Quantcast
Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

[転載]日韓併合への歩みを知る(四)

$
0
0

イメージ 1
アヘン戦争 中国軍艦を攻撃する鋼鉄戦艦ネメシス号 (財)東洋文庫蔵


戦後のわが国の歴史教育は日本史と世界史とを関連づけて教えることはしません。
これが歴史認識の欠如となっているように筆者は思えてなりません。
特に近代史は日本史と世界史とを関連づけて考えなければ、物事の本質は見えてきません。
わが国と朝鮮との関わりも然りです。

わが国では天保年間、1840年~1842年、イギリスが清国に仕掛けた阿片(アヘン)戦争は清国の大敗に終わりました。南京条約で香港のイギリスへの割譲、各地港の開港、多額の賠償金の支払い。その後の追加条約で、治外法権、関税自主権の放棄などを承認させられた。
しかも、アメリカ、フランスも便乗し同じ条約を結ばせました。
アヘン戦争について
日本には、長崎入港のオランダ船がイギリス側の情報を、清国船が現地での見聞をもたらした。それらの情報をもとに戦いの記録や論評などが書籍として出版され、武士階級はもとより百姓町人まで知ることとなった。塩谷宕陰著『阿芙蓉彙聞』、斎藤竹堂著『阿片始末』など。

第2次阿片戦争(アロー戦争)は、イギリス・フランスの連合軍が清国に仕掛けた戦争でしたが清国大敗しました。天津条約で公使の北京駐在・キリスト教布教の承認・内地河川の商船の航行の承認・英仏に対する賠償金・阿片の輸入の公認化。さらに、清側が天津条約の批准を拒んだために、英仏連合軍は北京に進出して占領。ロシア公使の調停の下に北京条約締結。それにより天津開港、イギリスに対し九竜の割譲など、また調停に入ったロシアは沿海州(中心都市ウラジオストック)を手に入れたのです。

当時の清国はわが国から見れば大国でした。
日本人にとって支那はとりわけ思い入れのある国でした。日本文化の恩師であり東洋文化の拠点である大国清ですらが、西洋列強白人諸国にずたずたにされている。あの漢詩を愛しおおらかに歌う大人たちが白人の前で小さくなっていたのです。
文久元年(1862年)上海に渡った高杉晋作が帰国後に著した記録書「遊清五録」で次のように述べています。

「ヨーロッパ諸国の商船や、軍艦のマストが港を埋め尽しているさまは森の如く、陸上には諸国の商館が壁を連ねること城郭の如くその広大なことは筆舌に尽くしがたい。」
「この地はかって英夷に奪われた場所であって港が賑わっているといってもそれは外国船が多いためである。中国人の居場所を見れば、多くは貧者で不潔な環境に置かれている。わずかに富んでいるのは外国人に使役されている者だけである。」
「つくづく上海の形勢を見れば、支那人はすべて外国人の使役となっている。イギリス人、フランス人が街を歩けば、支那人は傍らに避けて道をゆずる。じつに上海の地は、支那に属すると言うが、英仏の属地と言うこともできる。」
と・・・


その頃アメリカは江戸幕府に対し、清を打ち破って天津条約を結んだ英仏連合軍がそのまま日本に来る可能性ありと進言し、他国間との問題時にはアメリカが仲介する事を約束して交渉していた修好通商条約の調印を迫った。
安政5年(1858)7月、危機を感じた幕府大老・井伊直弼は孝明天皇の勅許を得ないままに調印。

約2ヶ月余りの間に、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約を結ぶことになりました。しかしこの条約は自主関税権がなく、条約締結国人の犯罪(民事・刑事)に対して日本側の裁判権もないものでした。
薩英戦争、馬関戦争で
西洋列強との武力の差を嫌というほど日本側に見せつけられ、攘夷が不可能であることを痛感したのでした。
その後の
日本人は、古い幕藩体制を壊し、天皇を国の中心と頂いて日本人全員の心を一つにし、西洋列強なみの国力を持った新生日本を作り上げねば、このままでは日本は西洋諸国の植民地とされ、日本人は白人の奴隷として生きる民族に成り果ててしまう。
 それは、明治維新をおし進めた多くの日本人の一致した見解であったろうと筆者は思います。


明治維新をなしたわが国が、長き伝統をばっさりと断ち切り、衣食住を西洋風に改め必死に文明開化せんとする当時の姿は、涙ぐましいものがありました。後に夏目漱石が「軽挙」などと文明開化批判をしたが、そもそも彼が文壇に文人として名を馳せたのも、この日本という国が白人支配から逃れることが出来たおかげであったのです。
文明開化を押しすすめた明治大帝を始めとして多くの先人・先祖たちのその苦悩を知って、なんらかの感銘を覚えない者は祖国にアイデンティティーを置く人間とは思えず、無論、明治以前の日本の優れた制度・文化も少なからず損なわれたことは否定できません。歴史の流れがそれを許さなかったのです。



今日の極東アジア情勢も隣国、支那・朝鮮に悩まされていますが、開国当時の世界情勢を見渡すと、日本にとって厄介な国が隣国にあったのです。ロシアと清国の属国だった朝鮮でした。明治日本はこの両国にまつわる時代であったと言っても過言ではありません。



続く・・・

転載元: 美し国(うましくに)


Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>