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極寒の「八甲田」踏破 〝白魔〟なんの!5普連白熱の雪中行軍![]() 胸に小銃、背に20キロの荷を背負い、ヘルメットに氷柱をつくりながら行軍する5普連隊員(いずれも1月29日、八甲田山で) ![]() 視界をさえぎる風速7メートルの猛吹雪の中、隊列を維持し前進を続ける中隊 ![]() 水や燃料などを積んだ重さ約80キロのアキオ(大型ソリ)を4人で曳きながら雪原を進む隊員たち ![]() 青森市内にある幸畑陸軍墓地を訪れ、旧歩兵5連隊の英霊に訓練開始を告げる5連隊の隊員たち(1月28日) ![]() 行軍を終え、山頂の馬立場で後藤伍長の銅像に任務完遂の報告を行う青木連隊長以下の隊員 精強・第5普通科連隊の雪中行軍「八甲田山演習」が1月29日、八甲田山中で実施された。今年は隊員625人が参加、旧歩兵第5連隊が遭難したルート7・4キロをたどり、積雪寒冷地での部隊行動能力を磨いた。 ヘルメットに氷柱 遭難ルート7・4キロ 625人が行動能力磨く 【5普連=青森】第5普通科連隊(連隊長・青木広治1佐)は1月29日、深い雪に埋もれた極寒の八甲田山系で恒例の雪中行軍「八甲田演習」を実施した。 この訓練は、旧陸軍が日露戦争を2年後にひかえた明治35年1月、歩兵第5連隊が演習に臨み、参加者210人中199人が死亡した遭難事件と同じルートをたどるもの。練度向上と旧5連隊将兵の慰霊を目的に昭和40年から始まり、今年で44回目となった。 28日、まず青木連隊長以下246人の隊員が青森市内の幸畑陸軍墓地を参拝し、雪の下に眠る山口少佐以下210柱に出発を報告した。 翌29日午前6時半、出発地点の「小峠」を最初に情報小隊が出発。その後、先遣中隊の第1中隊を先頭に、各中隊がスキー行進を開始した。 当日は気温マイナス5度で風速は7メートル。視界がきかない吹雪の中を、青木連隊長以下625人の隊員はそれぞれ約20キロの装備を背負い、さらに重さ約80キロのアキオ(大型ソリ)を4~5人で曳きながら、7・4キロ先の「銅像茶屋」を目指した。 山中の天候は大荒れで、八甲田山系特有の水分を多く含む濡れ雪が隊員たちの体を冷やし、ヘルメットには氷柱ができた。 しかし、行軍を終える頃には吹雪も治まり、午後零時52分、全隊員が無事に踏破。その先にある「馬立場」(標高732メートル)で生存を果たした後藤房之助伍長像に対し、行軍の完遂を報告するとともに、部隊のさらなる精進を誓った。 |
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対馬上陸の敵ゲリ・コマを制圧 |
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すそ野広がる「トモダチ作戦」 |
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松島基地 「修復1号機」羽ばたく![]() T4・676号機の修復完了を祝う松島基地隊員(1月24日、同基地で) 空自松島基地で1月24日、東日本大震災で被災した航空機の「修復1号機」として、T4中等練習機676号機が震災後初の整備試験飛行を行った。 同機は東日本大震災で津波に襲われたが、エプロン地区の北西側にある洗浄格納庫に置かれていたため胴体下面までの水没にとどまり、製造会社から自隊での修復が可能と判断された。 しかし施設が被災し、整備器材も津波で流されてしまったため、基地の復旧を待って昨年8月20日から修復作業を開始。整備補給群検査隊の小野寺政敏1空曹以下約35人が日夜作業に当たってきた。 フライト当日は、前席に21飛行隊の江藤進一3空佐、後席に飛行主任の立和田孝2空佐が乗り組み、約1時間、三陸沖の空域を飛行した。その後、同機は訓練のため三沢基地に向け飛び立った。 隊員たちの後方には建設中の高台簡易格納庫があり、T4ブルーインパルス機や救難機が格納される予定。かさ上げの高さは約3メートル。左後方の管制塔の隣には新しい管制塔も建設中だ。 松島基地では「多くの方々のご支援のおかげで修復が完了した。次の目標に向かって基地一丸となって一歩前へ進んでいきたい」と話している。 |
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「先頭に立って立ち向かう」首相、那覇基地を激励 安倍首相は2月2日、2輸空のU4多用途機で羽田空港から沖縄に向かい、自衛隊の那覇基地に到着した。首相は陸海空自隊員を前に「我が国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増しており、主権に対する挑発が続いている。私も先頭に立って、今そこにある危機に立ち向かい、我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜く決意だ」と訓示し、隊員を激励した。 |