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2012-01-23
よみがえる白瀬中尉
白瀬中尉の南極探検。
「しらせ」という艦名になったのは日本初の南極探検隊隊長である白瀬中尉の名前からとったと思われがちですが、自衛艦の名前は「名所旧跡のうち主として山の名」という基準があり、人名をつけることができませんでした。一般公募した命名で最後に絞られたのは「みずほ」「きょっこう」「しらせ」であり、最終的に昭和基地近くにある白瀬中尉の功績を称えて命名された「白瀬氷河」をもとに「しらせ」に決定しました。
平成12年(2000年)になると南極観測船の輸送力強化目的と「しらせ」の老朽化に伴い4代目南極観測船建造の計画が進められ、平成19年(2007年)に起工式が行われ、南極地域観測統合推進本部が艦名の公募を行いました。このとき1位になったのが「ゆきはら」でした。「ゆきはら」は白瀬中尉ら突進隊が南緯80度05分、西経156度37分に到達した地点「大和雪原」のことです。
ところが推進本部は「しらせ」も選考対象に入れました。これは白瀬中尉の故郷から700通弱の手紙が届き「しらせ」にして欲しいという要望があったからです。また「ゆきはら」で応募した中にも「できれば”しらせ”に投票したかった」というものもありました。結果、船名選考委員会で「しらせ」に決定しました。初代「しらせ」はウェザーニューズ社が買取り、地球環境や気候変動を見つめる場所として活用しています。
平成21年(2009年)1月28日、白瀬中尉の生まれ故郷の秋田県にかほ市(旧金浦町)で白瀬中尉の偉業をしのぶ雪中行進が行われました。行進の出発地点は「白瀬南極探検隊記念館」です。この記念館は昭和60年(1985年)、渡部幸徳さんをはじめとする有志の方々が「白瀬中尉をよみがえらせる会」を立ち上げ、運動し、5年後に開館したものです。記念館にはオーロラの実写映像が見える「オーロラドーム」のほか、南極公園に開南丸のほぼ実物大の模型が復元されています。
同、平成21年、白瀬探検隊が南極に出発して100周年という大きな節目となり、秋田県では「白瀬日本南極探検隊100周年プロジェクト実行委員会」を組織し、白瀬探検隊の偉業をさまざまな形で顕彰していくことになりました。平成22年11月29日が出航100周年、白瀬中尉の生誕150年、平成24年1月28日が大和雪原到達100周年となります。
平成22年11月29日には東京港区埠頭公園で「開南丸 芝浦出航100周年記念式典」が行われました。大和雪原到達100周年の今年1月28日では白瀬南極探検隊記念館で「大和雪原到達100周年記念 わくわく南極体験フェア」が開催される予定です。
少年の頃、北極探検を夢見て、児玉源太郎に励まされ、千島を探検し、南極探検を実現した白瀬中尉。少年の頃に描いた夢に向かい努力し続けたその情熱はすばらしいです。現在の2代目「しらせ」が基準排水量が約12,500トンで3万馬力、数メートルの厚い氷でもチャージングで砕氷できるのに対し、わずか200トンの木造船で18馬力の開南丸が南極へ行ったのですから、その苦労は計り知れないものがあります。100年の時を経て当時に思いをはせてみたいと思います。
参考文献
成山堂書店「南極観測船と白瀬矗」小島敏男(著)
岩崎書店「まぼろしの南極大陸へ」池田まき子(著)
添付画像
白瀬中尉(PD)
<宗谷 南極探検関連リンク>
白瀬南極探検隊記念館 http://hyper.city.nikaho.akita.jp/shirase/
白瀬日本南極探検隊100周年記念プロジェクト http://www.shirase100.jp/index.html
船の科学館 南極観測船”宗谷” http://www.funenokagakukan.or.jp/sc_01/soya.html
みらいにつたえるもの http://www.geocities.jp/utp_jp/soya.html