子供たちは教えて理解すればきちんとやるものです
教育基本法はGHQが日本に押し付けたものだということは意外と知られていません。現憲法は占領憲法ですが、教育基本法も占領教育基本法なのです。
以前、北陸地方のある公立小学校で、給食の際に合掌することが「宗教的色彩がある」と保護者かえら批判され中止にされました。中止にしなかった学校でも「合掌、いただきます」を「気をつけ、いただきます」に変更したといいます。
その影響か、平成18年6月20日の富山新聞には富山県内の高校生の半数が、食事の際に「いただきます」や「ごちそうさまでした」を言わないことが県の調査で分かったといいます。
富山短大の深井康子教授は「いただきます」「ごちそうさまでした」のあいさつは食べ物に感謝の意を示す大切な言葉であることを指摘した上で、「あいさつは食事のマナーとしても欠かせないものであり、小さいときからあいさつの習慣を身につけるよう、家庭や学校で教え続けていくことが大切」と話しています。
しかし現実は、教育基本法の解釈が、自然の恵みに感謝する宗教的情操を涵養する機会を子供たちから奪ってしまっているのです。
しかも、天地自然の恵みに感謝するという敬虔な心は、親の世代からも急速に失われてしまっています。
ある若い母親が、自分の子供が通う小学校に対して、「自分のところは給食費を払っているのだから、給食の時間にうちの子には『いただきます』と言わせないでほしい」と批判しました。このことを永六輔がラジオ番組で話題にしたところ、賛否両論の投書が数十通も来ましたが、何とそのうちの3割がその母親に賛成する意見であったといいます。
「ちゃんとお金を払っているのだから『いただきます』を言わなくていいと思う」
「言わなくて当然だ」
といった内容で、中には、
「食堂で『いただきます』『ごちそうさまでした』を言ったら自分の坐っている隣のおばさんに『お金を払っているんだから店がお客に感謝すべき』と言われた」などという。
開いた口が塞がらないというのはこのことです。永六輔もびっくりという感じで、番組で何度となく「いただきます」の真意について「『あなたの命を私の命にさせていただきます』の最後の『いただきます』を言っているんですよ」と力説したといいます。
我が子を教え諭すべき親自身の価値観が転倒してしまっている今日の精神的状況は、「宗教的情操教育」の規定のない教育基本法第9条がもたらしたものです。
食事に際して「いただきます」と感謝を捧げる我が国の美しい精神的伝統を、学校教育においてもきちんと教えていくようにすべきであります。
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