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[転載]祖先の思いを知る・・

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我々の祖先は「清き明(あか)き心」(清明心)を誰もが持っていました。
清く明るい心と書く。くもりなく、すがすがしい心です。やましさのない、晴れ渡った心。邪心のない、二心でない、清らかな心です。
この清き明き心は、日本人が美徳とする正直、誠実、思いやり、忠実などの土台となったものです。また、卑怯(ひきょう)なことをしないなど、人間の様々な徳の基礎となるものです。筆者は、清き明き心という神道の教えが古来、日本人というものをつくり、連綿と紡いできたと考えています。
 
古代の日本人、つまり、我々の祖先は、アニミズムとシャーマニズムに基づく信仰を持っていました。アニミズムとは、森羅万象(自然界)のあらゆる事物には霊魂や精霊が宿り、諸現象はその意思や働きによるものとみなしてきましたシャーマニズムは、祖霊や精霊と接触・交流する能力を持つ職能者を中心とすることであり、制度化され、体系化されたアニミズムであると考えられます。解り易く言えば、職業的霊能者を中心とした精霊信仰です。祈りを捧げる者がシャーマンであり、捧げる対象が精霊です。
わが国のアニミズム的・シャーマニズム的な世界観においては、言葉が重視されました。古代の日本人は、言葉には霊的な力が宿っていると信じていました。それが言霊(ことだま)の思想です。言霊とは、言葉に宿る不思議な霊威であり、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられていたのです。言霊がその力を表わすのは、祈りによってです。祈るとは「斎(い)告(の)る」の意味であり、神の名を呼び、幸いを請い願ったのです。祈りの言葉はそれ自体に霊力があると考え、祈ることによって、言葉に内在された霊力が働いて、祖霊や精霊に感応すると考えたのです。

良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされそのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくもので


 
「好去好来歌」

神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳しき国 言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高照らす 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏(まほ)したまひし 家の子と 選ひたまひて 大御言 戴き持ちて もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領(うしは)きいます もろもろの 大御神たち 船舳に 導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ


山上憶良



 
言霊の思想は、『万葉集』に見ることが出来ます。上記引用文に見られます。

大意は、「神代の昔から言い伝えて来たことだが、日本の国は、天皇の祖先神の神威がゆるぎない国であり、言霊の霊妙な働きによって幸いをもたらす国だと語り継ぎ、言い伝えてきた。このことは、当時の人々も、みな実際に見てもいるし、知ってもいる」となります。憶良は、日本は「すめらぎのいつくしき国」であるとともに、「言霊の幸はふ国」だとしています。「すめらぎ」と「ことだま」の関係は、天皇(すめらぎ、すめらみこと)は宗教学的にはシャーマンに当たり、言霊を振るって神々に祈るお国柄、國體なのです。


「言霊の幸はふ国」だという認識は、『万葉集』に広く見られ、認識されています
柿本人麻呂の歌にもあります。

磯城島(しきしま)の 大倭(やまと)の国は 言霊の助くる国ぞ まさきくあれ
(大意: この日本という国は、言霊が助けてくれる国である。幸多かれ)
この歌は、祝福の言葉を唱えるならば、必ずその言霊の働きによって幸いが実現するという信仰に基づいています
拙稿、両陛下の行幸啓は国見の伝統、皇祖の御神勅 でも述べていますが、畏くも、天皇、皇后両陛下の地方行幸啓の大きな意味は、その地方を「予祝」「祝福」されることにあります。「予祝」とは、あらかじめ祝うことですが、古代日本では、お祝いはめでたいことが起きたからするものではなく、先にお祝いをして めでたいことが起きるのを 予め祝い、そのの結果として祝事が起きると考えられてきたのです。
農耕民族であるわが国は、五穀豊穣、民族の生命線である多産を祈ってきたのです。「祝福」とは、忌み嫌われる言葉を話すと良くないことが起こり、逆に祝福の言葉で状況が好転するというもので、災厄を避けることにもつながります。
わが国の文化を最も良く表わすものの一つが和歌ですが、和歌の奥義には言霊の思想があります。『古今集』の序にもそれが表れています。その冒頭部は、次のように記されています。

「大和歌は、人の心を種として、万の言の葉となれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見る物、聞く物につけて、言ひ出だせるなり。花に鳴く鴬、水に住む河鹿の声を聞けば、生きとし生ける物、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも、あはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、猛きもののふの心をも、慰むるは歌なり」
最後部分の大意は、「全く力を入れることなく、天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の関係を和らげ、勇ましい武人の心をも慰めるのは和歌である」となります。この「力をも入れずして、天地を動かし」いう一句には、言霊の思想がよく表れています。

『万葉集』は、作者は天皇や貴族ばかりでなく、庶民や防人といった兵士、乞食に至るまで、全く身分も男女も差別がなく、地域も、中央ばかりでなく、地方や辺境の地まで含まれており、文字通り国民的歌集になっています。しかも帰化人も含まれており、国際的な要素もあり、わが国の大らかさが窺えます
しかも、この歌集では、高貴な身分の人の歌もと、名も無い低い身分の者の歌が隣り合わせに並べられています。こうした例を見ると、『古事記』の日本武尊(やまとたけるのみこと)と火焼きの翁の合作による和歌に行き当たります。日本武尊は、父の第12代景行天皇の命令を受けて東国征伐に出かけて成功し、その帰りに甲斐の酒折宮(さけおりのみや)に立ち寄りました。そこで日本武尊は、

  新治(にいはり) 筑波をすぎて幾夜が宿(ね)つる
と詠いました。するとそこに居合せた火焼(ひたき)の老人が、その後を受けて
  
日々並(かがな)べて夜には九夜(ここのよ) 日には十日を
と続けました。

日本武尊は、皇子であり天皇陛下の名代(みょうだい)です。そういう高貴な人が歌った歌の後に、つけ句をしたのが、身分の低い名も無い老人ですが、和歌において、身分の差がなくなり、和歌を合作しているわけです。これが連歌の起源と言われています
 良い和歌を詠むと、身分の高低に関係なく、宮廷で取り上げられ、歌人として遇されました。和歌三神とされている柿本人麻呂、山部赤人、衣通姫のうち、人麻呂は、身分が低く六位以下であり、赤人も下級官吏です。
和歌の前には、天皇陛下も乞食も平等というわが国独特の思想だったのです。

言霊の思想は、古代で消滅したわけではありません。天孫降臨以来、受け継がれている日本古来の伝統で。現代でも、願いは必ず実現する、信念は必ず実現すると信じられています。
言葉の力を信じ、祈りに思いを込めるという点では、現代の私たちにも言霊の思想に通じるものがあるといえるでしょう。
 
言葉の乱れは世相、世の中の乱れを写す鏡でもあります。
戦後日本は祖先が大事にしてきたものを蔑ろにしているように思えます。
「言霊」です。
例えば「ありがとうございます」は
 有り難い(あり得ない)恩恵だからありがとうなのです。


「すみません」はお詫びの言葉ですが、
“澄みません”であり、心や体が澄んでないから
“済みません”なので、まだ済んでないから“住め”ないの意です。
だからどうか赦してこの世に住まわして下さいの願いなのです。


「さようなら」は“左様であるならば”の意味で「ああそうでしたか」「あなたを認めます。大切に思っています」と言う愛情の籠った別れの言葉なのです。

だから言葉には深い意味があり「祈り」そのもの。
何氣なく使っている言葉には深い意味や霊的響きがあり、
我々の祖先の思いが込められているのです。
 

転載元: 美し国(うましくに)


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