人気ブログランキングに参加しています。
まずはここをポチッとご協力お願い申し上げます。
村山談話や河野談話のように、近隣国の間違った歴史に政府見解を合わせてしまったために、近隣国は余計に図に乗って、日本には歴史問題を突き付ければ譲歩するという“学習能力”を身につけさせてしまいました。しかも政府見解が日本国としての見解として自ら認めてしまっているのですから、反論もできません。
-----------------
談話見直しを批判
村山富市元首相は7日午後、新潟市内で講演し、過去の植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」に関し、「内閣が一致して決めた。韓国も中国もアジアの国の皆さんも、『これで歴史問題は解消する』と言って収まった」と強調した。
(2013.7.7 時事通信)
-----------------
村山が首相の時にマレーシアを訪れた時、マハティール首相に「迷惑をかけた」と謝ったら、「なぜ謝るのか理解に苦しむ」と言われました。
日本のマレーシアにおける戦いはイギリス軍との戦いであり、マレー人はイギリス軍を駆逐する日本軍を歓迎し、ラーマン王子は自らラジオで「マレー人よ日本軍に協力せよ」と呼びかけたのです。この時、華僑の中には日本軍に敵対して殺されたものもたくさんいて、村山が日本の首相としてその殺された華僑側の言い分だけを聞いてひたすら謝るというのはおかしいのです。
村山はマレーシアで日本軍に殺された華僑の慰霊碑に献花しました。しかし、マレーシアでは日本兵もマレー人もたくさん死んでいるのです。そういう人たちに弔意を表さないで、敵対した華僑の霊にだけ弔意を表したのは、まさに日本国とアジア独立のために散った方々を無視して、シナ共産党への配慮そのものでありました。
戦争当時、東南アジアの鉱山開発や道路工事で日本兵は現地の人たちと一緒に働きました。労働は厳しいが給与はきちんと支払ったのです。日本兵が来る前の白人の植民地支配下では白人は作業服さえ着なかったですし、インド人や支那人に鞭を持たせて監督させていました。
また、ビルマにイギリス軍がいた時には部落から離れた自家発電付きのキャンプをつくってビルマ人とは無関係の生活をしていましたが、日本軍がイギリス軍を蹴散らしてビルマに来るとビルマ人の部落の中に寄宿して親戚のように付き合ったのです。だからビルマ人で英語を話す者はイギリス人に使われたごく一部のビルマ人に限られましたが日本語は大抵のビルマ人が覚えたのです。
「日本兵は椰子の汁を喜んで飲んでくれた。白人は、これは白人の飲む物ではないという態度だった。そして、日本兵は白人が見向きもしなかった砂糖キビをかじった。私たちは日本人を仲間だと思った」と言う。
白人にはないことですが、日本兵が終戦後の引揚げの時は名残惜しんだ現地人が多くいたのです。
今でも自衛隊が海外派遣で現地から去る時、現地の人たちと互いに涙で名残惜しんだ姿を見受けます。これが何を示しているのか考えなくともわかろうというものです。
・・・・・