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福沢諭吉翁
現代は、「個人」の時代です。今日、わが国では、大抵の人は、自分というものがなによりも大切だと感じ、個人の自由や権利を守り、自分らしく生きることが目標だと考えています。そして、「個人の権利」がいたるところで主張されています。また、「個人主義」が国や社会の原理とされています。それによって「公」が後退し、「私」が横行していますが、はたしてそれが元来日本人のあるべき姿でしょうか?
明治時代の啓蒙思想家、慶応義塾の創設者でもある、福沢諭吉翁の、「一身独立して一国独立」を読んでいただきたい。
国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能(あた)わず。その次第三ヵ条あり。
第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。
独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。 みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。
外国へ対して自国を守るに当たり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。
第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は、外にありて外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶること能わず。
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛(へつら)うものなり。常に人を恐れ人に諛う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる「習い、性となる」とはこのことにて、慣れたることは容易に改め難きものなり。
第三条 独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり。
世間に外国人の名目を借る者はあらずや。余輩いまだその確証を得ざるゆえ明らかにここに論ずること能わざれども、昔日のことを思えば今の世の中にも疑念なきを得ず。こののち万々一も外国人雑居などの場合に及び、その名目を借りて奸(かん)を働く者あらば、国の禍(わざわい)、 実に言うべからざるべし。ゆえに人民に独立の気力なきはその取扱いに便利などとて油断すべからず。禍は思わぬところに起こるものなり。国民に独立の気力いよいよ少なければ、国を売るの禍もまたしたがってますます大なるべし。すなわちこの条のはじめに言える、人に依頼して悪事をなすとはこのことなり。
右三ヵ条に言うところはみな、人民に独立の心なきより生ずる災害なり。今の世に生まれいやしくも愛国の意あらん者は、官私を問わずまず自己の独立を謀(はか)り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。
(福沢諭吉著「学問のすすめ」より一部抜粋)
第一条 独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。
独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵によらざる独立なり。 みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。
外国へ対して自国を守るに当たり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。
第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は、外にありて外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶること能わず。
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛(へつら)うものなり。常に人を恐れ人に諛う者はしだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる「習い、性となる」とはこのことにて、慣れたることは容易に改め難きものなり。
第三条 独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり。
世間に外国人の名目を借る者はあらずや。余輩いまだその確証を得ざるゆえ明らかにここに論ずること能わざれども、昔日のことを思えば今の世の中にも疑念なきを得ず。こののち万々一も外国人雑居などの場合に及び、その名目を借りて奸(かん)を働く者あらば、国の禍(わざわい)、 実に言うべからざるべし。ゆえに人民に独立の気力なきはその取扱いに便利などとて油断すべからず。禍は思わぬところに起こるものなり。国民に独立の気力いよいよ少なければ、国を売るの禍もまたしたがってますます大なるべし。すなわちこの条のはじめに言える、人に依頼して悪事をなすとはこのことなり。
右三ヵ条に言うところはみな、人民に独立の心なきより生ずる災害なり。今の世に生まれいやしくも愛国の意あらん者は、官私を問わずまず自己の独立を謀(はか)り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。
(福沢諭吉著「学問のすすめ」より一部抜粋)
独立した個人こそが国家を支える基本であるという考えであり、誰かに頼るという人間ばかりでは社会は腐敗してしまうが、自分が国家を支えようと努力する人間が揃ってくれば社会は繁栄し国家は潤うと説いておられます。
ひとりの人間として己を厳しく戒めて質素倹約を旨として、学問に励み、多くの人のために生き抜こうとする滅私奉公の気概がなければ自分が所属する家庭、会社、地域、国家といった集団は繁栄しないという考え方で近代民主主義の基本となる教えです。
また、帝室論では、国家の統一と独立に情が果たす役割に注目し、公徳教育における報国心(「報国尽忠の主義」)の重要性を説いて、帝室を日本国民の精神的中心であると説いておられます。
個人」の概念は、今日と違って「私」の方向へではなく、「公」の方向へと向けられていたのです。すなわち、「公」のための「個」の自立です。わが国では、こうして「公」、つまり国家・民族の独立のために「個人」の概念であったのです。
現在の我国は国家という体すら成し得ていない状況にあります。
戦後最大の国難とも言われる、東日本大震災に福島原発事故に沖縄基地問題、一国を指導もできない愚かな民主党政権、愚かな総理の信念なき政策により、右往左往し、迷走状態にありました。
しかも危険なのは、悪意をもった隣国の存在さえ知ろうとしない国民の危機意識のなさにあります。
今、日本は大きな「分岐点」にあります。
それは、国家として本当に自立し、繁栄していく道を歩むのか。
国家に依存する国民が増えていけば、その行き着く先は「大きな政府」、社会主義国家、共産主義国家です。
それは、国家として本当に自立し、繁栄していく道を歩むのか。
国家に依存する国民が増えていけば、その行き着く先は「大きな政府」、社会主義国家、共産主義国家です。
独立を保てればまだしも、外国の支配者が国を統治するならば、亡国です。
福沢翁は、、「貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり」
と、日本人があるべき姿を説いておられます。
美しい国の再生を目指す安倍首相の施政方針演説は素晴らしいものでした。
以下に産経新聞に記載された全文を引用します。
外交、内政においてまったく機能しなかった暗黒の3年間、瓦礫の処分問題、福島の風評被害、脱原発、いたずらに時が過ぎただけの被災地の復興等、国民道徳も退化してしまったように思えます。
畏くも天皇陛下におかせられましては、被災地の皆さんに心をよせあそばされ、多くの哀しみをも共有されておられます。
安倍首相の「美しい国、日本」「美し国、日本」の再生こそ、陛下の大御心に叶うものであります。
四方の海 みな同胞と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん
明治大帝の大御歌です。
大意は、四方の海(諸外国)すべてが同胞と考えている世の中なのに何故こうも波風がたつのであろうか?
この大御歌は、日本国内にも言えることだと筆者は思います。
同胞とは、同じ国土に生まれた人々。同じ国民、同じ母から生まれた兄弟姉妹を言います。
人口が少なかった、往古の昔を遡ると、日本人は皆、親類縁者なのです。
幾多の国難を乗越えたわが国、陛下の大御心の下、一致結束し、国難を乗り越え、日本人が日本人としてあるべき姿に回帰することを筆者は願ってやまないのです。
拙記事は、平成23年7月11日に投稿した記事に修正、加筆しております。
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衆院本会議で施政方針演説する安倍晋三首相=28日午後、国会・衆院本会議場Clik here to view.
美しい国の再生を目指す安倍首相の施政方針演説は素晴らしいものでした。
以下に産経新聞に記載された全文を引用します。
1 はじめに
「強い日本」。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。
「一身独立して一国独立する」
私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓(ひら)こうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません。
日本は、今、いくつもの難しい課題を抱えています。しかし、くじけてはいけない。諦めてはいけません。
私たち一人一人が、自ら立って前を向き、未来は明るいと信じて前進することが、私たちの次の、そのまた次の世代の日本人に、立派な国、強い国を残す唯一の道であります。
「苦楽を与(とも)にするに若(し)かざるなり」
一身の独立を唱えた福沢諭吉も、自立した個人を基礎としつつ、国民も、国家も、苦楽を共にすべきだと述べています。
「共助」や「公助」の精神は、単に可哀想(かわいそう)な人を救うことではありません。
懸命に生きる人同士が、苦楽を共にする仲間だからこそ、何かあれば助け合う。そのような精神であると考えます。
2 被災者の皆さんの強い自立心と復興の加速化
「みんなで声を掛け合って、励まし合っている」
総理就任以来、私は、毎月、被災地を訪問し、避難生活を強いられている方々の声を直接伺ってまいりました。
仮設住宅の厳しい環境の下でも、思いやりの心が、そこにはありました。自立して支え合おうとする気概を感じるのです。
一方、個人の意志や努力だけではどうにもならない問題が、いまなお立ちはだかっています。高台移転は、ようやく動き始めたものの、土地の買収や、さまざまな手続きにより、大幅な遅れが目立ちます。
仮設住宅暮らしの長期化による、先の見えない不安。お年寄りの方からは、「時間がない」という悲痛なお話も伺いました。
「どんなに小さくてもいいから、自分の家に住みたい」
今を懸命に生きる人たちに、復興を加速することで、応えていかねばなりません。解決すべき課題は、地域ごとに異なりますが、復興庁が、現場主義を徹底し、課題を具体的に整理して、一つ一つ解決します。
福島は、今も、原発事故による被害に苦しんでいます。子どもたちは、屋外で十分に遊ぶことすらできません。除染、風評被害の防止、早期帰還に、行政の縦割りを排し、全力を尽くすべきは当然です。しかし、私たちは、その先にある「希望」を創らねばなりません。
若者たちが、「希望」に胸を膨らませることができる東北を、私たちは創り上げます。それこそが、真の復興です。
既に、再生可能エネルギー産業や医療関連産業など、将来の成長産業が東北で芽吹きつつあります。復興をさらに強力に進めるため、復興予算19兆円枠を見直し、必要な財源を確保することとしました。
今年も、間もなく3月11日がやってきます。厳しく長い冬が続いた東北にも、もうすぐ春が訪れます。冬の寒さに耐えて、春に咲き誇る花のように、「新たな創造と可能性の地」としての東北を、皆さん、ともに創り上げようではありませんか。
外交、内政においてまったく機能しなかった暗黒の3年間、瓦礫の処分問題、福島の風評被害、脱原発、いたずらに時が過ぎただけの被災地の復興等、国民道徳も退化してしまったように思えます。
畏くも天皇陛下におかせられましては、被災地の皆さんに心をよせあそばされ、多くの哀しみをも共有されておられます。
安倍首相の「美しい国、日本」「美し国、日本」の再生こそ、陛下の大御心に叶うものであります。
四方の海 みな同胞と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん
明治大帝の大御歌です。
大意は、四方の海(諸外国)すべてが同胞と考えている世の中なのに何故こうも波風がたつのであろうか?
この大御歌は、日本国内にも言えることだと筆者は思います。
同胞とは、同じ国土に生まれた人々。同じ国民、同じ母から生まれた兄弟姉妹を言います。
人口が少なかった、往古の昔を遡ると、日本人は皆、親類縁者なのです。
幾多の国難を乗越えたわが国、陛下の大御心の下、一致結束し、国難を乗り越え、日本人が日本人としてあるべき姿に回帰することを筆者は願ってやまないのです。
拙記事は、平成23年7月11日に投稿した記事に修正、加筆しております。