12月23日の天長節の前後1週間、我が地域の大東亜戦争の英霊たちを顕彰する「ふるさと英霊展」が行われました。
これを主宰したのが地元の方で、会場費含め一切の費用を自腹で行っています。今年で7回目になります。地元紙では産経新聞だけが取り上げました。
「英霊に感謝する方に手伝ってほしい」という主催者のご意向です。
非常に価値あることに実行委員に任命された私も時間の許す時に受付の手伝いをさせて頂きました。
この受付をやっている方はおもに大東亜戦争で生き残った方々でした。大正12年生まれや大正15年生まれの方々で、遠くは埼玉から来られていました。
87歳、90歳の方々が今もこのような活動をされているのです。
元予科練や元帝国海軍の方たちとお話をさせていただくと話がつきません。
「なぜ日本は戦ったのか?」
この答えは学校では「日本が軍国主義で侵略のためだった」と教えられますが、
大東亜戦争を戦ってこられた方々はそうではありません。
「白人の侵略から日本を守るために戦った」
「日本民族は他国を侵略するような民族ではない。それは今も同じでしょう」
“生きた教科書”でもある元軍人たちはこう答えます。
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インパール作戦の時、日本軍が入ったのはインドのナガランドというところで、そこにはインド人ではなくナガ族が住んでいました。ナガ族は山岳民族で山の谷間のあちこちに部落を作っていたが、日本軍が来るとどこかへ姿を消しました。
戦後、栃木県に「アジア学院」という農業指導者を養成する学校が出来て、そこへナガ族の人も毎年何人か留学に来ていました。ビルマ英霊顕彰会(現・全ビルマ会)が中心になってビルマの留学生と一緒にナガ族の留学生を毎年呼ぶことにしたのです。
ナガ族の青年たちは感激し、彼らがおじいさんから聞いた話として、「日本の兵隊は非常に勇敢で、規律も正しく、イギリス軍を相手によく戦った。残念ながら日本は負けたけれど、おかげでインドは独立できた」と聞かされて育ったのでした。
インドは昔からイギリスの植民地から脱して独立したいと何度も戦いを挑んだが成功しなかったのです。有色人種は白人には勝てないと半ば諦めていた時、日本が日露戦争で白人の国ロシアに勝ったのです。これはどれほどアジアの植民地の方々の勇気となったことでしょう。
その後、インドが独立したのは1947年8月15日で、日本が負けてイギリスはもう一度インドを植民地にしようと独立運動を指導した人たちを裁判にかけて押え込もうとしましたが、インド国民は一丸となって反対し、独立を主張し、イギリスは根負けしました。
そのインドが日本に感謝したことは、敗戦後に日本の子供たちへ象をプレゼントしたこと、そして昭和天皇崩御の折、日本国民は2日間であったのに、インド国民は3日間も喪に服したのでありました。これ全て先達の偉業であります。
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