神とGODの混同。
戦前は天皇は神とされ、みんな騙され、洗脳され、狂わされて戦争へ向かっていった・・・これが私が受けてきた教育です。でもよく考えると、戦前の日本人の教養ってそんな程度?文明人じゃなかったの?というレベルの話で、私の祖父母ってそんなバカだったのか?と考えるとそれはなさそうです。
祖父母から天皇は神だったと聞いたこともありませんし、祖父の記録にもそんなことは書いていません。祖父の記録に昭和天皇の皇太子時代の松山行幸が書かれており、天皇陛下が宿泊された久松別邸に見学に行き、使ったとされるトイレが水洗トイレだったので驚いた話しを書いています。神が大小便なんかしません。
小林よしのり著「天皇論」を読みますと取材によって年配者であればあるほど神と言わなくなるそうです。沖縄でも皇民化されたといいながら70歳以上の人は天皇は神そのものだと思っていたという人はいないとのことです。ではどういう人が神だと思わされていたかというと、「小国民世代」だと氏は述べています。「小国民」とは昭和16年(1941年)に小学校を国民学校に改称したのと同時に「学童」を改称した名称です。つまり大東亜戦争時に国民学校に行っていた世代です。
田原総一郎、筑紫哲也、本多勝一、大島渚、井上ひさし、野坂昭如、半藤一利、石原慎太郎、西尾幹二
天皇を神と仰ぎ奉る記述は昭和14年(1939年)からの6年余で小国民は天皇は神と教えられ、戦後の価値観の変化で国家や天皇というものに懐疑的になったと氏は分析し、石原慎太郎や西尾幹二は珍しいほうと述べています。先日母(昭和15年生)に聞くと、「天皇陛下が本当に神なんてそんなこと信じていたわけないでしょ」と言っていました。父(昭和10年生まれ小国民)に直接聞いていませんが、「同じよ」と母は言っていました。小国民の中の一部のインテリ系が神と信じたのかもしれません。
小林氏の論によると天皇陛下が神格化されたのは共産イデオロギーへの対抗から日本イデオロギーが発生し、昭和10年(1935年)の天皇機関説をあげています。政府は天皇機関説を否定しました。そして支那事変に入ると天皇の神格化が強化されていきます。ようするに「苦しいときの神頼み」ということと「旗印」ということで、例えば米国が戦争のとき、「民主主義とキリスト教の名のもとに」とするのと同じものと述べています。ちなみに昭和天皇は機関説論争のとき「機関説でいいじゃないか」(岡田啓介回想録)と述べており、戦後の回想でも「私を神だというから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういうことを言われては迷惑だと言ったことがある」(昭和天皇独白録)と述べています。
大方の人は「天皇は神」というのは松下幸之助が経営の神様、手塚オサムがマンガの神様というのと同程度の「徳の高い人」として捉えていたのに対し、小国民世代は神秘的な神様として捉え、外国ではGOD(全能の神)として誤って捉えたようです。昭和21年(1946年)の「新日本建設に関する勅書」にGHQは天皇神格化を否定するような一文を入れますが、昭和天皇は自分は神だと思っていないし、小国民以外の日本人は神(GOD)だと思っていませんから何のことはなかったわけです。国内で騒ぎになった様子はありません。外国では取り上げられたようです。「人間宣言」というのは日本を賤しめたい歴史家が勝手にネーミングしたもののようです。戦前の人が軍に騙され、狂わされたのではなく、戦後の我々が学校教育や知識人、メディアに騙されて教えられてきたようです。
参考文献
小学館「天皇論」小林よしのり(著)
講談社学術文庫「昭和天皇語録」黒田勝弘・畑好秀(編)
文春文庫「昭和天皇独白録」
PHP新書「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政(著)
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皇居(JJ太郎撮影 PD)