イギリスを叩き直した、サッチャー首相が亡くなりました。
脳卒中。87歳だそうです。
謹んでお悔やみ申し上げます。
サッチャー首相は鉄の女と言われ、イギリスを叩き直した不世出の政治家でした。
数々の名言を残しております。
「政治の世界で、言葉を求めるなら男性に、行動を求めるなら女性に聞きなさい」(1965年)
「自分が生きている間に、女性の首相が誕生することはないと思う」(1973年、教育相時代のコメント。その後、1979年に英国初となる女性の首相に)
「不一致あるところには調和を、誤りあるところには真実を、疑いあるところには信頼を、絶望あるところには希望を」(1979年の選挙に勝利し、アッシジの聖フランチェスコの祈祷文を引用して)
「私は意見の一致を求める政治家ではない。信念の政治家だ」(1979年)
「閣僚たちがどれだけ議論しようと構わない、私が言ったことをしている限り」(1980年)
「フォークランド諸島問題では、外敵と戦わねばならなかったが、われわれは常に内なる敵に注意しなくてはいけない。こちらの方がより強敵で自由にとって危険な存在だ」(サッチャー氏の経済政策に対する労働組合の最も激しい反対運動の引き金となった1984―85年の鉱山労働者ストライキについて)
「英国は共同体に1ペニーすら要求していない。レシートがたまっているわれわれの大金を返してほしいと言っているだけだ」(1979年の欧州経済共同体サミットで)
「私は戦い続ける。勝つために」(1990年11月、保守党党首選の第1回投票で十分な票を獲得できなかった後で。サッチャー氏は翌日辞職した)
「自分が生きている間に、女性の首相が誕生することはないと思う」(1973年、教育相時代のコメント。その後、1979年に英国初となる女性の首相に)
「不一致あるところには調和を、誤りあるところには真実を、疑いあるところには信頼を、絶望あるところには希望を」(1979年の選挙に勝利し、アッシジの聖フランチェスコの祈祷文を引用して)
「私は意見の一致を求める政治家ではない。信念の政治家だ」(1979年)
「閣僚たちがどれだけ議論しようと構わない、私が言ったことをしている限り」(1980年)
「フォークランド諸島問題では、外敵と戦わねばならなかったが、われわれは常に内なる敵に注意しなくてはいけない。こちらの方がより強敵で自由にとって危険な存在だ」(サッチャー氏の経済政策に対する労働組合の最も激しい反対運動の引き金となった1984―85年の鉱山労働者ストライキについて)
「英国は共同体に1ペニーすら要求していない。レシートがたまっているわれわれの大金を返してほしいと言っているだけだ」(1979年の欧州経済共同体サミットで)
「私は戦い続ける。勝つために」(1990年11月、保守党党首選の第1回投票で十分な票を獲得できなかった後で。サッチャー氏は翌日辞職した)
私の中では、サッチャー首相と言えば・・・・・・
マネタリズム
です。
ご期待に添えなくて済みませんね。
でも、それは後で。
私がガッコで習ったのは、裁量によって通貨の供給量を増減させる事で、景気(需要)をコントロールするケインズ経済学。
それと、均衡経済学でした。
レーガン、サッチャーの出現によってマネタリズムという言葉が使われだし、「そんな考え方があるのか?」と思ったものです。
マネタリズムとは、ケインズ的裁量政策が決して上手く総需要を制御できない事に疑問を持ち、通貨の供給量を一定のルールでコントロールする事によって、経済を安定させようとする考え方だったと思います。
(と、言うのは、結構忘れているw)
裁量によって、通貨の供給量を増やしても、それが実質経済に現れるまでにはタイムラグが生じます。
だから、政治家は読み違えも起こす訳です。政治家が世の中の貨幣の動きを逐次把握している訳では、決してありませんからね。
だから、GDPを何%上げますとかいう数値目標ではなく、通貨の供給量をあるルールに基づいて一定にしますという目標が掲げられます。
ですが結局マネタリズムは、レーガンとサッチャーの失敗によって、その後語られなくなりました。
レーガノミクス(マネタリズム)の失敗は、冷戦勝利に糊塗されて、意外に知られていません。
しかし、経済の拡大均衡の要件を満たしていなかったが為に失敗し、米国は貿易赤字と財政赤字に以後苦しむ事になります。
レーガン時代にアメリカは、債権国から債務国へ滑り落ちました。
サッチャー首相が、保守党内での代表選挙に敗れたのも、結局経済政策の失敗からです。
ただ、サッチャー首相が、イギリスを叩き直した事は、紛れもない事実です。
労働組合を抑え込み、国営企業を民営化するなどして、イギリス経済を一時は活性化させたのです。
時にはIRAから爆弾テロで狙われたりもしました。
フォークランド紛争では、当然味方してくれると思ったアメリカが味方してくれませんでした。
それどころか、「地球の裏側のあんな小さな島、どうでも良いじゃないか」とすら言ってきたのです。
経済も再建途上であり、閣僚も軍人も戦いたくはなかったのです。
アルゼンチンとしても、この辺りは読んでいたのかも知れませんね。
その時に出た言葉が
「この国に男は居ないのか!」
です。
ただただ好戦的というのではなく、自国領土を守るのは政治家や軍人の務めでもあり、国家としてのスジの問題であります。
男ならスジを通せ!
と迫ったのだと思います。
長年男をやっていて、女にこう言われたら、もうやるしかないでしょねw
今、サッチャー首相が日本にいたら、安倍さん以下全員がこの言葉を投げつけられたでしょうね。
余談ですが、フォークランド紛争の勃発を見て、核兵器には抑止効果など無いのだという人が居ます。
イギリスの核は、実はアメリカのヒモ付きであり、純粋に独自に運用できる核ではありません。
そういう中途半端な核だから、アルゼンチンはアメリカの動向なども勘案した上で、仕掛けてきたのかも知れません。
核に限らず、軍備を持つなら、ヒモ付きではない方が良いというだけの事です。
サッチャー首相は、実は主治医に、「核を使ってしまおうか・・・・という誘惑に駆られる」とも独白しています。
アルゼンチンとしては、かなり危ない橋を渡っていたのかも知れません。
サッチャー首相の演説で、心に残っているのは、
「日本が核攻撃を受けたのは、日本に核が無かったからだ」
「私は核があっても、戦争の無い世界を目指すのです」
という言葉です。
ソ連がSSー20という中距離核を東ヨーロッパに配備した時に、対抗上西側諸国はアメリカのパーシングⅡというやはり中距離ミサイルを西ヨーロッパに配備しようとしました。
その時に、西ヨーロッパで激しい反核運動が起こりました。
(今から見れば、裏ではソ連が唆していた事が明白なんですが)
そんな折に一般大衆に向けて出た演説です。
サッチャー首相のこの言葉が正しいと思うならば、日本の核武装に反対する根拠は無くなるでしょう。
私は正しいと思います。
核があっても、戦争の無い世界が良いのです。