最も尊敬する女性著作家である、曽野綾子さんと金美齢さんの対談になる「この世の偽善」を読んだ。
金さんが対談相手なので、台湾についても多々語られていたが、台湾については、国際的にその帰属が正式に定められているわけではないことを知った。サンフランシスコ講和条約(1951年)において日本は台湾に関する権利を放棄したけれど、その後の台湾の帰属については、「中華民国帰属説」「連合国共同領有説」とともに、「帰属未定説」があること、そして、自民党政府は一貫して帰属未定の立場をとってきたとのことだ。しかしその割には、台湾は支那の領土という見解をわが国は取っているではないか。この点がわからない。
さて、本書の158ページから159ページにかけて、第一次安倍内閣のときの安倍首相の胸のすくような話が紹介されている。台湾の李登輝氏が3度目の来日を果たした平成19年(2007年)6月のことである。
支那は案の定というかいつも通り、李氏の来日に対し強硬に反対したが、安倍首相は、
「日本は自由主義の国である」
として支那の抵抗を突っぱねたそうだ(当然のことだが、しかし拍手)。
支那政府がこれを根に持たぬわけがない。
李氏の来日前、同じ6月にドイツでG8が開かれた。その際、安倍首相が支那の胡錦濤主席に会談を申し込むと、李氏の来日予定を知っていた胡錦濤は、
「李氏が来日するなら、首脳会談の雰囲気は醸成されていない」
と言って断った。安倍首相は、
「雰囲気が醸成されていないというのが、首脳会談ができないという意味なら、李氏の来日は変えられませんから、また別の機会にしましょう」
と返答した。すると支那側は、
「こちらは会談をやらないと言っているわけではない」
と態度を変えたものの、
「李氏を公開の場で講演させないでほしい。その場に報道陣を入れないように」
という条件を出してきた。すると安倍首相は、
「日本には言論の自由も報道の自由もあるのだから、それはできない。会談はまたの機会で結構です」
と答えた。すると、支那側は、何事もなかったかのように首脳会談の受け入れを伝えてきた、というのである。
こういう話は、もっと巷間に伝わってほしい。安倍首相、good jobどころではない。安倍首相は、支那の卑怯な脅しに屈しなかっただけでなく、こんな風につっぱねれば、中華思想のあいつらでも折れるということをご存じでいらしたのかどうかわからないが、はからずも立証してくださったのだ。本来であれば、日本の政治家は全員こうでなければならないのだが、こういう気骨の見られる政治家が果たしてあと何人ほどいるのだろう。
これが民主党だったらどうだ。言うまでもないが、李氏に来日ビザを発給するわけがない。仙谷など、尖閣諸島沖で日本の海上保安庁の巡視船に体当たりした支那の漁船の漁師を、不起訴処分にして釈放しただけでなく、「お帰りになれば」などと、犯罪者に対して敬語まで使うクソぶりであった。この仙谷、12月の衆議院議員選挙で落選した理由はたぶんそれなりにわかっているだろうが、この徹底した媚中精神は、何百回落選しても少しも改まらないであろう。この男は、日本の独立性を平気で殺した。
李氏が、あえて、支那政府に見せつけるように(と言っていいものかわからないが)来日を希望するのか、日本政府の裁量を、支那にあてつける目的で利用していなくもないような気がする。しかし、李氏の兄上は、日本人として戦争に参加し、戦死しておられるので、李氏が靖国神社を参拝し、62年ぶりに兄上に会ったと述べたということには、さすがにじーんとした。
支那という国は、国際ルールやマナーを全く理解しない。恫喝、恐喝と言う非礼も意に介さない。
2010年、ノーベル平和賞に支那人の活動家が選ばれた際も、
「わが国とノルウエーの関係は最悪のものになるであろう」
などと言って脅した。ノーベル平和賞など、演説しただけのオバマに与えるような空虚、無意味でお飾りのような賞である。それを200%真に受け、徹底して報道規制を敷き、海外のメディアを封鎖し、ノーベル賞授賞式に参加する各国に脅しをかけた。こんな三等国家に対し、へいこらしていたのは、民主党だけではなく、河野洋平という男もいたことを合わせて知った。その上、李氏へビザを出すように内閣総理大臣が指示しても、支那を恐れて、我が国の外務省は抵抗をすることも知った。一体、どこの国の外務省なのだろう。