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ゴランPKO撤収完了 最長17年間、中東和平に貢献

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1/24日付
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ゴランPKO撤収完了 最長17年間、中東和平に貢献

 最後の派遣隊員を前に「自衛隊の高い能力と規律正しさは国際社会から高い評価を得た」と成果をたたえる安倍首相(檀上中央)=1月20日、防衛省で

首相「諸君は我が国の顔、誇り」

 中東・ゴラン高原の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に派遣されていた自衛隊のゴラン高原派遣輸送隊員とUNDOF司令部要員の計47人は1月17日までに帰国を完了、20日、防衛省で安倍首相が出席して隊旗返還式が行われた。シリア情勢の急激な悪化を受け、昨年12月、当時の民主党政権が撤収を決定。1996年2月に始まり、自衛隊のPKOとしては最長となる約17年間に及ぶ活動が終了した。安倍首相は「諸君は我が国の顔、我が国の誇り」と述べ、中東和平への貢献をたたえた。

最後の34次隊が帰国

 帰国したのは、最後の派遣部隊となった「ゴラン高原派遣輸送隊」の第34次要員(隊長・萱沼文洋3陸佐以下、海空自隊員を含む2師団基幹の44人)と、第17次UNDOF司令部要員の井上雄一朗3陸佐(先任兵站幕僚)以下3人の計47人。
 式では萱沼隊長が小野寺防衛相に全員無事の帰国を報告し、隊旗を返還した。続いて派遣部隊の功績をたたえ、内閣総理大臣特別賞状が34次隊に、首相が兼務する国際平和協力本部長表彰が34次隊と17次司令部要員に安倍首相から直接授与された。
 訓示に立った安倍首相は「立派に職務を遂行された諸君は我が国の顔であり、我が国の誇り。自衛隊の高い能力と規律正しさは国際社会から高い評価を得た」と功績をたたえ、「今回の経験を糧に我が国の防衛という崇高な任務にまい進し、国民の厚い信頼と期待に応えてほしい」と述べた。
 首相はまた、我が国周辺の厳しい安全保障環境を踏まえ、防衛大綱と中期防衛力整備計画を見直すことを改めて強調。「諸君の先頭に立ち、国民の生命・財産、我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜く決意だ」と述べ、自衛隊の体制強化と日米同盟の強化に取り組むことを表明した。
 続いて小野寺大臣が訓示。「標高2800メートルの山岳地帯での除雪作業をはじめ、3万5200トンの物資と7万9500人の人員輸送を実施し、総距離は地球の85周、340万キロメートルに達した。中東和平とUNDOFの活動基盤の維持に大きく貢献した」と17年間に及ぶ活動の成果を具体的に紹介し、全派遣隊員の労をねぎらった。
 萱沼隊長は報道陣に対し、「日本の代表という誇りを忘れることなく任務に励んできた。初代隊長を務めた佐藤正久政務官から代々受け継がれてきた隊旗を無事に返納でき、ほっとしている。関係者と家族の支えに感謝している」と述べた。
 

1/24日付
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入間基地 ゴラン運航終了行事 最終便の隊員出迎え

 基地隊員や陸自UNDOF要員の拍手を受けて行進する三苫機長以下、最後のゴラン高原空輸隊員(1月19日、入間基地で)
 中東・ゴラン高原でイスラエル、シリア両軍の停戦監視などを行う国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に参加していた自衛隊の業務終了に伴い、空自「ゴラン高原空輸隊」の運航終了記念行事が1月19日、埼玉県の入間基地で行われた。
 空自は平成8年2月以降、UNDOFに派遣された陸自主力の「ゴラン高原派遣輸送隊」と司令部要員のため、半年に1回、装備や食料などをC130H輸送機やU4多用途支援機で空輸、これまでにそれぞれ16回、18回の計34回実施した。
 最終便となった1輸空所属のC130H輸送機85号機は1月9日、撤収部隊の被服や生活用品を積んで小牧を出発。東南アジアなどを経由して現地入りした後、関東の駐屯地向け返却物と陸自隊員2人を乗せ入間を目指した。
 午前11時、冬晴れの下、両脇に初雪が残る滑走路にブルーグレーに塗装された85号機が着陸。機長の三苫惠司3佐以下13人がエプロン地区に降り立つと、廣中支援集団司令官、荒木1、赤峯2両輸空隊司令、基地隊員、UNDOF34次隊陸自要員ら約300人が拍手で出迎えた。
 この後、第73格納庫で式典が開かれ、三苫機長が帰国完了報告後、廣中司令官が訓示。「我が国を取り巻く情勢はゴランPKOミッションが始まった頃と大きく変わったが、約17年間、一度も支障なく輸送を行い、誠に見事な任務完遂だった」とねぎらった。
 式後、三苫機長は報道陣のインタビューに答え「途中、富士山がきれいに見えたときは本当に帰ってきたと感じた。部隊は海外運航に慣れているので不安はなかったが、有終の美を飾れるよう粛々と任務を行った」と話した。
 政府は22日の閣議で、日本隊が現地で使用していたトラックやドーザーなど計7台をUNDOFに無償譲渡することを決定した。
 

1/24日付
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ゴランPKO 17年の活動に幕 1次~34次隊 延べ1500人を派遣

 UNDOF後方支援大隊の編成完結式に臨む日本のゴラン高原派遣輸送隊の第1次隊。中央は佐藤正久隊長(現・防衛大臣政務官)(1996年2月12日、ジウアニ宿営地で)
 インド隊やフィリピン隊の見送りを受けて帰国の途に就く萱沼文洋隊長以下34次隊の隊員(1月13日、ジウアニ宿営地で)
 シリアのダマスカス空港に届けられたUNDOF用の物資をゴラン高原の宿営地まで運ぶ陸自隊員運転の国連トラック(96年)
 ゴラン高原北部のヘルモン山(2814m)で道路の除雪作業を行うファウアールの分遣隊。頂上にはUNDOFの監視所がある(2012年春)

国連部隊を後方から支える

 約17年間続いた日本の中東・ゴラン高原PKO活動が終了した。
 この間、陸自隊員を主力とした自衛隊の「ゴラン高原派遣輸送隊」は、1~34次隊まで延べ約1500人が半年交代で派遣され、シリア、イスラエル間に置かれた国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)の後方支援活動に当たってきた。
 日本隊はイスラエル側のジウアニ宿営地とシリア側のファウアール宿営地の2カ所に分かれて宿営。イスラエル側には隊長以下、隊本部、輸送班、警務班の約30人、シリア側には分遣班の約10人が展開し、生活物資などを運ぶ輸送任務をはじめ、施設作業、車両・重機整備、衛生支援、糧食業務などに従事した。
 日本隊は派遣当初はカナダ部隊、2006年からインド部隊とともにUNDOFの後方支援大隊に所属し、オーストリアやフィリピン、クロアチアなど監視任務に当たる各国歩兵部隊を後方面で支えた。
 輸送隊とは別に、日本からは毎年2、3人(当初は2人、2009年から3人)の幹部自衛官がUNDOF司令部要員としてファウアール宿営地に1年交代で派遣され、先任兵站幕僚、輸送幕僚、副広報幕僚として活動した。
 

1/24日付
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小野寺防衛相が視察 那覇、横須賀、松島基地

 横須賀基地を視察、「きりしま」艦上でミサイル発射装置の説明を受ける小野寺大臣(左から2人目)=1月21日
 小野寺防衛相は、1月16日に空自那覇基地、21日に海自横須賀基地、22日に空自松島基地を相次いで視察した。1月13日に陸自第1空挺団(習志野)の降下訓練始めを視察したのと合わせ、3自衛隊の初度視察が完了した。
 22日は大臣の地元である宮城県の松島基地に片岡空幕長らを伴って視察。訓示では東日本大震災について触れ、「隊員自らも被災した中で、基地機能の回復に全力を挙げ、復旧・復興に力を尽くしたことを誇りに思う」と述べ、被災地の隊員を激励した。
 これに先立つ21日の横須賀基地には河野海幕長、鎌田官房長らを伴った。武居横須賀地方総監、松本自衛艦隊司令官らの出迎えを受け、岸壁に停泊中のイージス護衛艦「きりしま」(艦長・豊住太1佐、7250トン)艦内を視察した。
 このあと大臣は厚生センターで約450人の隊員を前に「海域で緊張を強いられる任務に整斉と取り組んでいる姿を心強く感じる。引き続き、緊張感を持って任務に取り組んでほしい」と訓示した。
 16日の空自那覇基地では「諸君の任務は不測事態を防止し、我が国の断固たる意志を示すために極めて重要。今後とも任務にまい進を」と隊員を激励した。
 

1/24日付
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<西風東風>
中国機に警告射撃の可能性? 防衛相発言めぐり誤報騒動

 沖縄県尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権問題をめぐり、中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報紙は1月15日、小野寺五典防衛相が領空に侵入した中国機に対し、信号弾による警告射撃をする可能性があると述べたなどと報じた。
 中国の複数のメディアが直ちに転載し、一時反日感情が高まりを見せたが、防衛相の記者会見に出ていた香港メディアの記者が、報道内容を否定するコメントをミニブログに掲載。中国のネット上でも誤報だったとの見方が広がっている。米国のニュースサイト、多維新聞網などが伝えた。
 環球時報は同日、日本の大手紙の記事を引用。防衛相は同日の会見で、香港の記者が「中国機が領空に進入したら、警告のために射撃する可能性があるのか」と質問したのに対し、「無線などによる警告を無視して領空浸入を続けるなら、信号弾を発射する。いかなる国も領空を侵犯されれば、相応の措置を取るはずだ」と述べたと報じた。環球時報は、日本が信号弾を発射すれば、1987年の旧ソ連軍爆撃機に対するもの以来、26年ぶりのことだとも伝えた。
 環球時報の記事は他の複数メディアに転載され、専門家の多くが「日本による進攻のシグナルだ」などと述べて、反日感情をあおった。
 しかし、質問した香港の記者当人がミニブログで「防衛大臣は、信号弾にも警告射撃にも曳光弾にも触れていない。防衛省の公式ウェブサイトに掲載された記者会見の詳報をみても、明らか」と反発。「むやみにメディアを引用し、ニュースソースに確認しないなら、誤報につながる」などと述べ、元の日本の大手紙の報道に誤りがあったと指摘した。記者のミニブログの内容などは、中国のネット上で次々に転載されている。
 (台湾=中岡秀雄)
 

1/24日付
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<西風東風>
ターバン姿の衛兵初登場 英・バッキンガム宮殿で

 ロンドン観光には欠かせないバッキンガム宮殿の衛兵交代風景だが、シンボルマークになっている毛皮の黒い山高帽(ベアスキン)ではなく、ターバンを巻いた衛兵が180年の歴史で初めて登場、話題を呼んでいる。
 この衛兵は、英中部、バーミンガム出身のシーク教徒、ジェイティンデルパル・シン・ブラーさん(25)で、近衛歩兵5連隊の一つ「スコッツ・ガード」の一員として参加した。スコッツ・ガードは1832年からベアスキンで任務に就いているが、シーク教徒としての宗教上の理由が考慮され、着用が免除されることになった。
 当初はOBらからの反対もあったが、ソーシャルサイトのフェイスブック上でブラーさんを擁護するキャンペーンが展開されて世論が喚起されたこともあり、最終的に軍の上層部も容認した。
 シーク教徒はインド北西部のパンジャーブ州に多く、男性はひげや髪を切らないほか、ターバンを巻いているのが特徴で、インド、英国などではバイク運転の際のヘルメット着用義務がない。勇敢な兵士としても知られ、大英帝国のインド支配下ではセポイ(傭兵)として、アフガニスタン国境付近での反乱鎮圧などに従事。
 両世界大戦でも英軍の中心となって戦い、多数の戦死者を出した。このため、英国への忠誠心は高く評価されており、かつても王室の警護に当たったことがあるが、その際はベアスキンを被っていた。
 ブラーさんはれんが職人などを経験した後、落下傘部隊入りを目指したが、最終的には近衛歩兵連隊に入った。
 今回の件に関しては「とても名誉なことと思っている」と述べており、スコッツ・ガードでの上官、ロバート・ハウイソン中佐も「多くの民族、宗教、宗派がいる近衛連隊に、新たな多様性が加わることを歓迎している」と話している。
 (ロンドン=加藤雅之)
 
 

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