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『天皇皇后両陛下の被災地お見舞い~国民に心を寄せて』というDVDが発売されました。
今上陛下が被災地をお見舞いになられたご様子を記録したものです。
明治5年、5月23日から7月12日まで、明治天皇は近畿から九州方面へご巡幸をなされました。これが明治天皇の六大ご巡幸の始まりでありました。
この時は西郷隆盛が首席随員として70名ほどが随行しました。
ご巡幸前の3月14日に石州浜田県(現・島根県)でマグニチュード7.1の大地震が起こり、死者550名に上りました。
明治天皇が下関に来られた時に石州浜田県の参事(県知事)を召され、震災の状況を聞かれました。じっと聞かれていた明治天皇はあまりの困窮に、その場で3千金を義援金として下賜されました。
参事は感激のあまり落涙して陛下の御前に打ち伏して頭を上げられず、側にいた者たちまで落涙したといいます。
今上陛下も阪神淡路大震災や東日本大震災のような大きな震災が起きると、被災地に赴いて、膝を折り、被災者を勇気づけ、励まし、慰めのお言葉をかけられます。
その先例が明治天皇にみられるのです。
明治11年の8月30日から11月9日にかけてのご巡幸は北陸から東海でありました。明治天皇は窮屈な鳳輦や馬車の中でうだるような暑さで、夜は夜で蚊の大群に悩まされていましたが、明治天皇は平気のようでありました。
しかし、たまりかねた侍従が蚊帳を吊るように申し上げましたが、お許しにならず、
「巡幸は民の労苦を知るために、不自由なればこそ下情もわかる。決して蚊などいとわない」と仰せられました。
そして、新潟県に入られると沿道の国民に眼病を患っているものが多いことに気づき、「どうかして病状を軽くする療法はないか」と、明治天皇は侍医を通じて新潟病院に治療と予防を講じるように命じになられ、お手許金1000円を新潟県に下賜されました。この眼病はトラホームのことで、新潟大学医学部の眼病研究が今日盛んなのは、この恩賜による研究を今日まで継承しているからであります。・・・・
昭和20年8月15日、学習院初等科6年生であった今上陛下は、奥日光の疎開先で米国占領による迫りくる困難を見据え『新日本の建設』という作文を書かれました。
そこにはこのように書かれております。
「いまは日本のどん底です。それに敵がどんなことを言ってくるかわかりません。つぎの世を背負って新日本建設に進まなければなりません。
それも私の双肩にかかっているのです。どんな苦しさにも耐えしのんで行けるだけの粘り強さを養い、もっともっとしっかりして明治天皇のように皆から仰がれるようになって日本を導いていかなければならないと思います」
明治元年、行幸途中で熱田の農民の稲刈りの様子をご覧になられる明治天皇。
国民の生業を見聞された最初でした。
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