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良識ある日本国民の皆様には、民主党の細野豪志幹事長が自身の「保守」に対する考えを明らかにしたことはご存知だと考えます。
細野豪志氏「自民党の保守と私の保守は立場が違う」http://yukan-news.ameba.jp/20130328-317/
民主党の細野豪志幹事長(41)がFacebookで自身の「保守」に対する考えを明らかにしている。
「私自身は、保守という言葉にこだわりを持っています」という細野氏。保守を語るにあたり、細野氏は日本の歴史から触れており、「私が強い関心を持っているのは、明治以前の日本の姿です」と綴る。
細野氏は明治以前の日本について、日英修好通商条約を締結するために来日したエンギン卿の個人秘書であったエリファンの言葉を引き合いに「当時の日本人は、共同体と自らを一体のものと捉えていたのだと思います」と説明。「描かれている日本人は、同胞に対してはもちろん、外国人に対しても寛容でおおらかです」と続け、このような精神を下地にし、「わが国の進むべき方向を提示したのが『新しい公共』という考え方です」と説明する。
明治以降については「富国強兵、殖産興業を目標とする中央集権国家は、わが国を取り巻く外部環境を考えれば必然でした」としながらも「日本人が本来持っていたおおらかさや寛容さは失われていきました。先の大戦では、国策を誤り、国民を存亡の危機に陥れ、アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えました」とコメント。
「保守」について考える時に、明治以降の日本のあり方を保守する立場なのか、明治以前の日本のあり方を保守する立場にあるのか問う必要があると説明し、「私から見ると、自民党は明治以降の日本の忠実なる保守政党。私は後者の立場に立ちます。つまり、日本に古くから存在してきた公を担う市民の意識や、多様な共同体を大切にする社会や価値観を保守するという立場です」と自身の見解を綴っている。
この細野氏の見解に「明治を自民になぞらえて、民主はその前の古き良き江戸でございというロジックは苦しいし、現実から目をそらせすぎでは?」「江戸時代は民主党がお嫌いな『世襲天国』ですけど…」「中道っておっしゃっていませんでしたか?」「これ、ピロートークですよね?」などのコメントが寄せられている。
3月28日アメーバニュース
>民主党の細野豪志幹事長(41)がFacebookで自身の「保守」に対する考えを明らかにしている。
今度はモナカを食べた男か^^
細野豪志のFacebookには、「保守とは何かについて、先日、田原総一朗さんと対談しました。田原さんからは、民主党の立ち位置を聞かれたのですが、私自身は、保守という言葉にこだわりを持っています」とあります。
細野豪志は、田原総一朗の後輩(滋賀県立彦根東高等学校出身)なので、田原総一朗に可愛がってもらっているのでしょう。
それにしても、民主党の衆議院議員は国会会期中だというのに暇なのでしょうか?
当ブログで取り上げましたが、3月23日に民主党の原口一博は、「大和心の意味するところ」(排外主義と差別に日本の伝統はない)について、Facebookで長文の意見を表明しました。
原口一博は、民主党や民主党議員に対し、「売国」という言葉を使う人もいるとして、「中国や韓国に国を売り渡したという者さえいる。どこが売られているのか?」と批判しました。
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>保守を語るにあたり、細野氏は日本の歴史から触れており、「私が強い関心を持っているのは、明治以前の日本の姿です」と綴る
江戸時代のように「鎖国」をしたいのか、中韓のみと出島で交易か^^
>日英修好通商条約を締結するために来日したエンギン卿の個人秘書であったエリファンの言葉を引き合いに「当時の日本人は、共同体と自らを一体のものと捉えていたのだと思います」
>「描かれている日本人は、同胞に対してはもちろん、外国人に対しても寛容でおおらかです」
細野豪志は京都大学出身なのに、どんな日本史を学んだんだ?
日英修好通商条約とは、日本が欧米列強と結ぶことを余儀なくされた、「安政の五カ国条約」の一つとして締結された不平等条約です。
幕末の安政5年(1858年)、江戸幕府はアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの5ヵ国とそれぞれ条約を締結しました。
安政5年7月18日(1858年8月26日)、日英修好通商条約は、イギリス代表のエルギン伯爵ジェイムズ・ブルースと江戸幕府の間に調印されました。
日英修好通商条約は、関税自主権の制限や治外法権の承認といった、日本にとっては不利な項目を含む不平等条約でした。
その後、明治政府は改正に多くの苦労を伴い、条約の不平等な部分が解消されたのは、日露戦争後の明治44年(1911年)でした。
それに細野豪志は、「外国人に対しても寛容でおおらかです」としていますが、当時の「攘夷論」を理解していないのでしょう。
日本に於いては、江戸末期に広まった考えで、夷人(外国人)をしりぞける。つまり外国人を実力行使で排斥しようという思想。
文久2年12月12日(1863年1月31日)、長州藩士の高杉晋作らは、攘夷活動として、品川の「英国公使館焼き討ち事件」を起こしました。
細野豪志は、日本の開国後から明治維新にかけて頻発した、外国人襲撃・殺害事件を知りません。
1 安政3年(1856年)ハリス襲撃未遂事件
2 安政6年(1859年)ロシア海軍軍人殺害事件 フランス領事館従僕殺害事件
3 安政7年(1860年)日本人通訳殺害事件 フランス公使館放火事件 オランダ船長殺害事件
4 万延元年(1860年) フランス公使従僕傷害事件 マイケル・モース事件 ヒュースケン殺害事件
5 文久元年(1861年)第一次東禅寺事件
6 文久2年(1862年)第二次東禅寺事件 生麦事件 英国公使館焼打ち事件
7 文久3年(1863年)井土ヶ谷事件
8 元治元年(1864年)イギリス陸軍軍人殺害事件
9 慶応2年(1866年)鳶の小亀事件(フランス水兵殺害)ハリー・パークス恫喝事件
10 慶応3年(1867年)アーネスト・サトウ襲撃事件 英国水兵殺害事件 ヘンリー・スネル襲撃事件 英国水兵襲撃事件
11 慶応4年(1868年) 神戸事件 堺事件 パークス襲撃事件
>先の大戦では、国策を誤り、国民を存亡の危機に陥れ、アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えました」
細野豪志は自虐史観の持ち主であり、「保守」を語る資格はありません。
反日勢力は、大東亜戦争を日本の侵略戦争だと歴史を捏造していますが、大東亜戦争とは日本が生きるために行なった自存自衛戦争でした。
米第32代大統領、フランクリン・ルーズベルトは、対独戦に参戦する口実を欲しがっていたことから日本を戦争に追い込んだのです。
日本は、日米交渉で和平努力をしていました。
しかし、昭和16年11月26日、米国側当事者、コーデル・ハル国務長官から日本側に提示された交渉文書「ハル・ノート」により和平を断念しました。
日本がハル・ノートを受け入れ、日本が支那や満州から撤退していたら、日本では失業者が溢れ、夥しい数の日本人が餓死などで死んでいたでしょう。
そして、亜細亜の大国の地位を失い、小国に転落すれば、米国・ソ連に植民地支配されていたでしょう。
そして、亜細亜の大国の地位を失い、小国に転落すれば、米国・ソ連に植民地支配されていたでしょう。
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>「中道っておっしゃっていませんでしたか?」「これ、ピロートークですよね?」などのコメントが寄せられている。
すでに細野豪志が、「民主党はリベラルで、中道の受け皿になる」などと発言した動画がアップされています^^
■動画
細野豪志 民主党はリベラル、チュウ道の受け皿になる
そもそも、夫として、父親として守るべき家族を裏切った細野豪志には、「私自身は、保守という言葉にこだわりを持っています」という資格はありません。
2006年10月、TBS「筑紫哲也 NEWS23」でアナウンサーを務めていた山本モナとの不倫関係が、写真週刊誌「フライデー」の見開きトップにて報じられました。
「フライデー」の記事には、細野豪志と山本モナが 東京都港区南青山 の路上でキスしている写真が掲載されました。
フライデー記者の直撃取材を受けた細野は、モナとの交際について「はぁ」ととぼけたり、モナの家に宿泊した事実についても「いいえ」と完全否定しました。
しかし、記事が発表されると自身の公式ウェブサイトで「不徳の致すところであり、深く反省する」と、事実を認めて謝罪しました。
2006年10月10日発売の「FLASH」で、モナとの京都への不倫旅行は、細野の一人娘の初めての小学校の運動会の日であった事が報じられました。
細野豪志 不倫報道から6年…妻がいまだ悩む「モナの呪い」2012年11月30日女性自身
選挙の顔として“野田首相よりはマシ”と党首選出馬が期待された細野豪志政調会長(41)。だが、女性からの目はまだまだ厳しいという。
「11月10日に福岡で行われた対話集会でのことです、女性の参加者が、6年前に細野議員が中西モナとの路上キスの様子を撮られたことについて『不倫したような人が党の要職に就くことは、よろしくない』と発言していました」(政治部記者)
夫人の節さんは、静岡県三島市で娘とひっそりと暮らしている。節さんがほとんど表舞台に立たない理由は……。
「節夫人が表に出ることを猛反対しているのは、今年中学1年生になるひとり娘です。娘さんとしては、父が不倫で有名になったことで傷ついているのです。『お母さんが目立つとまた、不倫のことを言われる』という具合です。やはり地元でも不倫問題には、まだまだ批判があります。今でも奥さんに厳しい声がかけられることもあるそうです」(地元紙記者)
不貞議員の妻と娘は「モナの呪い」に、いまだ悩んでいるようだ。
細野豪志は、売国政策である「1000万人移民受け入れ構想」を共同提案していました。
細野豪志は、外国人地方参政権付与には「どちらかと言えば反対」としていましたが、山本モナと不倫していたので信用できません。
2007年10月19日放送の日本テレビ「太田総理」で、山本モナは、『10年以上住む外国人に地方選挙権をあげます』というマニフェストを提案しました。
山本モナ
「みなさんがお考えになる本当の国際化とはいったい何でしょうか。英語を話すことだけが国際化なんでしょうか。今、日本には外国人の方がどんどん増えています。日本が本当の国際化を目指すにあたって、私が提案するマニフェストはこちらです。『10年以上住む外国人に地方選挙権をあげます』」
「外国人にとっても住みやすい日本っていうのは、日本人にとっても住みやすいんだよ。安全保障のことばっかり言ってるけども、外国人に住みやすい日本は、日本人にとって住みやすいんだっていうことから発想すべきなんです」
自虐史観で、守るべき家族を裏切った細野豪志に「私自身は、保守という言葉にこだわりを持っています」という資格はありません。
良識ある日本国民の皆様、細野豪志についてご考慮下さい。
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