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[転載]天皇陛下 ご動静

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検査入院を終えあそばされ、宮城(皇居)に戻りあそばされた天皇陛下 御尊影=12日午後




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検査入院を終えあそばされ、東大病院を出られる天皇陛下、皇后陛下 御尊影=12日午後、東京都文京区






君が代



謹んでお伝え致します。


ご不例にて
東京大学医学部付属病院(東京都文京区)に検査入院あそばされておられた畏くも天皇陛下が12日午後2時ごろ退院あそばされた。
宮内庁は12日、天皇陛下が11日に東京大学医学部付属病院(東京都文京区)で受けた心臓の冠動脈造影検査の結果、昨年見つかった冠動脈の狭窄(きょうさく)に進行が見られたため、今月18日に同病院で心臓のバイパス手術を受けられると発表しました。
畏くも天皇陛下におかせられましては、1年前に同様の検査で見つかった狭窄がやや進行しており、専門医が協議した結果、生活のさらなる向上のため、バイパス手術が適切だと判断したという。畏くも天皇、皇后両陛下も了承あそばされた。
宮内庁発表によると、
手術は午前中に始まり、5時間程度かかる見通しで、順調に回復すれば2週間程度で退院できるとする見通しを示しました。



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天皇陛下 御尊影

東京大学医学部付属病院で18日に心臓の冠動脈のバイパス手術を受けあそばされる見通しとなった畏くも天皇陛下におかせられましては、宮内庁は12日、13日以降予定している公務の日程を当面は変更しないと発表しました。
 宮内庁によると、13日午後には東京・上野の東京国立博物館で「北京故宮博物院200選」を皇后陛下とご覧あそばされる。15日は駐日大使夫妻との午餐(昼食会)、検察関係者の拝謁などがあり、連日ご公務が予定されています。

首相や最高裁長官の任命など憲法が定める「国事行為」をはじめ、畏くも天皇陛下のご公務、ご活動は多岐にわたります。
 通常毎週火・金曜に行われる閣議の後には、宮城に法律、政令関係の書類などがお手元に届けられ、畏くも天皇陛下は丁寧に書類に目を通し、署名や御璽を押印あそばされます。
 宮内庁によると、平成22年の署名・押印は約900件。離任・着任した各国大使や、各界で功労のあった人などの拝謁、茶会などの行事が同年中に約240回行われた。このほか、例年行われる植樹祭、国体といった地方での行事出席や学術・公益団体等の式典へのご出席も日常的に行われている。昨年は東日本大震災の被災地や避難所の行幸啓も加わりました。
宮中祭祀(さいし)は年間約20件に臨まれており、早朝や深夜にかかるものもあります。半数は畏くも天皇陛下ご自身が御告文(おつげぶみ)を奏上される「大祭」です。
 宮内庁は陛下が75歳になられた直後の21年1月、先帝陛下が74歳になられた昭和50年当時と公務の量を比較するデータを発表しましたが、外国賓客らとの会見、引見などは約1・6倍、赴任大使や帰朝大使の拝謁などは約4・6倍、都内や地方へのお出ましは約2・3倍に増加しています。
我々臣民は負担軽減を願っていますが、ご負担軽減が進んでいない背景には、公務を大切にされる畏くも天皇陛下の叡慮でもあられるのです。がん手術を経て退院された15年の記者会見では「公務をしっかり果たしていくことが、病気に当たって心を寄せられた多くの人々にこたえる道であると思っています」。22年には前年の軽減策に言及し、「今のところ、これ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」と叡慮を賜りました。
畏くも天皇陛下におかせられましては、昨年11月のご不例時にも、病室にパソコンを持ち込みあそばされ、式典のお言葉を練られておられました。入院中で行かれなかった行事も、中止でなく「延期」とされたものが目立ち、退院後、すでに一部を行いあそばされておられます。
玉体へのご負担も顧みず、深く大きな慈愛、大御心でありましょうか・・・

畏くも天皇陛下におかせられましては、皇太子時代(小学六年)の昭和20年8月15日、栃木県の奥日光のホテルで先帝陛下の終戦の玉音放送を聴かれた。その時の心境を作文にお書きあそばされた。

今は日本のどん底です。それに敵がどんなことを言って来るかわかりません。こ

れから苦しいこと、辛いことがどの位あるかわかりません。どんなに苦しくても、こ

のどん底からはい上がらなければなりません。それに日本人が、国体護持の精

神を堅く守って、一致して働かなければなりません。今までは、勝ち抜くための勉

強、運動をしてきましたが、今度からは皇后陛下の御歌のように、次の世を背

負って新日本建設に進まなければなりません。

それも皆、私の双肩ににかかっているのです。それには、先生方、傅育官のいう

事をよく聞いて実行し、どんな苦しさにも耐えしのんで行けるだけのねばり強さを

養い、もっともっとしっかりして明治天皇のように皆から仰がれるようになって、日

本を導いていかなければならないと思います。
「次の世を背負って、新日本建設に進まなければなりません」とお書きあそばされておられます。貞明皇太后陛下が昭和一九年に全国の疎開の児童を激励あそばされた御歌「つぎの世をせおふべき身ぞたくましく 正しくのびよ里にうつりて」を引用あそばされ、戦後日本の再建を誓いあそばされたものです。
また、学習院大学に進学なされた今上陛下は、昭和28年3月3日に、昭和天皇の御名代としてイギリス女王エリザベス2世の戴冠式に御出席なさることを主目的に、米国・欧州など13カ国を7ヶ月の日程で初の外遊に出発なされたが、その時に詠まれた御歌が「荒潮のうなばらこえて船出せむ 広く見まはらむとつくにのさま」でした。
昭和五十七年八月七日に、宮内庁の記者との会見で、「日本人の忘れてはならない四つの日」として、次の四つを挙げられました。
(一)昭和二十年八月十五日終戦記念日。
(二)昭和二十年八月六日広島の原爆の日
(三)昭和二十年八月九日長崎の原爆の日
(四)昭和二十年六月二十三日沖縄戦終結の日

そして、「こういう戦争は二度とあってはいけないと強く感じます」と仰られ、先の大戦で亡くなられた戦没者及び遺族に対して「多くの犠牲者とその遺族のことを考えずにはいられません」と、叡慮を賜っています。
畏くも今上陛下におかせられましては、平成六年に硫黄島に行幸啓あそばされ、慰霊行脚をなされた。翌七年には長崎、広島、沖縄を行幸啓あそばされ、慰霊行脚の最後の締めくくりは東京都の慰霊堂でした。また、外国をご訪問される際には、必ず先帝陛下の御陵である武蔵野御陵を御参拝あそばされます。

硫黄島での戦没者慰霊祈願では、多くの犠牲者を出した箇所で慰霊をされました。そして、還幸あそばされる機上で本土へ向かうとき、その慰霊祈願された場所から天に向かって火柱が上がったそうです。それは、今上陛下が慰霊祈願された事への亡き英霊の感謝を示すかのようでした。
硫黄島には、現在自衛隊が駐屯していますが、夜になると軍靴の足音と軍馬の足音が宿舎に聞こえるのだそうです。ですから宿舎の四隅には塩が置かれたそうです。
しかし、それでも、毎晩、足音が聞こえ、止まなかったそうです。ところが、畏くも今上陛下が硫黄島を行幸啓あそばされ、慰霊を捧げあそばされ、真心を手向けられたその夜から、軍靴と軍馬の足音が聞こえなくなったそうです。畏くも今上陛下が還幸あそばされる時に、慰霊祈願あそばされた場所から天に向かって火柱が走ったのは、硫黄島に眠る戦没者二万千九百柱の御霊が機上の陛下をお見送りし、感謝の意を示めするかのようであったといいます。

畏くも今上陛下の戦没者慰霊行脚の旅は、その所々で亡き御魂を鎮められる旅であられるのです。
佐々淳行氏が「天皇ー最高の危機管理機構」と題し、(ワック出版「歴史通」五月号掲載)次のように述べられています。
三月十六日に今上陛下が国民に向けて発せられたお言葉を踏まえて、「我が日本民族は、一世紀に一回ぐらいの割合で起こる国難に直面するたびに、救国の危機管理機構=天皇によって危機を乗り越えてきた。
平時、我が国では、天皇陛下を『権威』としていただいている。しかし、一旦緩急あって非常事態に直面すると、時の政権は、天皇に『権力』をもっていただいて事態を収拾してきた。そして、体勢が安定すると、また権威に戻っていただく形を繰り返してきた。代々、天皇陛下は、神道において天と国民を結ぶ仲保者・祭祀長という立場を占めてこられたのである。」と総括された上で、我が国の天皇と他国の君主の違いを説明され、昭和天皇の戦後の全国御巡幸と御製、そして、自ら警備の任にあたった想い出を踏まえながら、皇太子時代からの今上陛下と皇后陛下のご様子を語り起こされている。
その中で、次の記述は印象的です。
昭和五十年七月十七日、沖縄解放同盟(黒ヘル)と戦旗派(赤ヘル)の過激派二人が、沖縄のひめゆりの塔の壕内に数日前から潜み、慰霊のためひめゆりの塔を訪れた皇太子ご夫妻に火炎瓶を投げつける事件があったとき、佐々氏は、警備責任者としてその現場にいた佐々氏は述べています。
「いきなり火炎ビンを投げつけられれば、男性でも後ずさりするのが一般的だろう。実際、沖縄県警は退避してしまい、残ったのは皇宮警察本部の警衛官十七名のみだった。
その時、皇太子妃(皇后陛下)は皇太子殿下(今上陛下)の前に半歩進まれ片手を殿下(陛下)の前に差し出し、身を呈して暴漢から守ろうとされたのである。
その光景は、今も私の目に焼き付いて離れない。」と・・・
このひめゆりの塔の前の皇太子ご夫妻が、今、天皇皇后両陛下として、東日本大震災の被災地を行幸啓あそばされ、破壊された被災地に向かって黙祷され、避難所を廻られてて被災者を激励あそばされた。

両陛下は、避難所の人々を親しく激励あそばされた。激励された人々の顔は皆すがすがしく、異口同音に元気を戴きました、勇気付けていただきました、と感激を語っていました。
この天皇皇后両陛下のお姿と被災地の国民の様子を見ているとき、この光景は、「日本でしかあり得ない尊い光景だ」と感じました。
北畠親房公が神皇正統記に記したように、「(万世一系の)我が国のみこのことあり。異朝にはこの類なし」とはこのことです。
日本は、一国一文明一王朝の国です。これは他国ではあり得ない誇りです。日本人にしか感じられない至福です。
 今上陛下は、被災地の人々を慰め励まし、自衛隊をはじめ救助復興にあたる組織の人員の労苦をねぎらい努力に感謝され、さらに、全国民に一致協力して復興にあたるように呼びかけられました。
これは、まさに、非常時における「統治者」として呼びかけられておられ、ここから、真の危機克服が始まってきている。このことは、世界が感嘆する紛れもない事実です。今上陛下のお言葉に直に接した被災地の人々の表情や言葉から明らかです。
 
 
「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すへからす」
 
天壌無窮の我国の國體であられます。

畏くも天皇陛下のご不例平癒を願ってやまないのです。





尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳





転載元: 美しい国


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