恭子がウズベキスタンで学んだこと 中山なりあきオフィシャルブログより
日本に残ることになった拉致被害者と北朝鮮に残っていた家族が
どこで会うか問題になったことがあった。
地元の宮崎でたまたま朝早く目が覚めてTVのスイッチをいれた。
家族が北京で会うのに反対しているのは中山参与だけだというニュースが流れた。
これはいけないと思い、起きてくれと祈りながら東京に電話した。運よく起きてくるた。
もし、北京で会うことになったら、北朝鮮は眠り薬を飲ませてでも強引に家族全員を北に連れ帰り、家族で相談した結果、北朝鮮に住む事に決めたと記者会見させるだろう。それで一件落着と考えていたのではないか。
独裁国家では何でもできる、何でもする。
それがウズベキスタンという独裁国家ソ連から独立したばかりの国に
勤務した中山大使が学んだことであった。
恭子はすぐ曽我ひとみさんと連絡をとり、北京以外の処で会いたいと
いうコメントを出した。
そして、ジャカルタで会うことになった。
平城に迎えに行った恭子は、機内を二つに分け、
付いてきた北朝鮮の監視員が家族と接触するのを禁じた。
ジャカルタのホテルでも14階を貸し切りにして、完全に北朝鮮と遮断した。
そしてもう日本の保護下にあるから安心という雰囲気の中でどちらの国を
選ぶかを決めさせた。
監視員達はエレベーターを蹴飛ばしたり大変だったらしい。
以上、中山恭子の素顔に迫ってみました。
私のことが出すぎた感があることをお許し下さい。
なお恭子には無断で記憶に頼って書きましたので、
あるいは事実と違う点があるかもしれません。
長らくお付き合いいただきまして有難うございました。
中山成彬氏は日本維新の会の共同代表、橋下のことを
「橋下代表」と呼んだことはなく、「橋下市長」と呼んでいると、かつて私もチャンネル桜の討論動画で見たことがある。
これが問題となって、橋下から離党命令が出たり、撤回されたりと、
色々目まぐるしく変わったが、結論として、その発言は「あった」のは間違いなかったw
エセ保守の橋下を中山氏には「代表」とは言いたくないだろう。
維新の会を分裂させたいマスゴミの意図はミエミエだが、
拉致問題解決に向けて、オールジャパン体制で戦って欲しいと思う。
それこそが日本人の生命・財産を守れる国家であり、日本人の誇りも守ることが出来る国だ。
今回の選挙で自民が圧勝したことにより、経済政策も期待したいが、私はなによりも拉致問題の解決を期待している。
そのためにはやはり中山恭子氏は絶対必要だ。
中山夫婦、安倍首相、古屋拉致担当大臣、このメンバーで解決出来ないようであれば、日本は永遠にムリだろうと思う。
国民の拉致問題解決への意識も高めていくべきだ。