長谷川三千子教授の正論
昨日から突っ込みどころ満載のニュースが多すぎて、是非ご紹介したい産経新聞「正論」をご紹介するのが遅れた。
昨日の産経新聞のコラム「正論」は熱烈な安倍首相支持者の一人である長谷川三千子埼玉大学名誉教授が執筆し、日本国憲法を説明する教科書の嘘を指摘している。
国家主権と国民主権の関係にも触れ、「日本国憲法は全くめちゃくちゃな憲法」と断罪している。
だから今こそ憲法教育を始めろ、と長谷川教授は言う。
確かに国民の多くはメチヤクチャだとは思っていない。
反日テレビメディアは街頭インタビューや世論調査を中心に、憲法改正に反対する国民が結構多いと情報操作しているからである。
戦後教育で刷り込まれた平和憲法至上主義の悪弊は世間に蔓延している。
戦後教育で刷り込まれた平和憲法至上主義の悪弊は世間に蔓延している。
まことに正論であり、まだお読みでない方のために敢えて長文を掲載させていただく。
産経新聞(2013/4/30)
教科書が語らない「憲法制定」の真実 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子
【正論】「国民の憲法」考
教科書が語らない「憲法制定」の真実 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子
【正論】「国民の憲法」考
わが国では戦後ながらく、憲法についての思考停止状態がつづいてきました。昨今はそれが少し解消したかのようにも見えますが、基本的な点では、ほとんど何も変わっていません。産経新聞が新しい憲法案「国民の憲法」要綱を発表しましたが、いくらよい憲法案を作っても、この思考停止が解けない限り、本当の「国民の憲法」は実現しないでしょう。それを解決するのには、何よりも大切なのが正しい憲法教育なのですが、現状はいささかお粗末と言わざるを得ません。
≪素通りの「誰が作ったか」≫
昨年たまたま、或る出版社のご好意によって、その年出版された中学公民の教科書をいくつか見る機会がありました。いずれもきれいな写真が沢山のった観光パンフレットと見紛うような美装本で、かつての社会科教科書とは様変わりしていましたが、その中身は、ほとんどいずれも、敗戦直後の中学教科書『あたらしい憲法のはなし』を一歩も出ていない。むしろ或る意味で思考停止ぶりが深まっているとすら言えるのです。
かつて『あたらしい憲法のはなし』は、日本国憲法の成立についてこんなことを語っていました。
「これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります」。もちろんこれは大ウソです。新憲法は「日本国民が自分でつくった」ものではなく、占領者の作った草案を日本人が「自由に」修正することも許されなかった。しかし昭和22年、占領下の日本にはそのことについてウソをつかない自由すらなかったのです。
では、ウソをつく必要のなくなった平成24年の教科書はどんな風に日本国憲法の成立を語っているのか。例えば清水書院の教科書はこんな言い方をしています。「ポツダム宣言にもとづいて、憲法の改正を求められた日本政府は、連合国軍総司令部から民主主義を基本とする憲法案を示された。これをもとにつくられた改正案が、新たに20歳以上の男女による普通選挙で選ばれた国会で審議・議決されて、日本国憲法が誕生した」
たしかに、ここにはウソは書かれていません。しかし本当のことも書かれていないのです。この文章がすべて「られた」「された」と受動態で書かれていることにお気付きでしょうか。いったい、この憲法は誰が作ったのか、という肝心の問いを、この執筆者は完全に素通りしているのです。
かつて『あたらしい憲法のはなし』は、日本国憲法の成立についてこんなことを語っていました。
「これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります」。もちろんこれは大ウソです。新憲法は「日本国民が自分でつくった」ものではなく、占領者の作った草案を日本人が「自由に」修正することも許されなかった。しかし昭和22年、占領下の日本にはそのことについてウソをつかない自由すらなかったのです。
では、ウソをつく必要のなくなった平成24年の教科書はどんな風に日本国憲法の成立を語っているのか。例えば清水書院の教科書はこんな言い方をしています。「ポツダム宣言にもとづいて、憲法の改正を求められた日本政府は、連合国軍総司令部から民主主義を基本とする憲法案を示された。これをもとにつくられた改正案が、新たに20歳以上の男女による普通選挙で選ばれた国会で審議・議決されて、日本国憲法が誕生した」
たしかに、ここにはウソは書かれていません。しかし本当のことも書かれていないのです。この文章がすべて「られた」「された」と受動態で書かれていることにお気付きでしょうか。いったい、この憲法は誰が作ったのか、という肝心の問いを、この執筆者は完全に素通りしているのです。
≪主権なき中で主権うたう矛盾≫
同時に、連合国軍総司令部が日本政府に憲法案を(示しただけでなく)強制したこと。総司令部が厳しい検閲によって、そのことを一切日本国民に知らせなかったこと。そうした事実も全く語られていません。それに言及しているのは自由社と育鵬社のみなのですが、この2社ですら、当時の日本は軍事占領下にあって国家主権を奪われていた、という事実については、一言も語っていません。
占領を解かれて半世紀以上もたっているのに、どうしてこんな風にすべての教科書が本当のことを避けているのでしょうか。それはもし日本国憲法の成立について本当のことを語ってしまうと、それにつづく話がすべてめちゃくちゃになってしまうからなのです。
どの教科書も、日本国憲法の三大原理として「国民主権、平和主義、基本的人権」をあげています。その第一の「国民主権」とは、「国の政治のあり方を最終的に決める力(主権)が国民にあるということ」と説明されています。当然それは憲法を改正したり制定したりする力でもあるはずです。ところが、日本国憲法自体は「主権」が完全に奪い去られた状態で制定された--ということになると、まるで訳のわからない話になってしまいます。
占領を解かれて半世紀以上もたっているのに、どうしてこんな風にすべての教科書が本当のことを避けているのでしょうか。それはもし日本国憲法の成立について本当のことを語ってしまうと、それにつづく話がすべてめちゃくちゃになってしまうからなのです。
どの教科書も、日本国憲法の三大原理として「国民主権、平和主義、基本的人権」をあげています。その第一の「国民主権」とは、「国の政治のあり方を最終的に決める力(主権)が国民にあるということ」と説明されています。当然それは憲法を改正したり制定したりする力でもあるはずです。ところが、日本国憲法自体は「主権」が完全に奪い去られた状態で制定された--ということになると、まるで訳のわからない話になってしまいます。
≪事実示し考えさせる教育を≫
公民教科書では「国民主権」と「国家主権」とが完全に別物のようにして扱われていますが、もともとは同じ一つの概念の内側と外側といった関係です。実は、そもそも「国民主権」とは、フランス革命における、王を殺して国民が権力を奪うのが正義だ、という思想に基づく、問題のある政治原理なのですが、なににせよ「国家主権」のないところでは「国民主権」も成立しえないのです。
さらに言えば、国家が一切の力を放棄するという日本国憲法の「平和主義」は、国家主権の放棄であり、そこでは「国民主権」が成り立たないどころか、近代憲法自体が成り立ちません。国民の「基本的人権」を守ることも不可能となります。
つまりこんな風に、日本国憲法は全くめちゃくちゃな憲法なのです。その衝撃の事実をありのままに子供達の目の前にさらけ出すこと--本当の考えさせる憲法教育はそこから始めるべきでしょう。(埼玉大学名誉教授・長谷川三千子)
さらに言えば、国家が一切の力を放棄するという日本国憲法の「平和主義」は、国家主権の放棄であり、そこでは「国民主権」が成り立たないどころか、近代憲法自体が成り立ちません。国民の「基本的人権」を守ることも不可能となります。
つまりこんな風に、日本国憲法は全くめちゃくちゃな憲法なのです。その衝撃の事実をありのままに子供達の目の前にさらけ出すこと--本当の考えさせる憲法教育はそこから始めるべきでしょう。(埼玉大学名誉教授・長谷川三千子)
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