陸羯南(くが・かつなん)
今日のジャーナリスト、とりわけ戦後のジャーナリストは邪悪な輩が多いことは、拙稿をご覧いただいている皆さんはご存知だと思います。
明治の時代、文筆に従事する人、著述家・記者・編集者などを操觚者(そうこしゃ)と訳しました。
明治の時代、文筆に従事する人、著述家・記者・編集者などを操觚者(そうこしゃ)と訳しました。
日本人は江戸時代までは、主に支那との対比によって、自己認識をしました。「東洋の中の日本」、今日で言う「東アジアの中の日本」という感覚だったのです。
しかし、明治維新によって西洋文明を採り入れ、欧化を進めた段階で、初めて「世界の中の日本」という自覚をもつように至ったのです。これは21世紀に続く世界史の舞台に登場した日本人の自己認識でした。ここに出現したのが、日本主義(Nipponism)、日本精神論(Study of Japanese Spirit)です。
維新後、文明開化によって、日本の近代化が推進されました。明治20年代の初めには、近代国家としての基礎づくりができました。この段に至り、維新以来の20年を振り返って、反省と評価がわが国でも盛んに行われるようになりました。そして、それまでの西洋・欧米への傾斜から、日本への回帰をめざす思潮が現れてきたのです。それは日本人が、「世界の中の日本」を自覚する動きだったのです。
この時、現れた思潮が、国粋主義と国民主義(Nationalism)であり、それが、さらに発展して日本主義となりました。また、日本主義の中から、日本精神という言葉が現われます。
「国粋」とは、nationality の訳語ですが、今日では、国民性・民族性等と訳します。「国粋主義」は、政教社の雑誌『日本人』が、「国粋保存」を唱道したのに始まります。政教社は、明治21年、当時の代表的な言論人、志賀重昂・三宅雪嶺・杉浦重剛らを中心に作られたグループです。彼らは、「国粋」の「保存」、つまり日本国民固有の特性を維持・発揚することを主張しました。そして、鹿鳴館外交に象徴される欧化主義、欧米追随路線に反対し、内政外交ともに日本自らの立場をとることを主張しました。
杉浦重剛翁は若き日の先帝陛下、秩父宮親王殿下、高松宮親王殿下の3兄弟に帝王学の一環として倫理を進講されたことでも今日知られています。
雑誌『日本人』に呼応して、陸羯南(くが・かつなん)は、正岡子規を育てたことで知られていますが、明治22年に、新聞『日本』を発行し、「国民主義」を唱えました。「国民主義」とは、日本が維新後、一旦失った国民精神を回復し、また発揚しようとする思想でした。外に対しては国民の独立を、内においては国民の統一を求めます。これは、上記の画像のように、後進国の近代化の課題を明らかにしたものでもありました。
「国粋主義」と「国民主義」は、名前は異なりますが異語同質のもの、実体は同じです。人脈的にも密接な関係にあります。陸羯南は、両者をまとめて「国民論派」と称しました。彼らの代表的な著作は、新聞『日本』によった陸羯南の『近時政論考』(明治23年)、雑誌『日本人』の同人である、三宅雪嶺の『真善美日本人』(明治24年)や志賀重昂の『日本風景論』(明治27年)などです。これらの著作は、当時のわが国で、大きな影響を及ぼし、近代日本人の自覚を高めたのです。
その後、明治40年には、雑誌『日本人』が新聞『日本』を吸収し、『日本及日本人』に改名されました。
日清戦争(明治37~38年)の前後からは、欧化への批判・抵抗の段階から一歩進んだ「日本主義」が、高山樗牛(ちょぎゅう)・井上哲治郎らによって提唱されました。
ここでは、国粋主義・国民主義を含めた総称として、日本主義と呼ぶことにします。
明治20~40年代の日本主義は、昭和戦前期の超国家主義(Ultra-nationalism)のような独善的・排外的な偏狭さはなく、国際的・世界的な視野をもっていました。陸・志賀・三宅らは、政府の欧化主義には反対するが、西洋の科学技術を排斥せず、これを採り入れました。彼らが批判したのは、西洋崇拝・欧米追従のような行き過ぎに対してでした。民族や文化の独自性を主張しながらも、それを国際社会の中でいかにして実現するかを、彼らは考えたのです。そのために、日本人の主体的な自覚を高めようとしました。そして、日本がその固有性を保持・発展させることによって、世界人類に寄与しようとしたのです。
そこには、江戸時代末期、「東洋道徳、西洋芸術」を唱えた佐久間象山や、「大義を四海に布(し)くのみ」とうたった横井小楠に連なる、日本人としての主体的な態度が連綿と受け継がれています。
明治の日本主義者にとっては、ナショナリズムとインターナショナリズム、あるいは伝統的な精神文化とデモクラシーの総合が理想であり、また目標でもありました。この理想・目標は、混迷、迷走する今日の日本、21世紀を生きる我々にとっても、共通のものです。明治の日本主義を振り返ることは、今日の私たちに多くのヒントを与えてくれているのです。