今日の産経新聞「主張」欄に「挙手・採決 職員会議の悪慣行一掃を」の記事が記載されていました。昨今の教職の場にある者の権利・主張を振り翳す訴訟が後を絶ちません。
情けない限りです。国旗・国歌を巡る論争、訴訟、これでは教職にある立場の人としての資質を疑うよりほかなりません。
かつて日本人は時代を超えて、助け合いの精神、誠実、我慢強さなどの、美徳とされるすぐれた国民性・わきまえを身に付けていました。大東亜戦争終戦、占領下にあって歴史の断絶を余儀なくされ、心の座標軸を失った戦後社会は、古くから受け継いできたこれら日本人特有のたたずまいを、時代遅れのものとして切り捨ててしまいました。
戦後教育の中で、教育現場の主流を占め続けた「左派」は、国定教科書4期・5期の軍国主義的傾向をことさらに強調し、修身科を全面否定し、戦前の70年余りを暗黒の時代として描いています。
しかし、教育現場の主流を占め続けた「左派」が作り上げた今日の日本はどうでしょうか?
余りにも無茶苦茶です。教育という体すら成し得ていないのが実情です。
情けない限りです。国旗・国歌を巡る論争、訴訟、これでは教職にある立場の人としての資質を疑うよりほかなりません。
かつて日本人は時代を超えて、助け合いの精神、誠実、我慢強さなどの、美徳とされるすぐれた国民性・わきまえを身に付けていました。大東亜戦争終戦、占領下にあって歴史の断絶を余儀なくされ、心の座標軸を失った戦後社会は、古くから受け継いできたこれら日本人特有のたたずまいを、時代遅れのものとして切り捨ててしまいました。
戦後教育の中で、教育現場の主流を占め続けた「左派」は、国定教科書4期・5期の軍国主義的傾向をことさらに強調し、修身科を全面否定し、戦前の70年余りを暗黒の時代として描いています。
しかし、教育現場の主流を占め続けた「左派」が作り上げた今日の日本はどうでしょうか?
余りにも無茶苦茶です。教育という体すら成し得ていないのが実情です。
「焼き場に立つ少年」ジョー・オダネル
昭和20年8月9日午前11時02分、長崎に原爆が投下されました。原爆は浦上地区の中央で爆発し、この地区を壊滅させました。被災して亡くなった方々の遺体を焼いているところに、幼い兄弟を背負い、はだしで、歩いてきた少年。
男の子は泣いちゃいけない、精いっぱい、涙をこらえて、直立不動の姿勢をとり、唇に血がにじむほど、歯を食いしばっていた少年。、凛とした面構え、こんなちいさな少年でも、その頃の日本人は立派な、サムライでした。
「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。
男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。
少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。
この写真が伝えるのは戦争の悲惨さだけでなく、筆者が強く感じるのは、戦前教育の素晴らしさなのです。
なんと素晴らしい教育をこの子は受けてきたのか、なんと素晴らしい親だったのだろう、なんと素晴らしい社会環境で育ったのだろうと・・・
同時に日本という国は何と素晴らしい国だったのだろうと・・・
近年、学級崩壊、モンスターペアレント、モラルハザードが社会問題となっています.
原因はどこにあるのでしょう?
上記にも述べていますが、教える教師に問題があるのです。
戦前に重視され、戦後軽視され蔑ろにされてきた物、それは道徳教育です。
明治以降教育の根幹を為した「教育勅語」「修身」です。
戦後、日本人を骨なしにする為に、GHQの意向により廃止してしまったのです。
「教育勅語」「修身」世代は80代となり、現在、戦前教育を知らないで育った人ばかりです。戦前教育を知らない世代に教育された子供達が、親となり、孫を持つまでになっています。
その様な両親とその両親のもとに生まれ育った子供達が、教師となり、道徳観念を欠いてしまっているのも至極当然の結果なのです。
「こころのノート」より
最近、道徳教育を見直す為、「こころのノート」が配布されましたが、民主党政権による事業仕分けにより廃止されてしまいました。
筆者は建設業を営んでいますが、概ねの工事には測量が必要です。
座標にて管理していますが、座標測量は自身がいる位置、機械点と基準となる方向点が解らなければ測量は成り立ちません。
道徳教育こそが、座標軸の役割を果たしているのです。座標軸がないと、どこにいるのか分からなくなります。人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。筆者は、こうした情緒を含む精神の形として「教育勅語」「修身」を改めて基軸とすべきと考えます。
筆者が尊敬してやまない「さくらの花びら」大兄が毎日、「五箇条の御誓文」「教育勅語」を暗誦されています。暗誦することにより、日本人としての基軸、「誇り」が生まれます。それが、愛国心ある、素晴らしい記事となって生まれると推察します。
戦前の日本人は、「五箇条の御誓文」「教育勅語」の暗誦は必須でありました。
こうした素晴らしい環境から、偉人が生まれたのです。
教員免許更新講習には、道徳教育もされているようですが、悪しき思想に染まったものはなかなか改善されません。
前にも書いていますが、「教育勅語」「修身」世代は80代となり、現在、戦前教育を知らないで育った人ばかりとなり、戦前教育を知らない世代に教育された子供達が、親となり、孫を持つまでになっており、学校教師も勿論含まれます。
「教育勅語」「修身」は戦後を境に断絶しています。
いさをある 人を教の 親にして おほしたてなむ 大和撫子
立派な人格者を得て、教育の重任に当たらせたいとの明治天皇陛下の叡慮を現した御製です。「やまとなでしこ」は、日本の少年・青年に例えられたもの。
「おほしたつ」は、養い立つ、教育し立つの意。
「いさをある人」は、名誉ある人、立派な人格者、人の儀表たるに足る功勲ある人のこと。
「教の親」は、校長や教師のこと。
明治天皇陛下が教育に御熱心であらせられたことは今更申すまでもありませんが、この御製を拝し、冷や汗 背 ( せな ) に 洽 ( あまね ) く 恐懼 ( きょうく ) にたえぬ思いです。
堕落した教育者こそ、「教育勅語」「修身」が必要なのです。