愛国日の丸革命 (2)
早すぎた一年前の自決
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切腹した大学生
昨年12月8日朝、石川県金沢市の石川護国神社で、22歳の金沢大生が切腹自決した。彼は北海道出身で金沢市に住む大学4年生、Sさんであった。警察が調べたところ、腹部と首に深い刺し傷があり、近くにはナイフと透明のビニールシートにくるまれた日章旗があった。
Sさんはナイフで腹を十字に切った後、自ら頸(けい)動脈を切って自決したものと判明した。この日は小雨が降っており、国旗を濡らさないようにビニールに包んだものと思われた。彼は黒のスーツにワイシャツ姿で、靴は脱いでそろえておいてあり、同日未明に人知れず自決したものとみられた。
彼が切腹した場所は、護国神社の境内でも奥まったところにある清水澄博士顕彰之碑の前であった。清水博士は慶応4年、金沢市の出身、東京帝大出身の憲法学者で、大正天皇、昭和天皇に憲法を講義したこともあった。その後、枢密顧問官などをへて、昭和21年から最後の枢密院議長を務めた。戦後の新憲法施行に反対し、施行の年の昭和22年9月25日、「幽界より国体護持と皇室安泰、今上陛下の御在位を祈願す」との自決の辞を残し、静岡県の熱海の海岸で投身自殺をした。その後、出身地の石川護国神社境内に顕彰之碑が建てられた。
昨年の12月8日は、昭和16年12月8日の大東亜戦争(太平洋戦争)開戦から70年。Sさんは大学で安全保障問題ゼミに属し、日頃、ゼミ仲間らに、日本の安全保障の在り方について、熱っぽく語っており、自決のかなり前から、政府がきちんとした安全保障政策をとらないことに絶望する発言をしていたという。
彼が自決した前年には、中国の漁船が尖閣諸島の領海で海保の巡視船に衝突、民主党政権が船長を釈放してしまうという失態を演じており、領土問題があらためてクローズアップされていた。
この事件は大学生の単なる自殺事件として処理され、地元メディア以外はほとんど報道されなかった。だが、平成生まれの青年が、日本の安全保障政策に絶望して、切腹という手段で死を選んだ意味は決して小さくない。
小雨降る中、暗い神社の境内で、靴を脱いで正座し、人知れず十字に切腹して頸動脈を切るというのは、なまなかな覚悟ではできない。これは国家、政府、国民に対する諫死(かんし)であり、憤死でもあろう。一周忌に当たり、あえて記した。(編集委員 大野敏明)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121229/crm12122907340000-n2.htm
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清水澄博士顕彰之碑
この若者を今年まで生かしてあげたかった。昨年の今頃と今年は全く違っている。昨年の12月、確かに国の将来を思う人に取っては絶望の境地に立たされていると言っても良かった。亡国民主党政権によって日本国家は存亡の危機の中にあった。
真面目で真摯に考える純粋な若者であればあるほど、日本国の将来に絶望を抱かざるを得なかった。しかし、それから1年新しい年を迎える祖国日本には黎明の光が差し込んでいる。
日本を覆っていた反日政党の暗雲が立ち去り、僅かながらでも太陽の光が見えている。暮れの選挙で自由民主党が大勝、反日民主党は大敗、社民・共産は凋落傾向に歯止めがかからず消え去る運命をまっしぐらに突き進む。
支那・朝鮮の傀儡小沢一郎も再起不能となった。新しい日本維新の会も躍進し、祖国日本を護持する勢力が躍進し、ようやく日本がこれから再生の道を歩み出すスタート地点に立つことが出来た。
昨年、日本の前途を悲観して自決したこの若者が、今年まで生きていればまた違った希望を見出すことができたのではないか。そのように思うと本当に残念でならない。胸が切り裂かれる思いです。
憂国の士であり、我々が決して忘れてはならない青年である。
私は名前も存じないし、どのような顔をした人なのかも知らない。このブログを見ている方でご存知の人がいたら是非教えて欲しい。その写真もあれば送って欲しい。勿論ご遺族の意思も尊重しなければならないが、この愛国者を単なるSさんとしておいて良いのでしょうか?
私はそうは思わない。出来れば今後の日の丸革命では、その遺影写真を掲げたい。写真の許可が得られない場合は肖像画、もしくは石川県護国神社で自決した、その姿を描いた絵を掲げたいと思います。
誰か、知っている方がいれば協力して下さい、御知らせ下さい。
この若者の死を絶対に無駄にしてはいけない。憤死として終わらせたくはありません。
この件は昨年12月12月の当ブログでも取り上げました。
以下
これまでも何度も書いて来ましたが、今日の日本の現状を純粋な若者ほど憂い、そして将来に絶望しているのではないか。何故前途ある若者がこのような自殺という形で自分の人生に終止符を打たねばならなかったのか、そのことを考えただけで心が破裂する思いにとらわれる。
若者はいつの時代も純粋だ。余りにもデタラメな国家を自らの命を賭して変えようとしたのかも知れません。現在の所遺書があったとの報道もないし、そのような思想性を含む事件なのかも明らかではありません。
しかし、護国神社内で日章旗が置いてあったと言うのですから、そのような思想性の背景が多分にあったのではないかと推測されます。
これ以上の情報がないのでこれ以上は情報が集まり次第書くことと致します。取り急ぎ拡散の要請がネットに広まっていたので紹介しておくことにしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
御冥福をお祈り申し上げます。
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早すぎた一年前の自決

切腹した大学生
昨年12月8日朝、石川県金沢市の石川護国神社で、22歳の金沢大生が切腹自決した。彼は北海道出身で金沢市に住む大学4年生、Sさんであった。警察が調べたところ、腹部と首に深い刺し傷があり、近くにはナイフと透明のビニールシートにくるまれた日章旗があった。
Sさんはナイフで腹を十字に切った後、自ら頸(けい)動脈を切って自決したものと判明した。この日は小雨が降っており、国旗を濡らさないようにビニールに包んだものと思われた。彼は黒のスーツにワイシャツ姿で、靴は脱いでそろえておいてあり、同日未明に人知れず自決したものとみられた。
彼が切腹した場所は、護国神社の境内でも奥まったところにある清水澄博士顕彰之碑の前であった。清水博士は慶応4年、金沢市の出身、東京帝大出身の憲法学者で、大正天皇、昭和天皇に憲法を講義したこともあった。その後、枢密顧問官などをへて、昭和21年から最後の枢密院議長を務めた。戦後の新憲法施行に反対し、施行の年の昭和22年9月25日、「幽界より国体護持と皇室安泰、今上陛下の御在位を祈願す」との自決の辞を残し、静岡県の熱海の海岸で投身自殺をした。その後、出身地の石川護国神社境内に顕彰之碑が建てられた。
昨年の12月8日は、昭和16年12月8日の大東亜戦争(太平洋戦争)開戦から70年。Sさんは大学で安全保障問題ゼミに属し、日頃、ゼミ仲間らに、日本の安全保障の在り方について、熱っぽく語っており、自決のかなり前から、政府がきちんとした安全保障政策をとらないことに絶望する発言をしていたという。
彼が自決した前年には、中国の漁船が尖閣諸島の領海で海保の巡視船に衝突、民主党政権が船長を釈放してしまうという失態を演じており、領土問題があらためてクローズアップされていた。
この事件は大学生の単なる自殺事件として処理され、地元メディア以外はほとんど報道されなかった。だが、平成生まれの青年が、日本の安全保障政策に絶望して、切腹という手段で死を選んだ意味は決して小さくない。
小雨降る中、暗い神社の境内で、靴を脱いで正座し、人知れず十字に切腹して頸動脈を切るというのは、なまなかな覚悟ではできない。これは国家、政府、国民に対する諫死(かんし)であり、憤死でもあろう。一周忌に当たり、あえて記した。(編集委員 大野敏明)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121229/crm12122907340000-n2.htm

清水澄博士顕彰之碑
この若者を今年まで生かしてあげたかった。昨年の今頃と今年は全く違っている。昨年の12月、確かに国の将来を思う人に取っては絶望の境地に立たされていると言っても良かった。亡国民主党政権によって日本国家は存亡の危機の中にあった。
真面目で真摯に考える純粋な若者であればあるほど、日本国の将来に絶望を抱かざるを得なかった。しかし、それから1年新しい年を迎える祖国日本には黎明の光が差し込んでいる。
日本を覆っていた反日政党の暗雲が立ち去り、僅かながらでも太陽の光が見えている。暮れの選挙で自由民主党が大勝、反日民主党は大敗、社民・共産は凋落傾向に歯止めがかからず消え去る運命をまっしぐらに突き進む。
支那・朝鮮の傀儡小沢一郎も再起不能となった。新しい日本維新の会も躍進し、祖国日本を護持する勢力が躍進し、ようやく日本がこれから再生の道を歩み出すスタート地点に立つことが出来た。
昨年、日本の前途を悲観して自決したこの若者が、今年まで生きていればまた違った希望を見出すことができたのではないか。そのように思うと本当に残念でならない。胸が切り裂かれる思いです。
憂国の士であり、我々が決して忘れてはならない青年である。
私は名前も存じないし、どのような顔をした人なのかも知らない。このブログを見ている方でご存知の人がいたら是非教えて欲しい。その写真もあれば送って欲しい。勿論ご遺族の意思も尊重しなければならないが、この愛国者を単なるSさんとしておいて良いのでしょうか?
私はそうは思わない。出来れば今後の日の丸革命では、その遺影写真を掲げたい。写真の許可が得られない場合は肖像画、もしくは石川県護国神社で自決した、その姿を描いた絵を掲げたいと思います。
誰か、知っている方がいれば協力して下さい、御知らせ下さい。
この若者の死を絶対に無駄にしてはいけない。憤死として終わらせたくはありません。
この件は昨年12月12月の当ブログでも取り上げました。
以下
これまでも何度も書いて来ましたが、今日の日本の現状を純粋な若者ほど憂い、そして将来に絶望しているのではないか。何故前途ある若者がこのような自殺という形で自分の人生に終止符を打たねばならなかったのか、そのことを考えただけで心が破裂する思いにとらわれる。
若者はいつの時代も純粋だ。余りにもデタラメな国家を自らの命を賭して変えようとしたのかも知れません。現在の所遺書があったとの報道もないし、そのような思想性を含む事件なのかも明らかではありません。
しかし、護国神社内で日章旗が置いてあったと言うのですから、そのような思想性の背景が多分にあったのではないかと推測されます。
これ以上の情報がないのでこれ以上は情報が集まり次第書くことと致します。取り急ぎ拡散の要請がネットに広まっていたので紹介しておくことにしました。
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御冥福をお祈り申し上げます。
