四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
例えば、山の神は、生産をつかさどる神です。それもありとある全てのものをつかさどっているといえます。なぜなら猪、鹿などの獲物や山の樹木、銅や鉄、田を潤す水に至るまで、山からもたらされるものは全て山の神のお陰だと祖先は信じ、崇めてきました。狩猟や林業、炭焼きなど山仕事をする人々にとっては、大切な生活の糧(かて)を与えてくれる神として厚く信仰されています。また、田の神と山の神は同じ神さまだともいわれ、山の神は春になると人里に降りて田の神となり、稲を守り豊穣(ほうじょう)をもたらし、秋に収穫が終わると山に帰ると信じられています。
人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはなりません。
古来、日本人は、森羅万象すべてに神々が宿ると信じ、崇敬してきました。また他者に対しても、同じ運命を背負う人間仲間として捉え、深く共感できたのです。そこから、「思いやり」「いたわり」という優れた感性が芽生え育んできたのです。
無常とは、元来仏教用語ですが、他の仏教国では捉え方が異なります。
いかに権勢を振るって栄耀栄華を極めようとも、多くの権勢なき人々と同じように、やがて死を迎えます。
未来永劫、盛者であり続けることなどできず、無常を知ればこそ、敗者や弱者の姿に、明日のわが身を見る思いがして、敗者への思いやりとか弱者へのいたわりといった感情が湧き上がるが、日本人だけが持ち得る感性なのです。
人は“幻の所有物”をさも実在の如く執着して日々を過ごしているのです。自分にとっての永遠の財産があるとしたら霊魂(みたま)のみでしょう。その理由は唯一あの世に持って行かれるものだからです。しかしその霊魂であっても私(自我意識)を超えた存在で、神の分霊魂(わけみたま)そのものであるので“私”の所有物ではありません。
日本は神の国だと言われてきました。神々によって作られ、神々によって護られています。日本全国津々浦々まで神社が存在します。
日本は本当に神国なのでしょうか。
まず、神の国とはどのようなところで、そこで暮らすのはどのような人たちなのかを考えてみる必要があります。
本ブログでも再三再四述べていますが、神の国である以上、清き明き心を持ち、みんな優しく思いやりがあり、いつも笑顔で暮らしているはずです。
礼儀正しくて慎み深く、自分より人を優先するはずです。
物を大切にし、足ることを知り、虚栄や虚飾を遠ざけ、清潔で簡素の中に美を見出してきたはずです。信義を重んじ、約束を守り、正直で誠実であるはずです。
子供は親に感謝し、親は子供のために自己犠牲を惜しまず、祖先に思いを馳せ感謝し、不平不満、愚痴、悪口を遠ざけ、貧しくても、お互いに助け合って暮らし、天の恵み、地の恵みに感謝し、人と人、人と自然が調和して生きているはずです。
これらのことが神の国の属性として捉えるならば、明治維新までのわが国、あるいは大東亜戦争前までのわが国は、まさに神の国でした。
神が国土を作り、神が護ってくれている国であり、そこに住む人々が、神の望む貴い心を持っている国であったことは間違いありません。
日本国民とは肇国以来、連綿と伝統、文化を紡いできたすべての日本人を指すものです。
我国には「先祖返り」という言葉があります。今の日本には「先祖返り」が必要なのではないでしょうか?
経済や政治・社会情勢に押し流されるようでは、潤いのある生活はできません。昨今のように混迷する社会情勢のもとでは、人々は目先のことばかりに心うばわれます。そんなご時世であればこそ、なにか大きな恐れるもの、畏敬の念を抱くものがあれば、かえって安心します。
神仏や、天地自然に手を合わせる、積極的な行動によって、子供達は健やかに成長し、大人達は希望と自信をとりもどし、安らぎを得ることができるでしょう。
かっての日本人とは、そのような民族だったのです。
そして、その時代のほうが、皆幸せであったように筆者は思います。
今一度、大らかで、高貴な、こころ優しい日本人の戻ってみませんか・・・
今一度、大らかで、高貴な、こころ優しい日本人の戻ってみませんか・・・
子孫の為にも・・