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[転載]「博愛の精神」で遭難船の乗組員を救った沖永良部島(おきえらぶじま)の人たち

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沖永良部島(おきのえらぶじま、おきえらぶじま)







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ウジジ浜


平成12年(西暦2000年)9月、カナダ政府と鹿児島県大島郡知名町の人々との心温まる交流がありました。
1890年(明治23年)9月15日、カナダ帆船「リジーCトゥループ号」は長崎から米国のワシントンに向かう途中台風に遭遇し進路を失った。そして、7日後の9月22日早朝、ウジジ浜沖にて操船不能となりウジジ浜東海岸に乗揚げ船体は直ちに大破した。



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ウジジ浜で遭難したトゥループ号


 乗組員22名のうち10名が行方不明、残りの12名はウジジ浜の入り江に漂流していたため、荒れ狂う波浪の中で島民が懸命の救助活動を行った。しかし、、船長と1名の水夫は島民の懸命の介護の甲斐もなくまもなく死亡し、ウジジ浜の西方に埋葬され墓石が建てられた。
島民は、生き残った乗組員に対して温かい食べ物や飲み物・衣服を与え、元気になるまでの17日間世話をし沖縄経由でカナダに帰国させたのです。
2年経過した明治25年にカナダ政府から、その時の島民の救助と介護に対しての謝礼として望遠鏡と英国紙幣42ポンド(日本円換算272円42銭7里)が贈られた。そのお金は、遭難の時に尽力された島民たちに細かく配分された。当時の戸長は自分に贈られた4ポンドとさらに私財を加えて、島で最初の石橋(久平橋)を建設したのです。

現在、沖永良部島に住む二つの家にトゥループ号の乗組員たちの世話をした話が先祖から語り継がれています。このものがたりは、その島に住んでいる子どもが話を聞く形で進んでいきます。

明治23年(1890年)、おばあが七つのころだよ。
その年の九月に大きな台風が来てね、その台風が去った朝、大人たちがさわいでいたんだって。
「ウジジ浜に 異国船 ( いこくせん ) が打ち上げられた!」
「ケガ人がいるぞ、早く助けに!」
おばあは、
「子どもはじゃまになるから家にいろ」
って言われたけれど、こっそり見に行ったんだって。
そしたらね、そこには髪の毛のいろも、肌のいろも全然ちがう、見たこともない大男たちが、頭や足なんかから血を流して運ばれていたんだ。
その時、女の人がひとりいて、すごく悲しそうに泣いていたんだ。
後でわかったことだけど、その人のだんなさんが船長さんで、その船長さん、助けられたあとすぐに亡くなったんだって。
二歳の男の子も、海におちて助からなかったって。
それで泣いていたんだよ。
かわいそうだね、おかあさん。
それからね、島にいるあいだ、おばあのおかあさんたち、いっぱいごちそう作ってあげたんだよ。おイモやおサカナ、塩づけのブタやタマゴ……。
着物を作ってあげたら、ふたり分くらいの布でひとり分がやっとだったって!
ほんとに大きかったんだね。
おばあたちすぐに仲よしになって、いっぱい遊んでもらったんだってよ。
言葉わからないのにね。言葉が通じなくても仲よしになれるの?おかあさん。
船長さんの奥さん、アルフレッタさんって言うんだけど、その人もとってもやさしくて、一緒に遊んでくれたって。
おばあたちがえらぶの子守歌歌ってあげたら、とっても喜んでくれたんだけど……
やっぱり泣いてたって。
男の子に届いたかな、子守歌。
みんなが元気になってカナダっていう国に帰るとき、アルフレッタさんが手に大事そうに何か持って、島の人にこう言ったんだよ。
「私は今までのお世話に対して、何のお礼もできません。どうか、この指輪を受け取ってください」
島の人は首を横にふって、こう言ったんだ。
「夫婦のきずなは永遠です。そんな大切なものを受け取ることはできません。困ったときはお互いさまです」
あのねおかあさん、その指輪亡くなった船長さんのだったんだよ。
おばあが言ってた。
「言葉や肌のいろがちがったり、信じる神様がちがっていても、人の心はおんなじさ。やさしくされるとうれしいし、きずつけられるといたいんだ。世界中の人たちが思いやりながら仲よくしていけたらいいねぇ」
ねぇおかあさん、
わたし、 泉家 ( いずみや ) のおばあにありがとうって言ってくるよ

(「海の道むんがたい」より)


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慰霊祭・除幕式で挨拶するエドワーズ駐日カナダ大使





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献花する乗組員の遺族




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110年の時を経て姿を現したリジー・C・トゥループ号の
釘に見入る乗組員の遺族(ウジジ浜公園の交流会で)





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先人の「博愛の精神」で実現した110年祭。レナード・J・エドワーズ駐日カナダ大使は学校訪問や地元の文化・芸術に触れて大感激し、日本とカナダの友好がさらに深まることを強調。遭難した乗組員の4人の遺族は、当時介護にあたった泉川家の墓参をし、花束を捧げてお礼をしました。
海上慰霊祭や交流会を通して110年前の悲しい出来事が今、国際交流という大事業を産み出したのです。

かって日本人は美しかった、博愛の精神を持っていました。
現在、こころない国から批難をされていますが、現在の日本人よりも数倍、崇高な精神を持っていたのです。
先人、先祖を信じずして、文化、歴史の継承ができるでしょうか?


「日本人」よ、誇りを持とう・・・「美し国、日本、美しい国、日本」を・・・



参考文献
知名町HP
「海の道むんがたい」白川清乃(南方新社)

転載元: 美し国(うましくに)


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