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夏淑琴さん事件の真犯人は誰か

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2012-12-11

夏淑琴さん事件の真犯人は誰かAdd Star

 
真犯人は支那の便衣隊だ!
 
f:id:jjtaro_maru:20121210211318j:image

 
 夏淑琴(か・しゆくきん)さん事件というのは昭和12年(1937年)12月13日、支那事変南京戦で、日本軍が南京を陥落させ、城内に進入したとき、夏さん一家と家主一家13名のうち11名を殺害したとする事件です。生き残った夏さんは事件から2週間後に近所の老婦人が見つけて、難民を受け入れている安全区を管理する国際委員会マギー牧師がフィルムにおさめたというものです。この事件はマギー東京裁判の証言、国際委員会委員長のラーベの日記から推測すると翌年1月14日あたりで発生した事件と考えられます。夏さんの家の家主がイスラム教徒で夏さん一家もイスラム教徒だった可能性が高く、当時8歳の夏さんがマギーの聞き取りに対して旧暦で12月13日と答えた考えられます。
 
 事件が1月14日あたりで起こったとすると、犯人が日本兵である可能性はかなり低くなります。というのは1月1日には自治委員会が発足しており、安全区にいる難民に帰宅するよう促しているからです。事件現場は安全区の外でおこっていますから、そのような事件を起こしてしまえば難民は自宅に帰りにくくなり、日本側の思惑は外れてしまうからです。
 
 犯人が日本兵でないとすると、他に武装した集団といえば、安全区に隠れている支那の便衣隊が考えられます。かれらは武器を隠し持っており、攪乱工作を展開していました。
 
 ニューヨーク・タイムズ 1月4日付
 
「元支那軍将校避難民の中に」「大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」
 
「南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一名とその部下の将校6名を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。・・・この元将校たちは、南京で略奪したことと、ある晩などは難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した」
 
 12月28日時点で支那軍の将校23名と下士官54名、兵卒1498名が摘発されています。これ以降、安全区の記録では犯罪事件が激減しています。しかし、全部が摘発されたというわけではなく、国際委員会のラーベ委員長がかくまっていた2名の大佐は健在でした。
 
 冨澤繁信(著)「データベースによる事件の解明 南京事件の核心」では安全区の記録を統計グラフ化しており、これを見ていると12月17日に事件は30件を超えていたものが29日にはゼロになっています。以降事件が多い日は1月1日、1月9日、1月20日となっており、1月28日から急増し、29日には55件となっています。1月1日は自治委員会が発足しています。1月9日ごろは国際委員会と自治委員会が激しく対立した頃になります。29日以降に事件が急増したのは28日から日本軍の天谷支隊が強力に帰宅推進運動を行ったからです。こうした流れの中で残っている支那の便衣隊が攪乱工作を行った可能性は高いです。
 
 安全区の記録 第186件
 
「1月9日午後三時頃、ミルズ氏とスミス博士が、○○へ出かけた。その辺の様子を見て、市の西南部に住民が帰れる状態かどうか知りたいと思ったのである。そこへ着いたところ、赤ん坊を抱いた一人の婦人が、今しがた三人の日本兵強姦されたところであった」
 
国際委員会のメンバーが視察にいく絶妙のタイミングで事件がおこっています。こうした攪乱工作の中で夏さん一家が被害を受けた可能性は大いにあります。
 
 第190件
 
「1月14日、ある一家が金陵大学附属中学から帰宅した。彼らは途中で新しい登録証を入手したが、それを門にはっておけば兵隊に困らされることもないと言うことだった。そうしたところ、三時間とたたないうちに日本兵三名が来て男たちを追い出して、婦人たちを五度も強姦した。そんなわけで、彼らが1月15日に中学へ戻って来て住んでいる」
 
これも市民に帰宅を促している日本側を攪乱している工作と見れます。「日本兵」の仕業としているいのは、そういえば収容所に戻りやすかったためと思われます。もしくは便衣隊が変装していたのかもしれません。
 
 ラーベの日記を見るとなぜか1月14日が抜けています。マイアー社長宛の手紙が載っているだけです。なぜ日記がないのか?
 
 2月4日、日本軍難民区の強制撤去を通告。これにより安全区の記録では事件が激減し、8日にはゼロになっています。攪乱工作は終了したということです。
 
 ラーベ日記 2月15日
 
「昨晩、龍と周の二人がわが家を去った。今日発つという。どうやって家に帰るのかは知らない。計画を打ち明けられなかったし、こちらも聞かなかった。残念ながら我々の友情にはひびが入った。二人が無事香港に戻れるよう祈る。けれどもまた会いたいとは思わない」
 
龍と周は支那軍の大佐です。ラーベはなぜ「友情にひびがはいった」と書いたのか。彼らが攪乱工作を行っていたことを知ったからではないでしょうか。



 
参考文献
 
 展転社「『南京虐殺』の徹底検証」東中野修道(著)
 
 展転社「データベースによる事件の解明 南京事件の核心」冨澤繁信(著)
 
 河出書房新社「日中戦争資料<9>」洞富雄(編)
 
 講談社文庫「南京の真実」ジョン・ラーベ(著) / エルヴィン・ヴイッケルト(編)/ 平野 卿子(訳)
 
添付画像
 
 自治委員会の誕生1月 日新報道「南京の実相」より
 
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