国の調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査で、日本に「非常に悪い印象を持っている」と答えた中国人は74%、韓国人は38%だった。「余りよくない印象」を合わせると、中国人が90%、韓国人が77%で、中韓両国は反日気運の真っ只中にある。
日本嫌いの極致をいくかのような中国で、ここ10年ほど、奇妙な日本ブームが起きている。ルース・ベネディクトの『菊と刀』の翻訳ラッシュに象徴される日本精神の研究ブームである。明星大学教授で教育問題の専門家として知られる高橋史朗氏によると、少なくとも50種類以上の翻訳が出ているそうだ。
『菊と刀』は中学3年生の時に、雪深い長岡で読んだ。それにしてもなぜいま中国で『菊と刀』なのか。なぜ、嫌いなはずの日本研究なのか。
高橋氏の説明は以下のとおりだ。小泉純一郎首相のとき、どれだけ中国が反対しても、小泉氏は靖国神社に参拝し続けた。実利という意味では全く利益につながらない、むしろ実利を損なう靖国参拝に日本人は拘り続けた。中国があれほど脅しても、めげずに参拝を続ける首相と、高い支持率でその首相を支え続けた日本人とは一体なんなのか。なぜだ、という大きな疑問への答えを中国人は見出せず、その答えを求めて『菊と刀』の研究が始まったという。
■みな中国が教えたもの?
『菊と刀』の熱読に拍車をかけたもうひとつの理由があの3・11だったと高橋氏は指摘する。
「震災後、進んでボランティア活動に参加した中国人留学生はほとんどいなかったそうです。対照的に日本人は本当に多くの人々が、学生も含めてボランティア活動に集まりました。被災者同士も、少しでも力のある人が弱い人を助けました。極限状況の下で互いに助け合った日本人の姿を見て、中国人は感動し、中国が失ったものが日本に残っていると考えるに至ったのです」
なぜ、日本人の心はこれほど美しいのかと彼らは考え、その疑問が『菊と刀』の研究をさらに深めることになったという。ただ彼らは、日本人の優れた資質はみな中国が教えたものだと考えるとも、氏は指摘する。
中国の儒教思想を受け継いだから日本人は優れた利他の精神を身につけた。遣隋使が儒教文化を日本に持ち帰った後、聖徳太子は十七条憲法を制定し、「和を以て貴しと為し、忤ふること(争うこと)無きを宗とせよ」としたが、これは孔子の『論語』の精神だというような解釈だ。
中国人は日本人の心が知りたくてたまらない。90%が日本人は嫌いだとしながらも、或いは、日本人の良さは本来、自分たち中国人が教えてやった徳性によるものに違いないと考えつつ、なぜ、日本人はあのように自分たちと違うのかと思い惑い、『菊と刀』が幾十種類もの翻訳本となって書店に平積みされるに至ったというのだ。
「しかし、内容はかなり好い加減です。タイトルも章立てももともとの『菊と刀』とは似ても似つかぬものがあったり、無関係の『南京大虐殺』の偽写真などが200枚以上も掲載されていたりします。櫻井さんが書いた昔の『諸君!』の記事もなぜか、そこに入っています」
高橋氏はこう言って笑う。
中国問題に詳しいジャーナリスト、富坂聰氏は日本研究は実は昔から盛んで、日本の本は中国ではとてもよく売れると語る。
「松下幸之助や本田宗一郎など日本の経営者に関する本はいずれもブームを起こしました。日本人を罵倒する言葉として日本鬼子というのがあります。鬼という言葉には、地域を牛耳る強力な人間、ワルだけれど能力の高い者という意味があります。中国人は、日本人を嫌いながら同時に裏では凄く認めているのです」
中国人は相手が自分より下だと思えば限りなく横柄になるが、自分より優れていると認めるときには、たとえそれが日本人であっても大いに学ぶという。
「彼らの学びの姿勢には、感心します。とりあえず勉強してみるなどというものではなく、目標を定めて極めて貪欲にやってきます。中国では生き残ること、とりわけ人より秀でて競争に勝つことが、本当に、大変なのです。ですから、学びも半端ではありません」
中国人を見ていて、実は私もそう思う。学んだことを実行するか否かは別にして、中国人は実によく学ぶ。
たとえば、海軍力を強化し、現在の軍事大国の基礎を築いた中国海軍の父、劉華清は、『海上権力史論』を著した米国海軍大学校校長のアルフレッド・セイヤー・マハンを貪欲に研究した。
■私たちの負の側面
中国は、ソ連はなぜ崩壊したかを研究しその轍を踏まないために、改革開放は経済にとどめ、決して政治改革は行わないできた。
中国共産党が紅い貴族といわれ、腐敗が中国社会の深刻な病理となったいま、中国政府は8200万の共産党員全員に、フランスの思想家、トクヴィルの『旧体制と大革命』を読むように命じた。それは、フランス貴族の腐敗が血塗られたフランス革命につながったとの記述を含む書であり、中国共産党が下からの革命によって血の粛清を受けなくて済むよう、危機を回避するための学びであろう。
中国政府や中国人の学びは、栄枯盛衰に直結する状況下で行われるために自ずと真剣にならざるを得ないといえば大袈裟であろうか。13億の人間が競うのである。8200万人の共産党員がいて、彼らは世に類例のない腐敗と、その腐敗の中から生まれた繁栄の中で、生きているのである。ほんの少しの油断が命取りになる世界の中に彼らはいるのだ。
子供時代に学校で競争することを否定され、皆平等だと教えられ、弱く儚いことは否定されず、むしろ美しいこととされ、手厚く保護されるわが国の文化文明の中での学びとは、自ずとその貪欲さにおいて異なる。
私は中国人の学びが出鱈目だとしても、その学びの姿勢に敬いの気持さえ抱く。中国人が日本人の徳性に注目する間に、私たちは、3・11の瓦礫の引き受けを拒否する醜い身勝手さに陥った。弱いことを武器として利用する狡猾さも目につく。こんな私たちの負の側面を、私たちは正さなければならないと中国人の必死の姿を見て、痛感させられる。(週刊新潮)