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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]伝えるべきことを伝えず、国民を誘導するマスコミ。TBS『報道特集』の「玉砕神話の原点アッツ島を行く」

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玉砕神話の原点 アッツ島を行く
玉砕という言葉の原点、アッツ島の戦い。兵士たちの死はいかにして美化されていったか? 生き残ることが許されなかった日本兵の運命。70年目の悲劇の島は・・・。2013.8.3 TBS「報道特集」)
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TBSの関口宏が司会の「サンデーモーニング」は左思想のど素人のようなコメンテーターを揃え、保守系を一切招かずに、自分たち左系仲間同士が左に偏ったものの見方の主張を、いかにも正しいかのように話していますが偏り過ぎています。
 
記事の「報道特集」も同じように左翼思想と反日思想で作り上げた番組で、左と在日だけを視聴者の対象にしたような番組です。
ですから当然、「美化されて」「生き残ることが許されなかった日本兵」「悲劇の島」という言葉自体でこの番組が言わんとしていることが早わかりします。
 
毎年、8月になると戦争関係の番組を取上げます。しかしその内容は自虐史観に基づいて、「日本が悪かった」という結論ありきなのです。
 
番組ではこのように主張していました。
「昭和17年、日本軍がミッドウェー海戦に敗れたことは隠し、何も意味のないアリューシャンのアッツ島に日本軍を進攻させ、華々しい戦果を挙げたということを国民に知らせたかったからだ」
「アッツ守備隊は援軍の要請をしたにもかかわらず大本営は見捨てて玉砕するように強要した。生き残ることが出来なかった日本兵は無能な大本営の犠牲になった」
「報道特集」が如何に事実に反し、肝心な事実を報じないか、アッツ島での経緯をわかりやすくたどってみます(赤字が反論)。・・・
 
アリューシャン列島というのは夏は濃霧、冬は暴風雪が荒れ狂い、世界で最も軍事行動に不向きな場所です。しかし、アッツ島とキスカ島はミッドウェー作戦の時に米ソの連絡遮断と敵の航空基地利用を阻止するために進められたものです。
特にこの時期、日本軍はガダルカナル島で激闘の末に撤退、米軍はニューギニア島に侵攻し、米軍の反攻を察した大本営は北方の護りを固めるために、アッツ島、キスカ島に対して守備隊の増強を図りますが、米軍による輸送船の撃沈で思うように輸送できず、アッツ島では約2000人の日本軍で、約20000人の米軍を迎え撃たねばならなくなりました。
 
アッツ守備隊は北海道第7師団から分派され、守備隊長の山崎保代大佐は4月18日にアッツ島に着任します。しかし、512日、米軍がアッツ島に反攻してきました。アッツ島はすでに敵艦隊が取り巻き、日本軍の撤退は事実上不可能でした。
 
アッツ島はこの時期、霧の季節で雪山の肌は霞み、しかも残雪のあるツンドラ地帯です。寒さを経験していない米兵士たちは悲鳴を上げます。
そのような中でも山崎大佐以下、日本の将兵は士気旺盛であり、一歩も後にはひきません。予想に反する日本軍の反撃を受けた米国軍の第7師団ブラウン師団長は、ついには怖気づき「アラスカの第4連隊を送ってくれ」と救援を要請しました。
 
それに対してキンケイド提督は「敵は無勢、味方は多勢なのに援軍を頼むとは何事か」と怒り、即日ブラウン師団長を解任し、ランドラム少将と交代させました。
日本軍のあまりの強さに米軍は予想を超えた苦戦を強いられます。
 
しかし日本軍は補給のめどが立たず、一兵の援護、一発の弾丸、一粒の米も望めない状況でした。いかに精強な山崎部隊でもこれでは勝ち目はありません。
ついに山崎大佐は残存兵力200人弱を率い、遂に夜襲を行うこととし、北方軍司令官あてに最後の打電をしました。
 
5月29 14:35
「敵陸海空の猛攻を受け、第一線両大隊は殆ど壊滅。辛うじて本一日を支ふるに至れり。夜戦病院に収容中の傷病者はその場に於て、軽傷者は自ら処理せしめ重傷者は軍医をして処理せしむ。非戦闘員たる軍属は各自兵器をとり、陸海軍ととも一隊を編成、攻撃隊の後方を前進せしむ。ともに生きて捕虜の辱めを受けざる様覚悟せしめたり。他に策無きにあらざるも、武人の最後を汚さんことを恐る。英魂とともに突撃せん」
 
29日、天皇陛下は山崎部隊の奮戦と決意に対してお言葉を賜り、参謀総長、陸相は早速これを伝達するとともに次の感謝電を送りました。
「今や最後の関頭に立ち、毅然たる決意と堂々たる部署の報に接し、合掌して感謝す・・・。必ずや諸子の仇を復し、屈敵に邁進せん」
 
529 19:35
「機密書類全部焼却、これにて無線機破壊処分す」
山崎大佐はこの1電を最後に連絡を絶ちました。
 
山崎大佐は「玉砕して英魂となりてのちも尚、護国に赴かん」と言い、全軍突撃の命令を発しました。
 
この時の山崎大佐の突撃について、アッツ島で米軍第一戦中隊長のハーバード・ロング中尉はこう語りました。
「私は自動小銃を小脇に抱えて立った。霧が立ちこみ、100メートル以上は見えない。ふと異様な物音が響く。敵の襲撃かと思い、よく見ると300から400人くらいの一団が近づいてくる。先頭に立っているのが山崎部隊長だろう。
右手に日本刀、左手に日の丸を持っている。どの兵隊もボロボロの服を身につけ、青ざめた形相をしている。手に銃のない者は短剣を握っている。最後の突撃というのに皆どこかを負傷していて、足を引きずり、膝をゆするようにゆっくり近づいてくる。我々は身の毛がよだった。・・・」
 
米軍は3日間で陥落させる予定でしたが、思いがけない日本軍の大反撃を受け、
多くの犠牲を強いられた上で、アッツ島を奪うことができました。
日本軍の鬼神にも勝るその奮闘ぶりは、「日本武士道の精粋なり」として、その後の米国やソ連で感銘を受けたといいます。
 
アッツ島の山崎大佐から大本営宛ての最後の電報について、杉山参謀総長は宮中に参内し、陛下に奏上しました。 
「自分は、アッツ島守備の大命を拝し守備にあたってまいりましたが、米国海兵隊三個師団が上陸し、任務を全う出来なくなってしまいました。誠に申し訳ありません。明朝を期して全軍で突入しますが、同時に一切の通信機を破壊し、暗号書は焼却します。 皇国の無窮をお祈りしております」
 
陛下はこの報告を静かに聞かれ、そして、いくつかの質問をされた後、最後に、
「アッツ島の山崎部隊長に電報を打て。アッツ島部隊は最後まで非常によくやった。そう私が言っていた、と打て」

 
「しかし、すでに山崎部隊は玉砕した後で、もうこの世にはいません。またたとえ電報を打ったとしても、通信機も壊されていますから絶対に届くはずがありません」
畏れながらもそのように申し上げると陛下は、
「届かなくてもいいから、電報を打ってやれ」
陛下の御心に触れた報告者は、はっとしたその瞬間に涙があふれ出て止まらず、陛下のお言葉を手帳に書き写すこともできなくなったといいます。・・・
 
このような先帝陛下の御心、援軍は出してもことごとく撃破されたこと、何より山崎部隊長はじめ日本軍は米ソから「日本武士道の精粋なり」と称賛されたこと、そういう報道すべきことを全く無視して国民が何も知らないと思っておかしな誘導をした「報道特集」でありました。
 
(山崎部隊長の辞世の文)
部隊の長として遠く不毛に入り骨を北海の戦野に埋る。
真に本懐に存じ候況や護国の神霊として悠久の大義に生く。快なる哉    
山崎大佐
 
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                            山崎部隊長
 
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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