「…戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。…」
軍令部総長・永野修身海軍大将
異国にいて想う日本(2)
-誇りを失った日本-
外国に出れば否が応でも「自分が日本人である」ということを思い知らされます。外国に出て我々が外国の風物を知り、興味を持つように、外国人は目の前に現れた日本人を通じて日本を知ります。外国人が日本人に聞いてくる「日本」の内容は、様々で、その人の知識の深さ、興味の範囲次第です。かつて、まだ旅行者であった私にチエンマイ郊外のある小学校の校長先生が、日本の発展の原因について教諭に話してほしいと言ってきたことがあります。最近では、民主党が政権をとった時、これにより日本はどう変化するのか、と聞いてきた某大手銀行幹部がいました。「米国との関係は疎くなり、より中国に近付くでしょう」と言う個人的予想に、その華人銀行家は微笑みを浮かべて頷きました。また、米国映画に親しみ、英語に堪能なある若い医師は、日本人は「恥」を恐れて「切腹」するのか、と外国映画、小説を通じて思い込み、聞いてくる人がいます。「切腹」の文化について話しても、理解できる土壌がない相手では単に、「それだけじゃない」「切腹とはそんな簡単なものではない」と言うしかありませんでした。時には、「皇室」について聞いてくる人もいれば、日本の仏教、神道、自然、季節の移ろい、食習慣について聞いてくる人もいます。先の大東亜戦争に関しての話、特に相手が華僑であれば「南京事件」が出るかもしれません。
大切なことは、過去、現在の日本及び日本人について、様々な角度から聞いてくる外国人に対して、自信を持って、自分の言葉でどれほど正しい情報発信が出来るかです。
日本で生まれ、日本で育ち、日本の教育を受け、日本での生活に馴染んでいる「普通」の日本人、即ち生の現実の日本社会の中で暮らす一般日本人の中で、あらためて「日本とは」「日本文化について」などと考える人、外国人との問答を想定して予備知識を蓄積しようとする人がどれほどいるでしょうか。「大東亜戦争」すら「太平洋戦争」と米国式に呼び換えられていることにも気付かず、ありとあらゆる機会を捉えて「侵略戦争」と教え込まれ、日本の近現代史は侵略の歴史、軍国主義の歴史と教えられてきた「普通の日本人」が外国人に先の大戦について話す時、どうしても「卑屈」になり「自国を貶める」ことにならざるを得ないが故に沈黙を守らざるを得ない悔しさを感じるのではないでしょうか。時に進んで自らの父祖の行動を辱め、そうした過去を否定した現在を強調したとして、その人を責めることが出来るでしょうか。学校教育の中で「素直」な生徒であれば尚更に「日本帝国主義」「軍国主義」「台湾、朝鮮に対する植民地的侵略」「支那人民に対する非人道的野蛮行為」「満州国傀儡国家」を信じているとしても不思議ではありません。そうは理解していても、自らの国を貶めることに対する「後ろめたさ」故にでしょうか、良識ある日本人は、そうした話題を避けるのではないでしょうか。
ここに教育の恐ろしさがあります。戦後の日本はGHQの政策により一つの単純な図式で社会が変えられ、縛られ、占領軍など既になく、主権回復後60年が経過した今も尚、そのGHQの呪縛は日本を縛っています。GHQが植えつけた新たな価値観には一切の例外は認められなかったのです。その価値観とは「日本=悪」「米国=正義」で、悪は日本軍国主義・日本帝国主義、正義は民主主義とも呼ばれたりしました。これにより、日本は、2600有余年営々と築き上げて来た民族の「歴史」「文化」は、終戦と同時に否定され、「誇り」と言う言葉すら失ったのです。そして、それに代わって新しい歴史として「日本帝国主義の悪行の近現代史」が作られ、「日本的価値観」こそが国民の「自由」と「権利」を奪い、国を滅ぼし、国民を死に追いやった、という物語が作られ、戦後教育の場に於いて繰り返し繰り返し幼い子供に教えられてきました。まさにそれこそが日本を永久に再起させない、という米国政府、GHQの堅い意志でした。
我々はそこに秘められた彼らの「恐怖」を知るべきなのですが、サンフランシスコ講和条約後、主権を回復した我が国は、現憲法の破棄のみならず、GHQの占領政策の洗い直しをすべきにも拘らず、経済至上主義、公職追放令後の左翼の社会進出がそれを阻んできました。彼ら戦勝国、左翼を「恐れさせた」ものとは何だったのでしょうか。それこそ我が民族の「道徳・倫理感」「死生観」であり、日本人の本源的に持つ「奉公」の概念ではなかったでしょうか。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」る我が民族が植民地支配の打破、人種差別撤廃の崇高な目標を掲げた先の大戦は、まさにわが民族の「誇り」ではないでしょうか。
我が国同胞が大陸、半島で受けた苦難の歴史は墨で塗り隠され、度重なる東京無差別大空襲による夥しい数の無垢の民の死は消され、無差別絨毯爆撃による全国各地に降り注いだ「焼夷弾」の被害を言うことは憚られ、広島、長崎に対する原爆投下すら、日本軍の所為であると、実しやかに囁かれても、どれもが明らかな戦争犯罪であるにも拘わらず、全てを心の奥深くに仕舞い込み、腫れ物に触るように、固く封印しています。尼港事件、済南事件、通州事件、通化事件、終戦直後の大陸、半島で受けた悲劇、満州のお町さん、二日市保養所を知る人も固く口を閉じ、存在しない「南京虐殺」の汚名を被せられ、事実に反する「慰安婦」の実態にすら口を閉ざしています。否、事実如何を考慮する以上に自らの思想的フィルターに判断能力を劣化させた人々は、そうした「妄言」をすら利用して自国を責めます。そんな一部の人たちの言動に対して、多くの国民は、全てを悠久の時間の中で解決しようとするかのように沈黙を守ります。理由の如何を問わず、日本国民が日本国を非難・中傷するのであれば、外国の人びとは、それらの虚妄すら「事実」であると判断します。その非を知っていたとしても、それを正すのは日本の「責務」であり、正さないのであれば、自ら「罪」を認めたと判断されても止むを得ないでしょう。いわゆる「河野談話」「村山談話」の呪縛です。「水に流す」日本の文化が「謝罪は損害賠償の根拠」という考えの外国の文化と融合し得るでしょうか。「その場凌ぎ」の謝罪を外国は鬼の首を取ったように永遠に攻撃材料とします。
リンチにも等しい「極東軍事裁判」で一方的に日本を断罪した戦勝国が押し付けた「民主主義」が世に蔓延ると、誰もが平等である、と言う悪平等が生まれ、「民主主義」という名の下で「不敬罪」が廃され、「自由」「平等」「権利」を無批判的に絶対視する風潮の下で「公」が捨て去られ、「私」だけが独り歩きします。社会の基礎である「家族」が「個人」に分解されると、「親子」は上下関係として否定され、「尊属殺人罪」が廃されました。「権利」が強調されて「義務」が悪魔のように唾棄されると、「納税の義務」以上に「福祉を受ける権利」が声高に叫ばれ、「国に尽くす」ことが前近代的として退けられ、「国が国民に尽くす」ことこそ民主主義だと喧伝され「国に対する要求」のみが世に蔓延りました。「個人」を「国家」の対極に置くようになると、「個人の国家に対する責務」は捨てられ、「国家の個人への責務」だけが声高に叫ばれます。それは、汗水流して懸命に働く多くの日本人を嘲笑うかの様に「労せず」して「文化的な暮らし」を求め、手に入れさせます。
満開の桜の花を愛でる民族は多数いるでしょうが、風に舞い散り落ちる桜の花に「哀れ」を感じ、そこに「美」を感じる民族が日本人以外にどこにいるでしょうか。日本語の正しい使い方、漢字の書き方、読み方、意味を教えるより、英語教育に時間を割くことは、民族の根本である「言語」封殺に繋がります。「特攻」についての正しい知識無くして「日本人の死生観」は理解できず、「特攻」を単に「外道」と切り捨て「無駄死に」と唾棄すれば、靖国神社は否定され、日本国の為に散った無数の尊い命は全て無駄死にとなります。そこに流れる大和民族の「倫理観」「死生観」を今こそ思い起こすべきです。「武士道とは死ぬことと見つけたり」ここに語られている日本人の死生観は、「死を逃れる為に自らの責務を放棄する」ことを戒め、「死をも平然と受け入れてでも尚なすべき責務」があることを教えています。それこそ「自らの命より尊い」ものを守る為には「死をも受け入れる」と言う「日本人の倫理観」であり、「死生観」ではないでしょうか。そして、そうした日本人の「美学」「倫理感」「価値観」「死生観」が、日本の近代化を成功させ、廃墟の中から不死鳥の如く国を蘇らせ、巨大な経済力を持つまでに復興させました。しかし、経済力を誇り、先進技術を誇っても、代わりに自らの足場を失ったことを思い知らされているのが日本の現状ではないでしょうか。戦後の飢えを克服し、アメリカの豊かな生活に憧れ、廃墟の町に生活の息吹を取り戻すことに懸命に働いてきた戦後の60有余年。それらを成し遂げた今、我々は自らの歴史を忘れ、文化を忘れ、国を忘れていたことに気付かないのでしょうか。忘れていた、と言うことは、正しくないかもしれません。それは、「国を思い」「誇りを守る」ことを悪と教えられてきたのですから。
とはいえ、どれほど戦後の自虐教育に汚され「日本=悪」と刷り込まれても、わずか70年に満たない時間の中で、2670有余年の歴史を有する民族の精神構造そのものを根本から覆すことはできません。民族の根っ子である「文化」はそれほど弱いものではありません。しかし、決して残る時間が十分にある分けでもありません。海外で暮らす人たちの中で、日本にいた頃には意識しなかった「日本」を意識し、無関心であった政治に関心を持つようになるのは、こうした現地の人たちとの交流の中で、自らの中に生まれる疑念を解こうとする自然発生的な努力故ではないでしょうか。体の中に流れる先祖代々受け継がれてきた日本人としての「血」は、先祖の名誉を汚すことを喜びません。「教育」で得た「知識」と「血の叫び」の葛藤の中で自らの出自を尋ねることになります。
自分たちの祖父母・両親は、許すことのできない悪逆非道の極悪人でしょうか?
沖縄渡嘉敷村守備の赤松隊長は、自らが集団自決を促す軍命令を発した、とすることで渡嘉敷村の村民たちが遺族補償を受けることが出来るなら、と軍命令などなく、むしろ村民の後方への避難を督励したにも拘らず、自ら汚名を被り、渡嘉敷島民の為に「集団自決の軍命令の存在を認める」文章に署名しました。また、太田少将は、民間無線が不通であることを知り、代わって軍規違反の軍用通信施設を使用して業務報告し、その最後に「沖縄県民かく戦えり」と県民の協力に心より感謝し、「県民に対し、後世特別のご高配を賜らんことを」と文書を結んでいます。そして、その通り、今も沖縄には「特別の高配」が続いています。我々は、先人たちの残したこうした「日本の心」を知らされないまま「首を垂れて」日々平々凡々と過ごしています。「外からの非難」には、事の有無、是非は別にして「謝罪」し、自らが受けた「屈辱」は「水に流し」「蓋をして隠し」「歴史から抹消して」きた戦後の日本人です。日清戦争の勝利の喜びも束の間、三国干渉という「屈辱」を「臥薪嘗胆」で耐えた明治の先人は、遂にロシアを倒すことが出来たのです。卑屈になった現代の日本国民は、失った「誇り」をいつ「誇り」を取り戻すのでしょうか。
現身は とはの平和の 人柱 七たび生まれ 国に報いむ
木村兵太郎陸軍大将
とこしへに わが国護る 神々の 御あとしたひて われは逝くなり
板垣征四郎陸軍大将・陸軍大臣