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世界出力第2位の日本が朝鮮で造った水豊ダム。この水力発電は朝鮮を近代国家に変えた。
昭和15年のソウルの朝鮮ホテル。手前の女性は朝鮮人舞踏家。
日本の統治時代の韓国に生まれ、その時代をよく知っている大正15年生まれの朴贊雄著書『日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想:』から、以下掲載させて頂きます。
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カナダのトロントに新羅会館という韓国食堂がある。1991年9月に、ここで韓国人移住社会のL夫人の卒寿の賀宴があった。賀客は2階のメインホールを埋め尽くした。殆どが当地の韓国人居留民たちである。
彼女は10人の子宝に恵まれ、そのうち5人が当地トロントに住んでいる。僕の中学、高校から大学までの同窓で、アメリカのフロリダに住んでいる全応相君は、彼女の婿の筆頭にあたり、夫婦ともども駆け付けてきた。
式は簡単な挨拶と家族紹介の後、賀客らにビュッフェ式で韓国料理が振る舞われた。
食事が終わる頃からプロ級の祝歌が歌われ、それから賀客らの要望に答えてお祝いのご本人が演壇に立たれた。彼女は90歳にしてなおカクシャク、伝統の南道(全羅道)の謡曲にも通暁しておられるという。
彼女が演壇に立たれるや、会場は一瞬、水を打ったようにシーンと静まり返った。
ところが、彼女の口から何のよどみもためらいもなくホトバシリ出た曲は、何と現代の韓国人たちは聞いたことすらない日本の軍歌の一節だった。
天に代わりて不義を討つ 忠勇無双の我兵は 歓呼の声に送られて
今ぞ出で立つ父母の国 勝たずば生きて還らじと 誓う心の勇ましさ
その発音も申し分なかった。しかし会場はドッと笑いに揺れた。皆は南道の謡を期待していたのに、意外も意外、日本の軍歌が轟こうとは・・・。
ところがもっと驚いたことに、会場の笑い声が静まるや、彼女は続けて、「道なき方に道を付け・・」、とその歌の続きを歌い始めたのだ。
韓国が日本から独立して55年も経ったのに、如何にして彼女はこの歌を二節までも覚えておられるのだろうか。
息子さんの一人がそばに寄って、「もういいですよ」となだめながら、彼女の手を取って壇から降りてきた。
僕はその後で息子さんに電話して、彼女がどうして日本の軍歌を歌ったのだろうかと聞いてみた。もしかして日本統治時代に学校の教師でもされていたのかと。
しかし息子さんは、母はただの家庭の主婦に過ぎなかったという。年収1万石の地主のうちで10人の息子を育てながら、醸造業を経営するかたわら全州府会議員を務める夫を助けるだけでも精一杯だったとのことだった。
卒寿の寿宴で日本の軍歌を歌った老婦人の頭に残る日本統治時代とは、どんなものだったのだろう。
僕は思う。今、韓国では民族主義が真っ盛りで、反日・反米主義がまかり通っているが、本物の日本統治時代、特にその後半期には反日主義は見かけられなかったのだ。
日本統治時代に、差別され、いじめられていたのだったら、かくも愉快に、堂々と、日本の軍歌が彼女の口をついてこなかったであろう。
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ここで歌われている日本の軍歌というのは「日本陸軍」という歌で、当時、出兵兵士を贈る時に歌っていた歌であります。
「朝鮮に政争も腐敗も弾圧もない、このような天下泰平の時代が、かつてあっただろうか」
この韓国人の筆者は、現状の言論の自由のない韓国や北朝鮮を見て、また日本統治前の朝鮮を比較して、一番よかったのは日本統治時代だと書いています。
「いまの若い連中は教科書や小説の影響を受けて、当時の朝鮮人はみな、日本を敵国と見なし、ことあるごとに命を投げ出して独立運動をした、そして日本の特高が全国的に監視の目を緩めず、多くの愛国者が次々と捕えられて処刑された、という自己陶酔的な妄想に耽っているが、これはウソである」
と、このようにも書いています。
今の韓国は戦前に上海にいた大韓民国臨時政府の流れであります。そして、実際に彼らがやっていたのは日本人に対するテロ殺人行為だけでした。日本人を憎み、日本人に迷惑をかけたい、日本人に相手にして欲しい・・・。
彼らは昭和天皇への暗殺未遂事件も起こしています(桜田門事件)。こういうことをやれば捕まって処刑されるのは当然です。
このように、正しい歴史というのがいかに大切であり、また、歴史が国を滅ぼす、というのも理解できるでしょう。
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