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アリゾナ記念館
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真珠湾で考える平和 鳥越俊太郎
聞き手 昨年12月7日、鳥越さんはオアフ島内の真珠湾に行った。71年前のこの日、日本軍の奇襲攻撃があった。沈没したままの米戦艦の上に「アリゾナ記念館」が建てられている。湾を望むメモリアルゾーンにたたずんだ
鳥越 展示されている戦艦アリゾナのいかり下に「おれたちは忘れんぞ」と刻んである。すごいね。アメリカ人にヒロシマ・ナガサキの話をすると、必ずこのパールハーバーを持ち出してきます。でも、犠牲者数のケタが違うし、何よりこっちは軍施設だもの。市民を巻き込んだ無差別攻撃とは明らかに違いますよ。
聞き手 京都大学では国史学を学んだ。特に明治期に興味があるのは、日本が維新以後、日清、日露、日中、太平洋の4度の戦争を戦ったからだ
鳥越 先日、製本された自分の卒論を手に入れました。副題が「明治期に於(お)けるブルジョワ民族主義」だって! 自由民権運動が弾圧されていく過程を書いたはず、もう内容は忘れてしまいましたが。あるとき、ふと気づいた。明治元(1868)年から数えて昨年(2012年)は144年、そして僕は72歳ですから、日本の近代史のちょうど半分を生きているんです。そう思えば、短い。その中で日本は4回もの戦争をした。戦争を避けることはできなかったのかと、常に考えています。いや、避ける道はあったはずだけれど、特に日中戦争から太平洋戦争に至る道は軍人も政治家も言論人も、全国民が火の玉になって戦争に突入していった。
聞き手 メディアも戦争に協力した。だから今、ジャーナリストとして決めていることがある
鳥越 最近、領土問題が議論され、北朝鮮が弾道ミサイル実験などしていると、勇ましい意見が必ず出てきます。アメリカと一緒にあいつらたたきつぶせ、と。だけど絶対、戦争はしてはならない。僕は最後の1人になっても、どんな状況になっても「NO」と言い続ける。それが僕が自分の胸に突きつけているあいくちです。NOと言えなくなったら死ぬ。それが戦争を知っている、歴史学を学んだ一人の人間としての、僕の気持ちです。(2013.1.11 毎日新聞)
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鳥越氏は京都大学では国史学を学んだそうで、「僕は72歳ですから、日本の近代史のちょうど半分を生きているんです」だです。その割には歴史観が正しくありません。京都大学と言えば戦後、昭和天皇に対する不敬な「京大事件」を起こし、滝川幸辰総長などがいる左翼大学であることは知られた通りです。
「戦艦アリゾナのいかり下に「おれたちは忘れんぞ」と刻んである。すごいね」
もともと真珠湾はサンゴ礁を爆破して作ったもので、深くても12メートルで海底であるから、戦艦は沈んでも甲板の上は水面上に残って引揚げできるので修理もできたのです。しかし戦艦アリゾナは修理費用が高額なために兵員の遺骨ごと封印してアリゾナを記念館にした、というのが真実です。「おれたちは忘れんぞ」というのは後付けの喧伝であるのです。
「アメリカ人にヒロシマ・ナガサキの話をすると、必ずこのパールハーバーを持ち出してきます」
広島・長崎の原爆投下で亡くなった民間人は30万人を超えました。一方の真珠湾攻撃で亡くなった民間人は28人です。日本人はこれをきちんと覚えておき反論できるようにしておくべきです。
しかも真珠湾攻撃は仕組まれたもので、日本の真珠湾攻撃を最小限の被害にできないかと、攻撃前からルーズベルトはスチムソン国務長官に相談していた、とスチムソン日記に書かれているというのは今や常識であります。そして広島・長崎の原爆は日本人に対する人体実験であったことも明らかになっています。
鳥越氏は米軍は「市民を巻き込んだ無差別攻撃」と言いますが、米軍の攻撃は目標通り的確に攻撃しており、何も無差別な攻撃ではなかったのです。
戦争を避けることはできなかったのかと、常に考えています。いや、避ける道はあったはずだけれど、特に日中戦争から太平洋戦争に至る道は軍人も政治家も言論人も、全国民が火の玉になって戦争に突入していった
戦争を避ける道はありました。日本が白人国家の植民地になることです。日本の先人たちは白人の奴隷になるくらいなら戦うことを選択したのです。「常に考える」前に誰のおかげで今の日本の繁栄があるのか、先人達に感謝せよと鳥越氏に言いたい。
「日中戦争から太平洋戦争に」とありますが、当時は日中戦争という呼び方はなく支那事変か日華事変で、太平洋戦争というのもアメリカの呼び方で、日本は大東亜戦争と言っていたのです。
日本国民が白人の植民地政策から自国を護るために全国民が戦ったのを「火の玉になって戦争に突入していった」とまるで自国を守ることが悪いように書いています。
領土問題が議論され、北朝鮮が弾道ミサイル実験などしていると、勇ましい意見が必ず出てきます。アメリカと一緒にあいつらたたきつぶせ、と。
「アメリカと一緒にあいつらたたきつぶせ、と」。叩き潰せ? そんなこと言っている奴がいるのでしょうか。我が国は他国と同じように抑止力として軍事力を持ち、万一の場合を考えていつでも国が護れるように憲法はじめ法整備をしておくべきだ、というのはありますが、こちらから叩き潰せ、という意見はあっても少数でしょう。
だけど絶対、戦争はしてはならない。僕は最後の1人になっても、どんな状況になっても「NO」と言い続ける。それが僕が自分の胸に突きつけているあいくちです。NOと言えなくなったら死ぬ。それが戦争を知っている、歴史学を学んだ一人の人間としての、僕の気持ちです
教育勅語には「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」という言葉があります。日本が国家存亡の一大事になれば国民の義務として国を護るのは当然のことです。それを「NOと言い続ける」というのは、我が国が他国に侵略されても、領土を奪われても自分だけは国を護らない、戦わない、と言っているのです。嫌だと言えないなら死んだ方がましだ、ということです。
「それが戦争を知っている、歴史学を学んだ一人の人間としての、僕の気持ちです」
英霊たちはなぜ命を捧げたのか。みんな尊い命ではなかったのか。愛する妻がいて、子供もいて、父や母もいて、兄弟もいて、恋人もいたのです。誰もすすんで戦争などしたくはなかったが、お国を護るために、国民の義務として散っていったのです。鳥越氏は本当に戦争を知っているのか。上っ面の悲惨さしか知らないのではないか。「歴史学を学んだ」と言っていますが、左翼の総長や教授の京都大学で左翼の自虐で間違った歴史学を学んだ、というのがよくわかりました。
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平和というのはNOと言い続けて得られるものではない、
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