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[転載]マスコミ靖国参拝批判の嘘

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マスコミ靖国参拝批判の嘘・「戦争の総括ない」「戦時宗教弾圧」、朝日「隣国の神経逆なでが流行」
 
 
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TBSみのもんた 朝から電波強い
閣僚をはじめとする国家議員の靖国神社参拝を批判する新聞やテレビなどのマスゴミ


テレビや新聞などのマスメディア(マスゴミ)は、4月21日~23日の靖国神社の春の例大祭における閣僚や国会議員らの靖国神社参拝について、盛んに批判している。

しかし、テレビや新聞などによる靖国神社参拝の中身は、嘘出鱈目のオンパレードとなっている。

マスゴミの出鱈目を幾つか抽出し、間違いなどを指摘する。

まずはテレビから。



4月23日
TBS
みのもんたの朝ズバッ!


ただ、参議院選挙の後に、痛恨の極みと言った以上参拝するんじゃないかということで、やっぱり中韓が凄く警戒してて、それに対する牽制ではないかという風に思えるんですね
杉尾秀哉
「安倍総理自身はですね、これ前回第一次安倍内閣の時に靖国参拝してないですよね。
それを痛恨の極みという風に公言されているわけです。
で、これ選挙前まではあまり刺激的な事しない。
今度参議院選挙ですね。
ただ、参議院選挙の後に、痛恨の極みと言った以上参拝するんじゃないかということで、やっぱり中韓が凄く警戒してて、それに対する牽制ではないかという風に思えるんですね。」


やっぱり大戦の総括っていうのが実は日本はしてないんですよね、国としてね。
杉尾秀哉
「やっぱり憲法改正の話も出てますけども、やっぱり大戦の総括っていうのが実は日本はしてないんですよね、国としてね。だからそこに根本的な問題があるという風にも思えるんですね!」



>やっぱり大戦の総括っていうのが実は日本はしてないんですよね、国としてね。


「大戦の総括」って何?

「日本は戦争の総括をしていない」ということは、田原総一朗も頻繁も以前から頻繁に言っている。

また、昨年9月19日には、「日本維新の会」の橋下徹大阪市長も「中国、韓国が何を怒っているのか、しっかり過去の戦争を総括すべきだ。」と話した。

しかし、「戦争の総括」とは、いったい何をしろと言っているのかサッパリ分からない。

――――――――――
【年表】
▼日本は既に完璧に戦争を総括済み▼

●1951年
9月、サンフランシスコ平和条約調印
11月、大橋武夫法務総裁
「戦犯は国内法においてはあくまで犯罪者ではない」

●1952年
4月28日、サンフランシスコ平和条約発効
外務省の西村熊雄条約局長
「平和条約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向かって効力を失うのが国際法の原則だから、第11条はそういう当然の結果にならないために置かれたもの」(第11条は、刑の執行の即座停止の阻止が目的)
政府は拘禁中の全ての戦犯の全面赦免を関係各国に要請

5月1日、木村篤太郎法務総裁が戦犯の国内法上の解釈についての変更を通達。戦犯拘禁中の死者は全て「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」に。(平和条約で戦争犯罪の撤回を認め、戦犯は国内法上の犯罪者とみなさず

6月7日、戦犯の釈放を求める全国的な署名運動は、4千万人達成


日本が1952年(昭和27年)に独立を回復すると、国会は早速、靖国神社合祀の関係法となる「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(遺族援護法)および「恩給法」とその関連法を制定した。

更に、1953年(昭和28年)8月から国会で、「遺族援護法」および「恩給法」の改正が重ねられた。

当時の国会は、「戦犯」とされた人々の遺族も一般戦没者の遺族と同様に扱うように法規を改正し、「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者とはみなさないことにし、「戦犯」とされた人々の死を「戦争による公務死」とした。

決定は全会一致だった。

「日本に戦争責任者は居ない」というのが、大東亜戦争の真実を良く知っていた当時の日本国民の総意による結論だった。

したがって、日本は既に国民の総意によって
「日本は悪くなかった。日本に戦争責任者は居ない。」
という総括を完璧に行っているのだ。

田原総一朗や橋下徹や杉尾秀哉らは、こういう歴史事実を何も理解していない。








最後に、朝日新聞の社説に言いたい。

【社説】asahi.com 2013年 4月 24 日(水)付

靖国問題―政治家は大局観を持て

 日本はいったい、何を考えているのか。この国の為政者全体の国際感覚が、そう疑われても仕方がない。

 安倍政権の3閣僚に続いて、与野党の国会議員がきのう、大挙して靖国神社を参拝した。

 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」によると、その数168人。人数の把握を始めた87年以降で最多という。

 政府や党の要職にある議員たちも多く加わった。国会議員の参拝数は、昨年の同じ時期と比べると、一気に倍増した。

 隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるを得ない。

 参拝問題をめぐる日韓の摩擦の再燃について、米国務省の報道官も「対話で違いを乗り越えてほしい」と苦言を呈した。

 自民党の高市早苗政調会長は「外交問題になる方が絶対おかしい」と語ったが、それはあまりにも独りよがりの発想だ。

 外交とは、国同士の相互関係で紡ぐものであり、一方が問題ないと片づけることはできない機微にふれる問題なのである。

 歴史問題をめぐる政治家らの思慮を欠く対応は、私たち日本自身の国益を損ねている。

 北朝鮮に対する日米韓のスクラムでは、日韓のパイプが目づまりしてきた。さらに歴史問題がこじれれば、軍事情報の交換をめぐる懸案の協定も結べず、チームワークは進まない。

 日中韓をめぐっては、自由貿易協定論議が遠のくだけではない。日本を置いて、韓国は中国への傾斜を強めている。

 来月に外遊を始める朴槿恵(パククネ)大統領はまず米国を訪れ、その次は日本ではなく中国を考えている。歴代政権で異例のことだ。

 北東アジアの多国間外交において、日本の孤立を招きかねない事態を、安倍首相はじめ政治家はどう考えているのか。

 首相が立て直したと自負している米国との関係も誤解してはならない。オバマ政権は従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」の見直しや、尖閣諸島問題をめぐる不用意な言動を控えるよう安倍政権に警告してきた。

 国内の一部の感情を優先して近隣外交を揺らすような日本の姿は、米国にとっても信頼に足る同盟国とは言えない。

 だからこそ安倍首相は2月の訪米時に、アジアとの関係を重んじる決意を誓ったのではなかったか。「地域の栄えゆく国々と歩みをともにしてゆくため、より一層の責任を負う」と。

 何よりも肝要なのは、中国、韓国との信頼関係づくりに歩を進めることだ。国を思うなら真の大局観を失ってはならない。


>隣国の神経を逆なでする行動が流行のように政治家に広がることを憂慮せざるを得ない。


昭和60年(1985年)頃まで、日本の首相は年に3~4回ずつ靖国神社を参拝していたが、支那も韓国も全く問題視しなかった。

支那や韓国に「日本の首相が靖国神社を参拝したら、神経を逆なでされたと感じなさい」と持ちかけたのは、朝日新聞だった。


いわゆる「A級戦犯」とされてしまった方々が合祀されたのは1978年だが、マスコミはその翌年に合祀のことを報道していた。

その合祀以降も、大平正芳首相や鈴木善幸首相などが靖国神社を参拝したが、支那も韓国も文句など言わなかった。

それどころか、彼らが支那を訪問すると、支那は熱烈歓迎していたほどだ!

━━━━━━━━━━
1959年
靖国神社が「公務死」と認定された「戦犯」を初めて合祀

1978年10月
天皇陛下にA級戦犯合祀が上奏され、秋季例大祭前日の霊璽奉安祭で合祀

1979年
大平正芳首相が春と秋の例大祭に靖国を参拝し、国内メディアは合祀と首相の靖国参拝について執拗に報道。



大平正芳首相
1979(昭和54)年から1980(昭和55)年にかけて靖国神社を3回参拝。
(1979年4月21日・同年10月18日・1980年4月21日)


1979年12月
大平正芳首相は夫人を伴って支那を訪問、支那は大平正芳首相を熱烈大歓迎。
「中日友好医院」建設、対支円借款などを約束



鈴木善幸首相
1980(昭和55)年から1982(昭和57)年にかけて9回参拝。
(1980年8月15日・同年10月18日・同年11月21日・1981年4月21日・同年8月15日・同年10月17日・1982年4月21日・同年8月15日・同年10月18日)


1982年9月
鈴木善幸首相が支那を訪問、(北京政協礼堂で)日支国交正常化10周年記念講演



中曽根康弘
1983(昭和58)年から1985(昭和60)年にかけて10回参拝。
(1983年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1984年1月5日・同年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1985年1月21日・同年4月22日・同年8月15日


1984年3月
中曽根康弘首相が支那を訪問、「日中友好21世紀委員会」発足、4700億円の円借款供与で合意
━━━━━━━━━━


上記のように1978年に、いわゆる「A級戦犯」合祀後も、日本の首相はマスコミが報道する中で靖国神社を参拝していたが、支那も韓国も嫌がっていなかったから何の異議申し立ても行なわなかった。

支那が日本の首相の靖国参拝に文句をつけ始めたのは、朝日新聞が支那をそそのかした後の1985年以降だ。

『朝日』加藤千洋記者
①『朝日』加藤千洋記者
↓「中国『日本的愛国心を問題視』」ほか
↓1985年(昭和60年)8月7日

②社会党 田辺誠書記長ら訪支
↓1985年(昭和60年)8月26日

③支那の姚依林副首相が初めて政府要人として中曽根康博首相の靖國神社参拝を」批判
 1985年(昭和60年)8月27日
 これ以前、歴代首相は、いわゆる「A級戦犯」合祀後も20回も靖国神社を参拝している(合祀前も含めると58回)。

支那工作員朝日新聞→報道ステーション加藤千洋記者
支那工作員 朝日新聞→報道ステーション 加藤千洋

■YouTube 動画
『靖国問題に火を付けたのは報ステの加藤千洋だった!』
http://www.youtube.com/watch?v=KT-Dj8agc4Y




「マスゴミは嘘出鱈目のオンパレードをやめろ!」
 
 
 
 
正しい歴史認識さんのブログより

転載元: ローリージャパンの日々雑感!


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