(聖徳太子立像 飛鳥寺所蔵)
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御来訪感謝申し上げます。選挙戦も残すところ明日一日となりました。
我が福島県は5つの選挙区がありますが、メディアの調査では今のところ全区で民主候補が優勢に立っており、予想通りいけば福島県の小選挙区からの当選議員は全員民主党となりそうです。以前は『保守王国』と言われた福島も昔日の姿はもはや無きに等しく、県知事も元民主党参院議員であり、民主党の長老である会津の黄門様(渡部恒三)の甥っ子の佐藤雄平でありますから、心外ではありますが、今後は『民主王国福島』と呼ばれることになるのでしょう
先日、雑誌「サピオ」に載っていた津川雅彦氏の鼎談を記事にしましたが、他にもぜひ御紹介したい記事がいくつかあったので、引用紹介させていただきたいと思います。
「サピオ」が日本史上最強の“外交英雄”は誰かのアンケートで第一位に選ばれた聖徳太子に関する記述です。
【自尊力】巨大帝国・隋を前に臆せず対等外交を申し入れた胆力
そのためには、当時(7世紀初め)の東アジアの国際情勢を知る必要がある。
中国大陸に全土を統一した巨大国家があった。隋という。
紀元前の中国大陸には統一国家がなかった。その統一を初めて成し遂げたのが秦王政すなわち始皇帝であった。彼は「王」というのは中国の一部を支配している首長の称号に過ぎないと、新たに「皇帝」という称号を作った。正確に言えばこの時、世界に冠たる中華の国つまり中国という概念も生まれた。つまり、中国全土を支配するのが皇帝であり、中華以外の周辺国家の首長は国王に過ぎず、その国王という称号も中国皇帝の任命によって正式なものとなる。東アジアの国々は、中国皇帝の臣下である国王が治めるもの、という国際秩序が出来上がっていた。
そして、日本の隣に住む朝鮮民族もこの「ルール」を受け入れた、半島を統一した新羅以降、高麗も朝鮮もその首長はすべて国王であった。逆にそのルールに従おうとしなかった高句麗と百済は最終的に滅ぼされることになる。「皇帝陛下の臣下にして下さい」と頭を下げなければ、国家として存立が危うくなる、ということが東アジアの常識であったのだ。
ところが、こうした中、新興国家日本を代表する聖徳太子は「日出ずる処の天子、日没する処の天子へ書を致す。つつがなきや」という国書を送ったのである。これは中国皇帝と日本天皇はまったく対等であり、五分の付き合いをしようということだ。「書を奉る(つつしんで差し出す)」のではない「致す(送る)」である。「つつがなきや」は「元気かい?」ぐらいの感じである。
これを受けた隋の皇帝煬帝は激怒した。
「世界の中心」の大帝国隋に対して、ちっぽけな島国の首長がケンカを売ってきたのである。あまりにも、トンデモナイことなので、そのことは彼の国の歴史書にも記録された。歴史というのはニュースと同じで「犬が人に噛みついた」時には記録されない。「人が犬に噛みついた」時こそ記録される。そしてこのことは記録上に残った。大成功である。少なくとも、この時点で「日本」は「中国」と対等になった。
「日出ず処」の国書が「日本」と「天皇」を生んだ
中国だけが「国家」であった東アジアの中で、まさにそれに対抗する存在として日本を確立させた。これが、聖徳太子の政治の功績である。
日本はそれまで「倭」であり「大和」であり、その首長は「大王(おおきみ)」であった。それが、いつ日本となり天皇となったのか? 「皇」という字は始皇帝以来、中国皇帝しか使えない字だが、それを使うということは中国との対等意識が無い限り有り得ない。
歴史学者の中には異論もあるが、私はやはり「日本」そして「天皇」という言葉の生みの親は聖徳太子以外に有り得ないと思うのだ。 (作家 井沢元彦)抜粋引用
「日出ず処・・」で始まる国書はあまりに有名ですが、不肖敬天愛人はこのサピオの記事を読んだ時、まず「自尊力」という言葉に目を奪われました。
「自尊力」という言葉こそ、民主党党首が主張する「友愛」の対語ではないか!と思ったのです。
引用にもあるように当時の状況を考えれば、片や広大な国土と膨大な人口を抱える押しも押されぬ大帝国に対し、片や小さな島国で人口も比べるべくも無い小国の日本が「アンタのところの柵封には入らないよ!」というばかりか無謀にも対等の付き合いを求めたのですから、煬帝の怒りは如何ばかりであったか?と想像しただけでも愉快極まりない話であります。
お隣の事大主義を国是とする属国根性の半島民族とは天と地ほどの違いであります。
この時の聖徳太子の何事にも憶さない胆力のおかげで、我が日本は歴史上常に独立国家として天皇を中心に置く国体を護持して来ることが出来たのであります。
俗に『百年の計』と言いますが、これこそ『千年の計』と言える不朽の業績であったと心服するものであります。
その根底にあったのが日本の『自尊力』であります。
日本が分を弁えない単なる小国であったのなら、中国故事にある「夜郎自大」の謗りを受け惨めな結果に終わったのでしょうが、幸い地政学的な幸運と天皇を中心とした教育レベルの高い民族が結束した国柄だからこそ、インドと並んで中国の柵封体制に組み込まれることなく自主独立を維持できたのだと考えます。
現代に置き換えると今の東アジアの情勢を考えるに、中国が経済力も伴った巨大な覇権国家として復活しつつありますが、何故か日本の政治家の諸君は“中国様に卑下するような”態度を取りたがります。
その背景にあるのは無知無教養のために国に対する自尊心を持っていない狼藉もあると思いますが、やはり甘い罠に嵌められているのでは?と穿った見方をしています。
民主党党首が唱える「友愛」はどうやら「中共主席の臣下にして下さい」と頭を下げなければ国家としての存立が危うくなる、との歴史知らずの妄想であり、この方は国に対する誇りも自尊心もない人物なのであろうと確信いたします。
某党首の友愛=売国 聖徳太子の自尊力=国体護持の対比を御理解いただけると存じます。
友愛=売国であり、自尊力=国体護持であります。
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(ねずきちのひとりごと)
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