バック・トゥ・ザ・フューチャーと
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画を知っていますか?
世界中で大ヒットしたSF映画ですが
あの映画が完成するまでにはイロイロな紆余曲折がありました
この映画の主演はマイケル・J・フォックスで
脚本段階から勝手に彼自身にオファーを出す前から
彼が主演する前提で作られたのですが
当時の彼は「ファミリータイズ」というTVドラマの撮影の真っ最中
その為に
マイケル・J・フォックスに容姿が似ているという理由だけで
エリック・ストルツに変え撮影が開始されました
しかし
容姿が似ているだけで採用した為に
映画の見所の1つとして考えていたドクとの掛け合いが
シックリこなかったらしく
プロデューサーだったスティーヴン・スピルバーグが
「このまま映画を完成させても絶対にヒットしない」という結論を下し
1/3のほど撮影が終わった時点で降板させられます
そして
当初から主演予定のマイケル・J・フォックスの空き時間を利用して
映画を最初から作り直す事になりました
こうして空き時間を利用して撮影される事になり
シックリこなかったドクとの掛け合いもシックリくる事になり映画は完成しシックリきたせいか世界的に大ヒットしました
しかし
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が完成するまでに
改良された点はソレだけではありません
映画制作当初のタイムマシーンは
冷蔵庫を改造したモノでしたが
映画を観た子供が真似して冷蔵庫内に閉じ込められる事を懸念して
急遽DMC-12とゆ車体を改良する事になりました
当初のクライマックスは
核実験場に行き
核爆発を利用してタイムスリップする予定だったのですが
制作費の関係で
時計台に落雷を利用してタイムスリップする事に変更されました
脚本担当者だったボブ・ゲイルは
「制作費がなかったおかげで
結果的には映画が面白くなった」と回顧しています
制作費の少なさは他のシーンでも簡単に見つける事が出来ます
舞台となる架空の街「ヒルバレー」を
新しく作る予算もロケをする制作費すら無かったのです
実はあの映画
全編ユニバーサルスタジオ内で撮影されています
クライマックスでも鍵を握る時計台のある場所は
1962年に制作された「アラバマ物語」の為に作られた
コートハウススクエアと呼ばれる
ユニバーサルスタジオ内のオープンセットを改良して撮影されました
つまり
1つの名作を作り上げるには
ちょっとした工夫と偶然が必要なのです
では
次に1つの「戦争犯罪」を作り上げるには
ちょっとした悪意と偶然が必要な事を証明しましましょう
1950年に公開された「暁の脱走」という映画を知ってますか?
原作は田村泰次郎の「春婦伝」
黒澤明が脚本を書き
当時大スターだった山口椒子が主演を務めた
華中戦線で捕虜になった
日本人兵士と慰問歌手の打算なき恋物語を描いた映画です
当初は原作通り
慰安婦と日本兵の脱走恋物語を制作しようとしたのですが
GHQの検閲官から
「日本兵と慰安婦(売春婦)」では大衆映画としては扇情的すぎるという理由で 慰問歌手に変更されました
決して従軍慰安婦の存在がタブーだったからではありません
ですから 劇中では
「これだけ兵士がいるのに慰安所が無いとは非常識だ」と云う台詞や
酌を求められた慰問歌手は「私は慰安婦ぢゃないのに!!」と憤慨する台詞もあります
つまり
言葉だけで「慰安婦」も「慰問所」も何か観客が解っていたのです
そして
田村泰次郎の原作では慰安婦の国籍は「朝鮮籍」で
「赤十字の看護婦」だと親に騙されて妓生に売られた設定でもありました
つまり
「慰安婦」という「公娼婦」がいたという事は当たり前の話で
コレは1933年6月30日の東亜日報で
朝鮮人女性を拉致し中国人に売っていた
「朝鮮女性人身売買組織」を日本政府が検挙したという記事
コッチは1939年8月31日の東亜日報
職業斡旋業者の中に
悪徳紹介業者がおり騙された女性の数が
釜山近郊だけで100人を超えているという記事です
軍慰安所従業員募集等に関する通達によれば
従軍慰安婦の募集に際して
誘拐など軍の威信を貶める悪徳業者による斡旋を禁止しています
この様に
朝鮮人は女性を拉致したり
騙したりして女性を売買している事も
「暁の脱走」が公開された当時には当たり前の話だったのです
そして
最初の転機が訪れます
1973年に千田夏光が「従軍慰安婦」という小説を発表します
「従軍慰安婦」という造語が完成した瞬間です
北九州の貧村の4人の娘が1000円の借金のカタとして
置屋に売られ
女子挺身隊の名目で従軍慰安婦として売春を営み
わずか数日で1000円以上を稼いだが前線の帝国陸軍為に
従軍慰安婦を続け
最後には中国で戦死するという悲話ですが
完全にフィクションで翌年に映画化もされています
この作品で
「女子挺身隊に動員された20万人おり
およそ5~7万人は強制連行された」との記載があり
小説と歴史の区別が得意では無い
民族とも揶揄される朝鮮民族ですが
この「従軍慰安婦」の記述を根拠に
韓国挺身隊問題対策協議会の代表である尹貞玉は
「女子挺身隊=従軍慰安婦」
「従軍慰安婦は強制連行された」と唱えています
アメリカのアイゼンハワー公園に在米韓人によって建てられた
従軍慰安婦の石碑ですが
この碑文に刻まれた「強制連行された従軍慰安婦20万人」
この数字の根拠も
この小説で「女子挺身隊20万人」と記されていた事だけが根拠です
小説の中で
5万~7万だった筈の強制連行されたという文言が
時代と共に忘れられたのか
誇張したかった為なのかしりませんが…
まず
この本が「従軍慰安婦」が戦争犯罪として確立し始めた瞬間でしょうね
次の転機は かつて
日本共産党員として下関市議会議員選挙に立候補して
129票を獲得して落選した過去がある吉田清治が
1983年に
「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」という本が出版された事です
この本の中には
済州島で朝鮮人250人を慰安婦にするため
に日本軍が狩り出したと記されており
このセンセーショナルな内容に
「戦争犯罪」追求を社是とする
朝日新聞の植村隆という記者が掲載しました
しかし
1989年
この吉田清治の本が韓国国内で翻訳本が発行されると
済州新聞の女性記者だった許栄善と
韓国郷土史研究家の金奉玉の調査で「捏造」と断定され
むしろ
日帝「済州島で慰安婦205名徴発」日本の恥知らずな商魂に
世界中で大ヒットしたSF映画ですが
あの映画が完成するまでにはイロイロな紆余曲折がありました
この映画の主演はマイケル・J・フォックスで
脚本段階から勝手に彼自身にオファーを出す前から
彼が主演する前提で作られたのですが
当時の彼は「ファミリータイズ」というTVドラマの撮影の真っ最中
その為に
マイケル・J・フォックスに容姿が似ているという理由だけで
エリック・ストルツに変え撮影が開始されました
しかし
容姿が似ているだけで採用した為に
映画の見所の1つとして考えていたドクとの掛け合いが
シックリこなかったらしく
プロデューサーだったスティーヴン・スピルバーグが
「このまま映画を完成させても絶対にヒットしない」という結論を下し
1/3のほど撮影が終わった時点で降板させられます
そして
当初から主演予定のマイケル・J・フォックスの空き時間を利用して
映画を最初から作り直す事になりました
こうして空き時間を利用して撮影される事になり
シックリこなかったドクとの掛け合いもシックリくる事になり映画は完成しシックリきたせいか世界的に大ヒットしました
しかし
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が完成するまでに
改良された点はソレだけではありません
映画制作当初のタイムマシーンは
冷蔵庫を改造したモノでしたが
映画を観た子供が真似して冷蔵庫内に閉じ込められる事を懸念して
急遽DMC-12とゆ車体を改良する事になりました
当初のクライマックスは
核実験場に行き
核爆発を利用してタイムスリップする予定だったのですが
制作費の関係で
時計台に落雷を利用してタイムスリップする事に変更されました
脚本担当者だったボブ・ゲイルは
「制作費がなかったおかげで
結果的には映画が面白くなった」と回顧しています
制作費の少なさは他のシーンでも簡単に見つける事が出来ます
舞台となる架空の街「ヒルバレー」を
新しく作る予算もロケをする制作費すら無かったのです
実はあの映画
全編ユニバーサルスタジオ内で撮影されています
クライマックスでも鍵を握る時計台のある場所は
1962年に制作された「アラバマ物語」の為に作られた
コートハウススクエアと呼ばれる
ユニバーサルスタジオ内のオープンセットを改良して撮影されました
つまり
1つの名作を作り上げるには
ちょっとした工夫と偶然が必要なのです
では
次に1つの「戦争犯罪」を作り上げるには
ちょっとした悪意と偶然が必要な事を証明しましましょう
1950年に公開された「暁の脱走」という映画を知ってますか?
原作は田村泰次郎の「春婦伝」
黒澤明が脚本を書き
当時大スターだった山口椒子が主演を務めた
華中戦線で捕虜になった
日本人兵士と慰問歌手の打算なき恋物語を描いた映画です
当初は原作通り
慰安婦と日本兵の脱走恋物語を制作しようとしたのですが
GHQの検閲官から
「日本兵と慰安婦(売春婦)」では大衆映画としては扇情的すぎるという理由で 慰問歌手に変更されました
決して従軍慰安婦の存在がタブーだったからではありません
ですから 劇中では
「これだけ兵士がいるのに慰安所が無いとは非常識だ」と云う台詞や
酌を求められた慰問歌手は「私は慰安婦ぢゃないのに!!」と憤慨する台詞もあります
つまり
言葉だけで「慰安婦」も「慰問所」も何か観客が解っていたのです
そして
田村泰次郎の原作では慰安婦の国籍は「朝鮮籍」で
「赤十字の看護婦」だと親に騙されて妓生に売られた設定でもありました
つまり
「慰安婦」という「公娼婦」がいたという事は当たり前の話で
コレは1933年6月30日の東亜日報で
朝鮮人女性を拉致し中国人に売っていた
「朝鮮女性人身売買組織」を日本政府が検挙したという記事
コッチは1939年8月31日の東亜日報
職業斡旋業者の中に
悪徳紹介業者がおり騙された女性の数が
釜山近郊だけで100人を超えているという記事です
軍慰安所従業員募集等に関する通達によれば
従軍慰安婦の募集に際して
誘拐など軍の威信を貶める悪徳業者による斡旋を禁止しています
この様に
朝鮮人は女性を拉致したり
騙したりして女性を売買している事も
「暁の脱走」が公開された当時には当たり前の話だったのです
そして
最初の転機が訪れます
1973年に千田夏光が「従軍慰安婦」という小説を発表します
「従軍慰安婦」という造語が完成した瞬間です
北九州の貧村の4人の娘が1000円の借金のカタとして
置屋に売られ
女子挺身隊の名目で従軍慰安婦として売春を営み
わずか数日で1000円以上を稼いだが前線の帝国陸軍為に
従軍慰安婦を続け
最後には中国で戦死するという悲話ですが
完全にフィクションで翌年に映画化もされています
この作品で
「女子挺身隊に動員された20万人おり
およそ5~7万人は強制連行された」との記載があり
小説と歴史の区別が得意では無い
民族とも揶揄される朝鮮民族ですが
この「従軍慰安婦」の記述を根拠に
韓国挺身隊問題対策協議会の代表である尹貞玉は
「女子挺身隊=従軍慰安婦」
「従軍慰安婦は強制連行された」と唱えています
アメリカのアイゼンハワー公園に在米韓人によって建てられた
従軍慰安婦の石碑ですが
この碑文に刻まれた「強制連行された従軍慰安婦20万人」
この数字の根拠も
この小説で「女子挺身隊20万人」と記されていた事だけが根拠です
小説の中で
5万~7万だった筈の強制連行されたという文言が
時代と共に忘れられたのか
誇張したかった為なのかしりませんが…
まず
この本が「従軍慰安婦」が戦争犯罪として確立し始めた瞬間でしょうね
次の転機は かつて
日本共産党員として下関市議会議員選挙に立候補して
129票を獲得して落選した過去がある吉田清治が
1983年に
「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」という本が出版された事です
この本の中には
済州島で朝鮮人250人を慰安婦にするため
に日本軍が狩り出したと記されており
このセンセーショナルな内容に
「戦争犯罪」追求を社是とする
朝日新聞の植村隆という記者が掲載しました
しかし
1989年
この吉田清治の本が韓国国内で翻訳本が発行されると
済州新聞の女性記者だった許栄善と
韓国郷土史研究家の金奉玉の調査で「捏造」と断定され
むしろ
日帝「済州島で慰安婦205名徴発」日本の恥知らずな商魂に
済州島民ら憤慨
こんな記事が韓国の新聞に載っる有様でした
1991年
朝日新聞の植村隆という記者が懲りる事なく再び
「従軍慰安婦」の生き証人だった金学順のインタビューを
朝日新聞に載せました
この事で完全に潮目が変わりました
その生き証人の金学順は「太平洋戦争遺族会」の会員です
そして
このインタビュー記事を書き
執拗に朝日新聞で従軍慰安婦問題を提起する植村隆
その彼の義理の母親である
梁順任が実は「太平洋戦争遺族会」の理事会長なのです
「太平洋戦争遺族会」とは
日帝時代を経験した人なら誰でも訴訟に参加でき
補償金を受け取ることができると宣伝し
韓国国内で会員を募り会費を集めて運営されている団体で
こんな記事が韓国の新聞に載っる有様でした
1991年
朝日新聞の植村隆という記者が懲りる事なく再び
「従軍慰安婦」の生き証人だった金学順のインタビューを
朝日新聞に載せました
この事で完全に潮目が変わりました
その生き証人の金学順は「太平洋戦争遺族会」の会員です
そして
このインタビュー記事を書き
執拗に朝日新聞で従軍慰安婦問題を提起する植村隆
その彼の義理の母親である
梁順任が実は「太平洋戦争遺族会」の理事会長なのです
「太平洋戦争遺族会」とは
日帝時代を経験した人なら誰でも訴訟に参加でき
補償金を受け取ることができると宣伝し
韓国国内で会員を募り会費を集めて運営されている団体で
韓国国内や日本国内で
日本政府や日本企業に対し
個人賠償や戦後補償の裁判を繰り返している団体です
日本でも最高裁まで争い当たり前ですが敗訴した
太平洋戦争犠牲者遺族会は集会はすれど
全く訴訟は勝てず
会員3万人から集めた15億ウォン(約1億1400万円)は露と消え
そして
植村隆の義理の母である梁順任は
職印を持って行方を消した詐欺容疑者です
つまり
ゲスな勘ぐりをすれば
日本の戦争犯罪を用いた補償金詐欺師の梁順任と
日本の戦争犯罪を暴きたてたい朝日新聞の社是が一致した上で
義理の息子を使って「従軍慰安婦問題」を
デッチ上げる事に成功したという事でしょうか?
あるいは
日本の戦争犯罪を暴きたてたい朝日新聞の社員だった植村隆が
日本の戦争犯罪を用いた補償金詐欺師だった義理の母の梁順任と思惑が一致し
「従軍慰安婦問題」をデッチ上げる事に成功したのでしょうか?
元従軍慰安婦だった文玉珠が
3年間の慰安婦時代に貯金した
計25145円の返還請求訴訟を日本で起こしました
日本帝国陸軍の大将の年収が7000円の時代に
3年間で25145円を貯金出来たという事は
日本帝国陸軍の大将よりも高給だった証拠だし
そもそも
強制連行された筈の人間が貯金などできるのでしょうか?
少なくとも
従軍慰安婦問題の発端となった吉田清治自身は
「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」はフィクションだった事を認めた上で
「人権屋に利用された私がバカだった」と
歴史研究家の秦郁彦に対して後悔の弁を語っています
そして
インドネシアでは
高木健一という「太平洋戦争遺族会」に雇われた弁護士が
インドネシアで従軍慰安婦の実態調査した際に
「従軍慰安婦だったと名乗り出た女性には
200万円(現地通貨に直すと価値は2億円)を進呈する」と宣伝した為に
2万2千人もの
自称従軍慰安婦と名乗るインドネシア女性が殺到し
金銭目的で過去を捏造する女性が存在する事が社会問題になりました
この騒動に関して
インドネシアタイムスのジャハム・アリ会長は
「バカバカしい
インドネシアに駐留していた日本兵は2万人
1人の兵士に1人の慰安婦がいたのか?
この騒動が日本で放送される事は
両国の友好に何の役にも立たない
我々には日本罵倒体質の韓国や中国と違って
歴史とプライドがある
「お金をくれ」などとは
インドネシアを360年間も支配したオランダにだって要求していないのに…」
スノエ社会大臣は
「今回の事件の発端は日本側だ
悪質極まりない
インドネシアの恥部を曝け出し
インドネシア民族の名誉を傷付け
両国の友好関係を損なうような日本人グループがいる事が明確になった
我々は日本人を逮捕できない
日本人の手で解決してください」
インドネシアでは「従軍慰安婦」といえば
日本とインドネシアの友好を破壊したい者が
用いられた情報戦というのが認識です
なぜ
インドネシアでは失敗したのでしょうか?
インドネシア建国の父であるスカルノ大統領は
大東亜戦争終戦後に
再びオランダによる統治を開始した事に対し
ジャカルタのプガンサアン・ティムール通り56番地で
独立宣言文を読み上げ
独立戦争を始めるのですが
その独立宣言文は
西暦では無く
皇紀を用いられているのです
そして
その独立戦争には
終戦後に帰国する事なく参加した旧日本兵2000人が参加しており
彼らはインドネシア独立の為に命を犠牲に戦います
インドネシアが独立した際に戦死した日本兵は1000人
つまり2人に1人の日本兵が戦死し自由を勝ち取った国だったからです
転載元 在日朝鮮人の戯言