*続きです。
その為に何が行われていたのか。
ゴムの採取を強制する為に、黒人達から女子供を人質にとり、
仕事を効率よく進める為の鞭打ちで
コンゴ人労働者を死に至らしめ、
更にノルマを達成できないと、
その人質にとった女子供らの右手を、
見せしめとして切断するという罰を与えたのです。
仕事を効率よく進める為の鞭打ちで
コンゴ人労働者を死に至らしめ、
更にノルマを達成できないと、
その人質にとった女子供らの右手を、
見せしめとして切断するという罰を与えたのです。
手を切られたコンゴ人
ここまでくると、コンゴ人達も黙っていません。
中には集団で徒党を組んで反乱を組織するコンゴ人も出てきます。
こうした反乱ゲリラを鎮圧する為に、
白人達が何をしたかというと、
周辺に住む未開の部族達を徴用し、公安軍を組織したのです。
この「少数民族を利用して現地の人々を統治する」という手法は、
植民地支配では、ごく一般的に行われてきた統治手法です。
未開の蛮族達による徴用兵達は、
白人以上に恐ろしい残忍さを発揮しました。
徴用兵達の任務は、ゴム採集のノルマの達成管理です。
その中には、未達者に対する
手首斬り落しの強制執行も含まれていました。
徴用兵達の給料も、利益に基づく歩合性でした。
そのうち、蛮族達が任務を果たしている証拠として、
懲罰の為に切り落とした手首の数によって
昇級や賞与の額が決められるようになりました。
すると村人達は、この取立から逃れる為に、
他の村人達を大量殺人して、手首を集めてくるようになりました。
こうして手首は、それ自体が価値を帯びるようになり、
一種の通貨にさえなったといいます。
コンゴが、ベルギー領コンゴとなったのは1885年の事です。
そしてコンゴが、ようやく独立を果たしたのは、
昭和35(1960)年の事です。
その間、わずか75年の間に、
コンゴで虐殺された人の数は、
1000万~1600万人であったといわれています。
コンゴが独立した時の人口が1400万人であった事を考えると、
これは恐ろしい数です。
しかし、せっかくのコンゴの独立も、
独立から僅か1週間で、内乱とベルギー軍の介入によって崩壊してしまう。
こうして始まったのが「コンゴ動乱」です。
「コンゴ動乱」は、国連が支持し、
民主化を促進しようとするムルンバ大統領派と、
ソ連やキューバに後押しされたコンゴ国軍が対立するという構図となりました。
更に国内を二分しての民族紛争がこれに重なり、
コンゴはこの後約5年間、動乱に継ぐ動乱の時代となったのです。
そして今もなお、コンゴは戦場の中にあります。
今年は2013年です。
自主自存の国家だったコンゴの崩壊の引き金となったのは、
1568年のジャガ族の襲来事件でした。
この事件の時に、コンゴが自前の防衛力を保持していたら、
つまり強力な軍隊を自前で保持していたら、
恐らくジャガ族の襲来もなかったし、
ポルトガルに援軍を要請する必要もなかったし、
結果としてポルトガルの従属国となる事もありませんでした。
それどころか、奴隷商人達の跋扈そのものを、
自前の強力な軍隊の出動によって防ぐ事ができたかもしれません。
「その時軍隊が弱かった」
たったそれだけの事で、コンゴは国を崩落させ、
それから今に至るまで445年、
未だに内乱と戦火の中にコンゴはあります。
コンゴで、これまでに戦火や奴隷、
ムチ打ちや私刑などによって、
一体どれだけの人の命が奪われたのでしょうか。
大事な事は、どんなにご立派な講釈を垂れたとしても、
力なき正義は正義になれない。
それどころか多くの国民の不幸を招く、という事です。
現実に日本は、どんなに立派な法的根拠、
歴史的根拠を並べ立てたとしても、
武力を背景にした他国による領土の占有の前に、何もできていません。
国民を拉致されても、政府には何もできていません。
自衛隊はあります。強いです。
けれど専守防衛をうたう以上、
他国は日本に対していかなる不条理を押し付けたとしても、
その国が日本から攻められる可能性は皆無なのです。
いくらカツアゲしても絶対に反抗しない、
それどころか「暴力だけはふるわないで」と、
欲しいだけカネを出してくれるお金持ちで
腰抜けのボンボンがいまの日本です。
「平和を愛する諸国民の公正と信義」と
日本国憲法前文に書かれていますが、公正な国ってどこでしょう?
信義ある国とは、どこの国を指すのでしょう?
日本が平和を愛し、公正と信義のある国となる為には、
日本が強くなければなりません。
でなければ、日本は4百年前のコンゴになってしまう。
日本にも16世紀にポルトガル人が来日し、鉄砲などが伝えられました。
けれど日本は、鉄砲をまたたく間に国内に普及させ、
秀吉の時代には、
日本は全世界の鉄砲保有数の約半数を持つという、
すさまじい大国となっています。
けれど、鉄砲に使う火薬の原料となる「硝石」は、日本で産出しません。
あたりまえの事ですが、火薬がなければ鉄砲はただの鉄パイプです。
ですから、日本の戦国大名達は、
こぞってポルトガル人達から火薬を買いました。
代金は、火薬一樽につき、日本人の若い女性50人が相場です。
(徳富蘇峰、近世日本国民史)
日本女性が奴隷に売られたのです。
日本でも、コンゴで起きた事に近い事が、現実にあったわけです。
けれど日本がコンゴのように、
ポルトガルの属国とならずに済んだのは、
彼らの鉄砲という兵器を駆使する戦いに学び、
これを吸収して自前の鉄砲隊を組成してしまった事、
それにより、日本がポルトガルを圧倒する強力な軍事力を備えた事、
更に秀吉が奴隷売買とキリスト教を禁じ、
日本人女性が奴隷として国外流出する事を
阻止する事ができたからに他なりません。
幕末動乱も同じです。
日本は、外国からの圧力に対し、これを学び、
吸収して、その外国以上に強靭な国家を造り上げました。
なるほど幕末に日本は外国との間に不平等な条約を締結しました。
けれど明治44年に、日本は完全に
外国との関係を対等なものに修復しています。
それは、幕末の志士達が夢見た坂の上の雲に到達した瞬間でした。
もし、日本が過去においてそういう努力をしてこなかったら。
もしかすると日本人もコンゴと同様に奴隷に売られ、
女性達は旦那の為に手首を斬り落され、
通貨は小判や銀貨、銅銭などではなく、
手首が用いられるような国になっていたかもしれません。
銭形平次の投げるのが寛永通宝ではなく、
紐でつないだ手首だなんて、想像もしたくありません。
大事な事は、他国に支配されるという事は、
いかなる場合においても、
自国民の幸せには絶対にならない、という事です。
もちろん例外はあります。
それは日本がかつて統治した国々です。
どの国も全て発展し、中には歴史上初と言って良い
平和な時代を迎えた国もありました。
けれど、日本がそうしてきたからといって、
他国も同じようにするなどという事は、金輪際ないし、
上に述べたコンゴのように、他国の支配を受ける事は、
これ以上ないといって良いくらいの
国民の不幸を招くのが、世界の歴史です。
日本が、独立した国家でいられたのも、
今、私達が平和に暮らして行けるのも、
私達の父祖、祖先が、
それこそたゆまぬ努力を重ねてきたからに他なりません。
ところが戦後の日本は、GHQによって憲法を与えられ、
逮捕拘留してあった共産主義者たちを解放させられ、
それまでの国の中心であった愛国者達を
公職追放によって放逐され、
間接統治の為に特権を与えられた不逞朝鮮人が
日本人からいいようにカネや財産を奪い、
その状態という「歪み」が未だに、続いています。
皆さんは、コンゴが動乱を終え、
本当の意味での平和を取り戻す為には、何が必要だとお考えでしょうか。
おそらく、誰もが口を揃えて、
「それは、コンゴの人達自身が努力するしかない」
とお答えになるものと思います。
ならば、それはそのまま日本にもあてはまるのではないでしょうか。
日本が日本を取り戻し、真の独立と自存を取り戻す為には、
何より日本人自身が目覚めなければならない。
そういう事なのではないでしょうか。
その為には何が必要でしょうか。
左前や反日にかぶれた人達との対話でしょうか。
そんなものが意味を持たないのは、誰もがおわかりと思います。
なぜなら、彼らは考えを変えない。そこに利権があるからです。
そういう人達は、日本が変ったら、逮捕される人達です。
ほっておけばいいのです。
それよりも、中庸と思っている人、
まだ目覚めていない人、反日でも在日でもない、
普通の日本人に、いかに目覚めてもらうか、
その為に私達一人一人に何ができるかが、
問題なのではないかと思います。
そして日本を取り戻そうという意見が、
我が国の本当の意味での主流となった時、日本は、またたく間に変わる。
必ず変わる。
その為に、私達自身が、自分出来る事を、
ほんのちょっとずつでも続けていく事ではないかと思います。
1日、たった1分の誤差が、
4年目のうるう年となって、1年が一日長くなります。
たった一分の積み重ねが、4年でまる一日、
24時間分になるのです。
ほんのちょっと、でも続ける事と。
遠回りにみえて、実は日本を取り戻す一番の近道が、
そこにあるように思います。
日心会メルマガより
中には集団で徒党を組んで反乱を組織するコンゴ人も出てきます。
こうした反乱ゲリラを鎮圧する為に、
白人達が何をしたかというと、
周辺に住む未開の部族達を徴用し、公安軍を組織したのです。
この「少数民族を利用して現地の人々を統治する」という手法は、
植民地支配では、ごく一般的に行われてきた統治手法です。
未開の蛮族達による徴用兵達は、
白人以上に恐ろしい残忍さを発揮しました。
徴用兵達の任務は、ゴム採集のノルマの達成管理です。
その中には、未達者に対する
手首斬り落しの強制執行も含まれていました。
徴用兵達の給料も、利益に基づく歩合性でした。
そのうち、蛮族達が任務を果たしている証拠として、
懲罰の為に切り落とした手首の数によって
昇級や賞与の額が決められるようになりました。
すると村人達は、この取立から逃れる為に、
他の村人達を大量殺人して、手首を集めてくるようになりました。
こうして手首は、それ自体が価値を帯びるようになり、
一種の通貨にさえなったといいます。
コンゴが、ベルギー領コンゴとなったのは1885年の事です。
そしてコンゴが、ようやく独立を果たしたのは、
昭和35(1960)年の事です。
その間、わずか75年の間に、
コンゴで虐殺された人の数は、
1000万~1600万人であったといわれています。
コンゴが独立した時の人口が1400万人であった事を考えると、
これは恐ろしい数です。
しかし、せっかくのコンゴの独立も、
独立から僅か1週間で、内乱とベルギー軍の介入によって崩壊してしまう。
こうして始まったのが「コンゴ動乱」です。
「コンゴ動乱」は、国連が支持し、
民主化を促進しようとするムルンバ大統領派と、
ソ連やキューバに後押しされたコンゴ国軍が対立するという構図となりました。
更に国内を二分しての民族紛争がこれに重なり、
コンゴはこの後約5年間、動乱に継ぐ動乱の時代となったのです。
そして今もなお、コンゴは戦場の中にあります。
今年は2013年です。
自主自存の国家だったコンゴの崩壊の引き金となったのは、
1568年のジャガ族の襲来事件でした。
この事件の時に、コンゴが自前の防衛力を保持していたら、
つまり強力な軍隊を自前で保持していたら、
恐らくジャガ族の襲来もなかったし、
ポルトガルに援軍を要請する必要もなかったし、
結果としてポルトガルの従属国となる事もありませんでした。
それどころか、奴隷商人達の跋扈そのものを、
自前の強力な軍隊の出動によって防ぐ事ができたかもしれません。
「その時軍隊が弱かった」
たったそれだけの事で、コンゴは国を崩落させ、
それから今に至るまで445年、
未だに内乱と戦火の中にコンゴはあります。
コンゴで、これまでに戦火や奴隷、
ムチ打ちや私刑などによって、
一体どれだけの人の命が奪われたのでしょうか。
大事な事は、どんなにご立派な講釈を垂れたとしても、
力なき正義は正義になれない。
それどころか多くの国民の不幸を招く、という事です。
現実に日本は、どんなに立派な法的根拠、
歴史的根拠を並べ立てたとしても、
武力を背景にした他国による領土の占有の前に、何もできていません。
国民を拉致されても、政府には何もできていません。
自衛隊はあります。強いです。
けれど専守防衛をうたう以上、
他国は日本に対していかなる不条理を押し付けたとしても、
その国が日本から攻められる可能性は皆無なのです。
いくらカツアゲしても絶対に反抗しない、
それどころか「暴力だけはふるわないで」と、
欲しいだけカネを出してくれるお金持ちで
腰抜けのボンボンがいまの日本です。
「平和を愛する諸国民の公正と信義」と
日本国憲法前文に書かれていますが、公正な国ってどこでしょう?
信義ある国とは、どこの国を指すのでしょう?
日本が平和を愛し、公正と信義のある国となる為には、
日本が強くなければなりません。
でなければ、日本は4百年前のコンゴになってしまう。
日本にも16世紀にポルトガル人が来日し、鉄砲などが伝えられました。
けれど日本は、鉄砲をまたたく間に国内に普及させ、
秀吉の時代には、
日本は全世界の鉄砲保有数の約半数を持つという、
すさまじい大国となっています。
けれど、鉄砲に使う火薬の原料となる「硝石」は、日本で産出しません。
あたりまえの事ですが、火薬がなければ鉄砲はただの鉄パイプです。
ですから、日本の戦国大名達は、
こぞってポルトガル人達から火薬を買いました。
代金は、火薬一樽につき、日本人の若い女性50人が相場です。
(徳富蘇峰、近世日本国民史)
日本女性が奴隷に売られたのです。
日本でも、コンゴで起きた事に近い事が、現実にあったわけです。
けれど日本がコンゴのように、
ポルトガルの属国とならずに済んだのは、
彼らの鉄砲という兵器を駆使する戦いに学び、
これを吸収して自前の鉄砲隊を組成してしまった事、
それにより、日本がポルトガルを圧倒する強力な軍事力を備えた事、
更に秀吉が奴隷売買とキリスト教を禁じ、
日本人女性が奴隷として国外流出する事を
阻止する事ができたからに他なりません。
幕末動乱も同じです。
日本は、外国からの圧力に対し、これを学び、
吸収して、その外国以上に強靭な国家を造り上げました。
なるほど幕末に日本は外国との間に不平等な条約を締結しました。
けれど明治44年に、日本は完全に
外国との関係を対等なものに修復しています。
それは、幕末の志士達が夢見た坂の上の雲に到達した瞬間でした。
もし、日本が過去においてそういう努力をしてこなかったら。
もしかすると日本人もコンゴと同様に奴隷に売られ、
女性達は旦那の為に手首を斬り落され、
通貨は小判や銀貨、銅銭などではなく、
手首が用いられるような国になっていたかもしれません。
銭形平次の投げるのが寛永通宝ではなく、
紐でつないだ手首だなんて、想像もしたくありません。
大事な事は、他国に支配されるという事は、
いかなる場合においても、
自国民の幸せには絶対にならない、という事です。
もちろん例外はあります。
それは日本がかつて統治した国々です。
どの国も全て発展し、中には歴史上初と言って良い
平和な時代を迎えた国もありました。
けれど、日本がそうしてきたからといって、
他国も同じようにするなどという事は、金輪際ないし、
上に述べたコンゴのように、他国の支配を受ける事は、
これ以上ないといって良いくらいの
国民の不幸を招くのが、世界の歴史です。
日本が、独立した国家でいられたのも、
今、私達が平和に暮らして行けるのも、
私達の父祖、祖先が、
それこそたゆまぬ努力を重ねてきたからに他なりません。
ところが戦後の日本は、GHQによって憲法を与えられ、
逮捕拘留してあった共産主義者たちを解放させられ、
それまでの国の中心であった愛国者達を
公職追放によって放逐され、
間接統治の為に特権を与えられた不逞朝鮮人が
日本人からいいようにカネや財産を奪い、
その状態という「歪み」が未だに、続いています。
皆さんは、コンゴが動乱を終え、
本当の意味での平和を取り戻す為には、何が必要だとお考えでしょうか。
おそらく、誰もが口を揃えて、
「それは、コンゴの人達自身が努力するしかない」
とお答えになるものと思います。
ならば、それはそのまま日本にもあてはまるのではないでしょうか。
日本が日本を取り戻し、真の独立と自存を取り戻す為には、
何より日本人自身が目覚めなければならない。
そういう事なのではないでしょうか。
その為には何が必要でしょうか。
左前や反日にかぶれた人達との対話でしょうか。
そんなものが意味を持たないのは、誰もがおわかりと思います。
なぜなら、彼らは考えを変えない。そこに利権があるからです。
そういう人達は、日本が変ったら、逮捕される人達です。
ほっておけばいいのです。
それよりも、中庸と思っている人、
まだ目覚めていない人、反日でも在日でもない、
普通の日本人に、いかに目覚めてもらうか、
その為に私達一人一人に何ができるかが、
問題なのではないかと思います。
そして日本を取り戻そうという意見が、
我が国の本当の意味での主流となった時、日本は、またたく間に変わる。
必ず変わる。
その為に、私達自身が、自分出来る事を、
ほんのちょっとずつでも続けていく事ではないかと思います。
1日、たった1分の誤差が、
4年目のうるう年となって、1年が一日長くなります。
たった一分の積み重ねが、4年でまる一日、
24時間分になるのです。
ほんのちょっと、でも続ける事と。
遠回りにみえて、実は日本を取り戻す一番の近道が、
そこにあるように思います。
日心会メルマガより