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まずはここをポチッとご協力お願い申し上げます。
南京陥落後のシナ人たちは日本軍を歓迎する意思として腕に日の丸の布を巻き、
日本軍の入城を笑顔で迎えました。これが真実です。
同志からです。
昨年末、カナダで南京記念日宣言を行いました。従軍慰安婦含め歴史の捏造で日本がやってもいないことで世界から非難されることはあってはなりません。
日本は今まで声を上げずにきたため嘘が事実のようにされてきました。声を上げるときにはきちんと声を上げなければ受け入れたことになります。政治家も国民もそうしていかなければなりません。
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カナダ トロント 南京記念日宣言 撤回署名 御協力お願いします!
カナダのトロント市が、2012年12月13日に南京大虐殺75周年を宣言しました。
25万人以上の民間人が虐殺されたというとんでもない内容です。
中国系市議の働きかけによるもので、このような政治活動によって、南京で大虐殺という噓が、真実性を帯び、広まることを私達カナダ在住日本人は見過すことは出来ません。
日本の名誉の為に、我々の子供たちの為に、この捏造歴史に日本人として反対の声をあげるため署名運動を始めました。
宣言撤回を求める署名運動に皆様にも御協力いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
25万人以上の民間人が虐殺されたというとんでもない内容です。
中国系市議の働きかけによるもので、このような政治活動によって、南京で大虐殺という噓が、真実性を帯び、広まることを私達カナダ在住日本人は見過すことは出来ません。
日本の名誉の為に、我々の子供たちの為に、この捏造歴史に日本人として反対の声をあげるため署名運動を始めました。
宣言撤回を求める署名運動に皆様にも御協力いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
日本の名誉を護る在カナダ邦人の会 代表 はすみ 都志子
連絡先 hasumitoshiko@gmail.com
請願提出者 藤原太一
連絡先 hasumitoshiko@gmail.com
請願提出者 藤原太一
【 請願 Petitioning 】
署名はこちらから
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://goo.gl/SWLcb
カナダ トロント市長 ロブ フォード殿
Rob Ford, Mayor of Toronto
トロント市南京記念日宣言の撤回を求めます
Rob Ford,Mayor of Toronto:Rescind the Dec 13,2013 proclamation about Nanking
Rob Ford, Mayor of Toronto
トロント市南京記念日宣言の撤回を求めます
Rob Ford,Mayor of Toronto:Rescind the Dec 13,2013 proclamation about Nanking
【署名方法】
【トロント南京記念日宣言】
<宣言文日本語>
トロント市長、Rob Ford
宣言 南京追悼 記念日 2012年12月13日
カナダ全土の中国系カナダ人のコミュニ ティは、1937年の南京大虐殺の75周年を追悼記念します。
1928年、中国の首都は北京から、1930年代半ばに人口・100万人以上の都市に発展した南京に移されました。 1937年に侵略軍は都市内や周辺に多くの残虐行為を犯し、南京を占領しました。犠牲者は主に、南京 の25万人以上の民間人でした。
アジアの歴史の中におけるこの悲劇的な時を認識することによって、私たちはカナダの意味 深い宝である- 平和、自由と民主主義を理解し真価を認める機会を与えられます。
それゆえ、今、市長ロブ・フォードは、トロント市議会を代表して、大きな国家的な苦しみの期間に亡くなった男性、女性、子供たちの名誉のために2012年12月13日を、トロント市における “南京追悼記念日”と宣言します。
トロント市長、Rob Ford
宣言 南京追悼 記念日 2012年12月13日
カナダ全土の中国系カナダ人のコミュニ ティは、1937年の南京大虐殺の75周年を追悼記念します。
1928年、中国の首都は北京から、1930年代半ばに人口・100万人以上の都市に発展した南京に移されました。 1937年に侵略軍は都市内や周辺に多くの残虐行為を犯し、南京を占領しました。犠牲者は主に、南京 の25万人以上の民間人でした。
アジアの歴史の中におけるこの悲劇的な時を認識することによって、私たちはカナダの意味 深い宝である- 平和、自由と民主主義を理解し真価を認める機会を与えられます。
それゆえ、今、市長ロブ・フォードは、トロント市議会を代表して、大きな国家的な苦しみの期間に亡くなった男性、女性、子供たちの名誉のために2012年12月13日を、トロント市における “南京追悼記念日”と宣言します。
【Why this is important to you?
意見書き込み欄に書く文章サンプル】
署名サイトページ( http://goo.gl/SWLcb )の右側 Postal Codeの下に意見を書き込む欄があります。
下記サンプル文をご用意しました。適当にアレンジして使って下さって構いません。
皆様のご意見も是非書き込んでください。
下記サンプル文をご用意しました。適当にアレンジして使って下さって構いません。
皆様のご意見も是非書き込んでください。
<サンプル>
台北の国民党党史館に『中央宣伝部国際宣伝処工作概要 1938年~1941年4月(民国27年~30年4月)』が保存されています。それについての論文が下のURLです。
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/27_S4.pdf
これによると、中国は中央宣伝部の国際宣伝処を作り、国民党中央宣伝部は表に出ないで、外国人を動かして中国の敵の軍閥の残虐なことを宣伝する活動を、おおよそ南京陥落の一ヶ月前から始めています。
中央宣伝部は、お茶会と記者会見を、南京陥落前から始め、南京陥落前の十二月一日から十一ヶ月の間に三百回の記者会見を開いていました。記者が書いた記事は厳格に綿密に審査し、場合によっては削除または差し止めもしていました。
“南京大虐殺説“に擬似信憑性を与えたのは、第三者が書いたと思われていたティンパーリの『戦争とは何か』という単行本や、ニューヨーク・タイムズやシカゴ・デイリーニュースの記事、ベイツ教授の裁判での証言などです。しかし、これらの背後の全てに中央宣伝部の影響があったことが、今では判明しています。
ティンパーリが中央宣伝部の顧問で、お金をもらって『戦争とは何か』を書いてもらったことや、ベイツ教授は中華民国政府顧問だったことも判明しました。
ニューヨーク・タイムズやシカゴ・デイリーニュースの記事は、ベイツ教授のレポートを基に書かれたことも、ベイツの手紙から判明しています。
是非お読みください。
A document titled ‘An Overview of Propaganda Operations of the International Information Division of the Central Propaganda Bureau of the Nationalist Party from 1938 to April 1941’ is held in the Guomindang Historical Documents Archive in Taipei. A description and explanation of this document is contained in the following online book.
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/27_S4.pdf
According to it, the Central Propaganda Bureau of the Nationalist Party formed an Information Division which, starting about one month before the fall of Nanking, behind the scenes got foreigners to publicize supposed atrocities committed by the armed forces of China’s enemies
The Central Propaganda Bureau began to hold tea parties and press conferences before the fall of Nanking. Over 300 press conferences were held in the eleven months after December 1, 1937. The CPB meticulously and strictly examined the articles written by journalists and in some cases deleted or embargoed some stories .
The thing that gave the ‘Nanking Massacre’ story some credibility was the work of what appeared to be third parties: Timperley’s book What War Means, the articles in the New York Times and Chicago Daily News and Professor Bates testimony at the Tokyo War Tribunal. However it is now clear that the Central Propaganda Bureau had an influence behind all of these.
It is now known that Timperley was an advisor to the Central Propaganda Bureau and that he was paid money by them to write What War Means.
In addition it has been become evident that Professor Bates was an advisor to the Chinese Nationalist government.
It is also now known from a letter of Professor Bates that the articles in the New York Times and Chicago Daily News were based on his reports.
Please read this.
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