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[転載]その時事件は起きた!カメラにも撮ったはずなのマスコミが、翌日の新聞は1フィート運動の闇の部分にはいっせいに封印をし、自画自賛の奇麗ごとので固めた記事のみを掲載している事実。

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昨日沖縄県庁の記者クラブで一フィート運動の活動終了の記者会見があった。
記者会見の最中に「事件」は起きた。
20数名のマスコミが注目する前で。
しかしこの突然起きた「事件」は満座のマスコミにとっては「不都合な真実」だった。
果たせるかな今朝の沖縄タイムスは、見事にこの「事件」をスルーした。
その「事件」は、出席した一フィートフィートの会幹部の知られざる闇に関する重大事件であったにも関わらず。
で、本日の社会面トップは何事もなかったかのように、何食わぬ顔のこの見出しだ。(笑)
1フィート運動の会 活動に幕
改憲・国防軍を懸念
「沖縄の心が生んだ運動」関係者ら評価
例によって沖縄2紙のウェブ記事更新は遅いので、河北新報の記事を引用する。
来年3月の解散を発表する「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」の福地昿昭代表(左)=27日午後、沖縄県庁
 太平洋戦争末期の沖縄戦の映像を収集し、住民を巻き込んだ凄惨な戦争の実相を伝える活動を続けてきた市民団体「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」(那覇市)が27日、記者会見を開き、「社会的使命と責任を果たした」として来年3月15日に解散総会を開き、活動を終えると発表した。1983年に設立された同会は、市民からの募金を元手に、沖縄に上陸した米軍が撮影した記録フィルムを米国立公文書館などから収集。上映会の開催や、沖縄戦体験者の証言と合わせた記録映画などを製作してきた。
2012年12月27日木曜日
        ☆
昨日午後2時に始まった1フィートの会の記者会見は、福地会長のダラダラとした退屈極まりない自画自賛の声明文の読み上げが20分近く続き、質疑応答の時間に入った。
記者席から1フィート運動の初期の上映会に関する質問が出たが、「記憶にない」などの返事で、初期の頃についてのまともに回答ははえられなかった。
さらに「戦争の悲惨な場面のみを編集せずに、戦争中にも見られる住民や子どもたちの明るい笑顔なども公開したらどうか」との質問があったが、これに対してもまともな回答は聞かれなかった。
その時事件は起きた。
11名横並びで記者会見をする幹部の後ろ側から突然その男は現れた。
その男の顔を見た11名の幹部の顔が一瞬凍りついた。
男は大声で怒鳴った。
 
「さっきから裏で聞いていたら、よくも嘘八百を並べたものだ。 マスコミの皆さんこいつらがしゃべったことはすべて大嘘です。」
 
男は呆気にとられ沈黙のままの福地会長の仁王立ちになり、上から見下ろし、指を福地会長の鼻先に突きつけてこう言い放った。
 
「1フィート運動は創立したのは僕だ。 この恥知らずが。お前、福地は恥もなくよくも大嘘がつけるものだ、お前は福地ではなく白痴だろう。 いや、人間の」クズだ!」
 
筆者はこれまでの人生の中で識者と言われる一人前の男が、公衆の面前、いや、数多くのマスコミ監視の中でこのように激しく面罵される光景を見たことがない。
 
憤怒ダルマの形相で激しく面罵した
人物はドキュメンタリー作家の上原正稔さん。
その時の幹部一同の表情が興味深かった。
 
先生に怒られる小学生のように、皆目を伏せ誰一人上原さんの顔を睨み返す返す勇気のある者はいなかった。
よっぽど脛に深い傷でも持っているとしか思えない幹部一同の対応だった。
上原さんの糾弾の演説は約20分ほど続いた。
福地会長の右隣に座っていた新崎モリテル沖縄大学名誉教授が、流石にたまりかねてこう切り出した。
 
「1フィート運動の創始者はあんたであることは認める。 だが、本日は記者会見の場なので別の機会に・・・」
上原さんは、今度は新崎氏を見下ろし、一渇した。
「黙れ!お前はデタラメだけを述べているが大学教授など辞めてしまえ!」
 
そして持参した新聞記事と1フィート運動の機関紙を掲げて、こう怒鳴った。
 
「僕を創始者と知りながら、何故嘘をつく」
 
「記事には1フィート運動は子どもたちの間から自然発生的に湧いてきたとあるが、ボウフラじゃあるまいし、自然に湧くはずないだろう」
 
英語に堪能でアメリカにも人脈を持つ上原さんが自ら渡米し、記録フィルムを収集して返ったとき、信頼して役員にしていた識者の面々が上原さんの机と椅子を撤去し、多数決で創始者の上原さんを追い出したのが真相だという。
 
新崎氏が上原さんの一喝で沈黙した後、今度はいつもバンダナを巻いて異様な風体のまよなかしんや事務局長がなだめに掛かった。
 
「貴方が創始者であることは認めるが、今日は記者会見の・・・・」
 
上原さんは今度はこの男に向かって怒鳴った。
 
「お前、まよなかしんやというらしいが、一体何人だ!」
 
これに対してもまよなかしんや氏は沈黙を守らざるを得なかった。
 
今度は毎日新聞の記者が発言した。
 
「私はこの記者会見の管理者の毎日新聞ですが、記者会見はまだ終わっていないし、時間もないので、話があれば別に機会を設けてもらえませんか」
 
「何を言うか! 僕はこの機会を30年間待っていたのだ。 1時間でも2時間でもしゃべる。」
 
「それに僕が記者会見をしても君たちは聞いてくれないだろう。」
 
これには毎日記者も黙らずを得なかった。
上原氏の独演会が20分も続いた頃、筆者は上原さんに声をかけた。
 
「上原さん、目的は充分達成されたようなので、この辺で勘弁したらどうですか。あまり長引くと逆効果ですよ」
 
しばらくして上原さんの独演会も幕を下ろした。
 
■上原氏追い出しの理由
30年前の創立当時、まだ40歳前の純粋な上原青年は、寄付金を集めるための信頼性の担保に、当時の「識者」の面々を役員や相談役に名を連ねてもらった。
だが、後になって上原さんは気がつくのだが、1フィート運動の役員に名を釣られたのはイデオロギーのためには歴史を改竄しても恥とも思わない「人間のクズ」ばかりだった。
1フィート運動のHPから歴代役員名を拾うとこうなる。
2009年度2010年度 顧問 顧問 大田昌秀 大田昌秀 中村文子 代表 代表 福地曠昭 福地曠昭 副代表 副代表 石川元平 石川元平 事務局次長 事務局次長 大城信也 (まよなかしんや) 大城信也 (まよなかしんや) 理事 理事 安仁屋政昭 安仁屋政昭 新崎盛暉 新崎盛暉 伊佐順子 伊佐順子 石原昌家 石原昌家 大濱敏夫 大濱敏夫 大山 哲 大山 哲 我謝幸男 我謝幸男 垣花豊順 垣花豊順 島袋淑子 島袋淑子 真栄里泰山 真栄里泰山 知花 聡 知花 聡 山根安昇 山根安昇 渡久地昇永 渡久地昇永 宮城孝子 宮城孝子 宮城千恵 宮城千恵 西岡信之 西岡信之 幹事 比嘉 宏 比嘉 宏 石川美代子 石川美代子


 
代表と運営委員(2007〜8年)2007年度2008年度 顧問 大田昌秀 中村文子 代表 代表 福地曠昭 福地曠昭 副代表 石川元平 事務局長 中村文子 事務局次長 大城信也 (まよなかしんや) 運営委員 運営委員 島袋淑子 島袋淑子 伊佐順子 伊佐順子 安仁屋政昭 安仁屋政昭 新崎盛暉 新崎盛暉 石原昌家 石原昌家 大田昌秀 真栄里泰山 石川元平 垣花豊順 真栄里泰山 大浜敏夫 保坂広志 我謝幸男 大城信也 (まよなかしんや) 村上有慶 我謝幸男 三浦晋一 大城治樹 松田 寛 村上有慶 大山 哲 三浦晋一 山根安昇 松田 寛 比嘉勝太 大山 哲 山根安昇 幹事 川端光善 比嘉 宏 宮城孝子 宮城孝子 代表と運営委員(2006年以前)  顧問 池宮城秀意(故人) 沖縄戦を考える会会長
                  元琉球新報社社長・会長

     豊原良顕(故人) 元沖縄タイムス社社長

 初代代表 仲宗根政善(故人) 琉球大学名誉教授

 2代目代表 牧港篤三(故人) 沖縄文化協会会長

 副代表 宮里悦(故人) 前沖縄県婦人連合会会長

 運営委員 神山操 沖縄県労働組合協議会議長

        比屋根清一 沖縄県教職員組合中央執行委員長

        上仮屋貞美 沖縄県民生活協同組合専務理事

 事務局長   外間政彰(故人) 前那覇市立中央図書館長

 (肩書きは当時)
 
沖縄2紙に頻繁に登場する「識者」の名が目に付くが、いずれも先般の「大江・岩波集団自決訴訟」では原告の応援団に名を連ね、「残虐非道な日本軍が自決命令を下した」と主張するイデオロギーで固まった面々である。
その中にあって実証的検証で、イデオロギーにとらわれない上原青年は邪魔な存在であった。
つまり沖縄の歴史を捏造・歪曲を目論む識者たちにとって上さんは追放に値する目の上のタンコブだった。
 
1フィート運動の成果は数多くあるが、フィルムを継ぎ接ぎし、イデオロギーに合った物語に編集した例は計り知れない。
 
その中でも「白旗を掲げて投降する少女の後ろから命乞いをするようについてくる醜い日本兵」と事実無根の物語をでっち上げた「白旗の少女」の物語はあまりにも有名である。
 
上原さんが1フィート運動に止まっていたらこのような沖縄戦の捏造は決して許してはいなかったはずである。
 
「白旗の少女」について過去に何度もエントリーしたので参照して欲しい。
 
最後にもう一度だけ繰り返す。
昨日の県庁で行われて記者会見で起きた「事件」。
識者と言われる人達が公衆の面前で、あれほど激しく罵倒される姿を見たことはない。
 
さらにその激しい面罵に対し誰一人まともに反論できなかった例も稀有である。
 
もう一つ、その前代未聞の罵倒劇を目撃し、カメラにも撮ったはずなのマスコミが、翌日の新聞は1フィート運動の闇の部分にはいっせいに封印をし、自画自賛の奇麗ごとので固めた記事のみを掲載している事実。
 
これこそが、沖縄の言論空間を覆う言論封殺の体質を象徴して余りある。
 
少なくとも日頃「1フィート運動は自分が創った」と豪語している大田昌秀元県知事言説が真っ赤な嘘であるは証明された。
 
大田氏が臨席しなかったことは、本人にとって幸いだった。
が、幹部の面々が内外マスコミが監視する中で「1フィート運動は上原正稔が創始者である」と言うことを認めただけでも大きな成果であり、同時に大田氏が創始者」ということも大嘘であることが証明されたことも大きな成果であった。
 
これで想いだすのが30数年前のもう一つの「事件」のこと。
 
天皇陛下もご宿泊した沖縄の最高級ホテル「ハーバービューホテル」の大宴会場で、酒乱癖丸出しの大田昌秀氏が内外の有名人が監視の中、上原正稔さんに掴みかかり殴打した上、床を引きずりまわした「大田昌秀暴行事件」のことだ。
 
そのときも当時の沖縄タイムスの大山哲記者ら多数のマスコミ記者が前代未聞の「事件」を目撃していながら翌日の紙面には一行の掲載もなかった。
「反戦平和は免罪符」の合言葉がマスコミに流布し始めたのはこの頃からなのだろう。
 


「狼魔人日記」さんより転載抜粋
 
青文字が正しく
 
赤文字が左派系と言われる胡散臭い人

転載元: 沖縄のあまのじゃくの感想。


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