報じられるところによりますと、最近、我が国の歴史教科書では、聖徳太子に関する記述に異変が起きているそうです。非実在論が提唱されたことを受けて、教科書出版会社では、両論を併記したり、表現を変えているというのです。
7世紀の飛鳥時代の対隋外交は、『日本書紀』などの日本側の史料に残るのみならず、中国側の『隋書倭伝』にも記されています。ただし、”聖徳太子”の呼称は、日本側では厩戸豊総耳皇子、一方、中国側では多利思比孤と、表記に違いがあり、非実在論の根拠となってきました。しかしながら、呼称の違いこそあれ、両国の記述はほぼ一致しているのですから、7世紀に”日出ずる処の天子”による画期的な外交、つまり、対中対等外交が展開されたことは、ほぼ確実視できます。ところが、教科書の記述者は、名称の不一致を理由に、その歴史的な事実までも過小評価し、疑おうとしているのです。この態度、”南京大虐殺30万人説”や”慰安婦20万人強行連行説”に対する態度とは、全く逆です。実証性の乏しい中韓の”歴史認識”については、頑なに”事実”として扱おうとしているのですから…。
自国の業績についてはできる限り矮小化し、他国の捏造については誇大に書き立てようとしているのですから、教科書出版会社の姿勢は、明らかなダブルスタンダードです。この一貫性のなさは、反日という視点からしか説明できないのではないかと思うのです。
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