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宮城前で天皇皇后両陛下(新憲法公布記念祝賀都民大会)
歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
国家基本法に不都合な祖国永久劣弱化条項
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高知大学名誉教授 福地惇
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(マッカーサーは)自分が起草して下賜した理想的憲法だと特記したいが、ポツダム宣言を思えばさすがにそうは言えず、例によって極東委員会の天皇制壊滅の脅威を回避させよ、とするGHQの援助と助言に従い日本人が制定したのだと偽証している。
かくして、最高司令官の恣意により「國體」は壊滅され、GHQ阿諛迎合者がそれを正当化する応援運動に勤しんだというのが歴史の事実である。
しかも、日本人は野蛮だと罵倒しながら、実は遵法精神に富んでいることを知っていて、“元帥欽定憲法”が将来廃棄されないように細工を加えた。
憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と謳う「憲法尊重擁護の義務」条項だが、憲法制定の事情を理解すれば、この条項が持つ高度に政治的な含意は明らかである。批判や改正議論すら容易に許さない条項で、憲法施行後、半世紀余り、1条、一句、一時たりとも改正・修正がなかった原因の一つである。
近代立憲君主制は「法治主義」の上に成立する。「法治国家」なら自明の不文律的法倫理=「法律遵守義務」をわざわざ憲法の条項に明記したところに、軍人マッカーサーのたくましい「詭道」を感知せざるを得ない。
国家の尊厳と権益・国益を守ることは政府の重大な責務である。国際情勢の趨勢によっては、政府は重大な決断と行動に出ざるをえぬ場合(「国権の発動」)がある。近代憲法は祖国の独立主権の尊厳を守り高め、国民の安泰を維持・発展させることを目的にする。永久に主権を制限して(されて)「半国家」に甘んじたい、強国に隷従して「属国」であり続けたい、経済発展すればそれでよいという憲法を自ら選択した国がかつてあっただろうか。
あるとすれば、我らが護持する日本国憲法がそれに近いのではないか。
前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意した」と謳う。
第9条第1項は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」、第2項は「前項の目的を達するために陸海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と謳う。
これではまともな国家戦略や安全保障構想を立てられず、独立主権国家の尊厳・存立を自力で保証できないのは当然であろう。
その大弱点を保証するのが前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という理念である。
要するに日本国憲法は、我々日本人、日本民族のためのものではなく、被占領国を管理・誘導する占領政府のための「占領管理基本法」と言うべき代物なのである。
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