筆者は、日本人として、天皇陛下の臣民として、「生」を受けたことを誇りを感じ、光栄に思います。
では、「誇り」とはなんでしょう?
『広辞苑』では、誇り=ほこること。自慢に思うこと。また、その心。
と記載されています。
誇りは、何かについての誇りをいいます。それは、家や先祖や国についての誇りであり、会社や職業や、場合によっては家族、自分自身についての誇りもあります。そして、こうした誇りには、家や先祖や国等について、良いと思い、喜びや満足を感じ、また、その良いところを失わないようにしたいと思う心という意味が含まれているのです。
日本人としての誇りは、「自分は日本人である」というアイデンティティと関わるものです。日本人としての誇りを感じるというときは、日本に生まれてよかった、日本人でよかったというように、「日本人である」ことは、良いこと、うれしいこと等の評価が、そこにあるのです。
筆者は、時間の許す限り我国の歴史・文化を温(たず)ねるようにしています。
国に対する誇りは、先祖や国の良いところを学ばないと育ちません。
伝統や文化や国柄を学び、さらにそれが単なる「知識」にとどまらず、喜びや満足を感じる「感情」にまでなったときに、誇りとなります。
日本に生まれてよかった、日本人に生まれてよかったという感情を持つにいたると、自ずと誇りが生まれてきます。そして、日本人のよさを保とう、誉れを保とう、名を汚してはならないという「意思」が生まれてきます。
知れば知るほど、日本という祖国に誇りがこみ上げてくるのです。
「知識」⇒「感情」⇒「意思」という深まりがとても重要です。
ところが今日、多くの日本人は、日本人としての誇りを失っています。
本当に日本という国は、国民が誇りを持てない国なのでしょうか?
世界の国々では、日本の文化・技術・国民性が賞賛され、憧れの存在であるのです。それでも、我国では祖国に対し、誇りを持っていない人が多いのです。
戦後の日本人は、日本人としての誇りが持てないような教育を一部の愚かな教師から受けてきました。そのため、誇りそのものが育っていません。誇りを持つことは、すなわちおごりであり、他者への思い上がりだというような意識を、教育の場で植え付けられてしまったのです。そのため、誇りという評価や感情が持てないような規制が心の中に働くようになってしまっている。「知識」が与えられず、「感情」を抑えられ、「意思」がないのです。
大東亜戦争後、日本人は自信を失いました。占領政策によって勝者の歴史観、価値観を押し付けられました。戦後66年祖国の素晴らしさ、民族の素晴らしさを教えず、過去の行いの悪い部分ばかりを、捏造、誇張して教えてきました。こんないい加減な教育では、誇りが育つどころか、誇りを傷つけていくばかりです。誇りを失った人間は、恥を知らず、名誉を大切にしない。周囲の目や他者の評価に無頓着になり、だらしのない人間になり、無責任で自己中心となります。または自虐的で、自嘲的ともなるのです。
またこれら、誇りを持たない人々が政治家となり、指導者となり、官僚となり、拍車をかけているように思います。
また、誇りを持たない人々、わが国の歴史・文化に無知なる人々がメディアを牛耳っていることが、更に拍車をかけているのです。
戦後の我国では、誇りある歴史が教えられてきませんでした。占領下でそれまで日本人が持っていた歴史観が否定されました。その歴史観とは、神話の時代から2千年以上もこの国で生きてきた民族の歴史である。ある民族を滅ぼすには、その民族の記憶と言語を一定期間奪えばよいと言われています。ここにいう記憶とは歴史です。歴史を伝承する言語、民族固有の歴史観を奪えば、その民族はやがて滅亡します。
戦後の日本人には、占領後すぐ、連合国の立場による「太平洋戦争史観」が植え付けられました。新聞に連載され、全国の学校に本が配付されて教え込まれ、ラジオなどでドラマ化されて、『真相はこうだ』という番組で全国に放送されました。極東軍事裁判の判決を是とする東京裁判史観が、それを補強し、戦後の歴史教育のもとになっています。
大東亜戦争を、太平洋戦争と呼ぶのもこの為です。だから、これまでの歴史教育の内容を改め、誇りある歴史を教えることが必要であり、急務なのです。
国の真実の歴史をを教え、誇りをもてるようにしないと、国民は精神的にだめになってしまうでしょう。自国の歴史や伝統に誇りを持つことは、祖先への尊敬や感謝を持つことにつながり、子供たちは、自分の命が祖先から受け継がれてきたものだと感じます。自分の存在は、祖先のおかげだと気づく。それによって、自分が生まれてきた意味、生きていく目的、自分の担うべき役割を理解することができる。そこに、人への思いやりや、助け合いの心が育つのです。
1400年前、聖徳太子が、当時の大国・隋に対し、日本は対等な独立国家だと宣言しました。以来、日本は、他国の支配を受けることなく独立を保ち、繁栄を続けてきました。その中で独自 の精神文化を成熟させてきた日本は、世界が注目する伝統・文化を培ってきたのです。こうした国の歴史、伝統、文化への誇りこそ、国を守る原点であり、経済を発展させる原点であり、将来の日本を担う国民教育の原点です。
かつて日本人には、森羅万象すべてに神々が宿ると信じ、自然を慈しみ、思いやりに富み、公共につくす意欲にあふれ、正義を尊び、勇気を重んじ、全体のため、「公」の為、に自制心や調和の心を働かせることのできるすばらしい徳性があると指摘されてきました。この根幹こそ、人・物・事に対する「思いやりの心」「滅私奉公」の精神であり、すなわち「愛」です。これこそ育児の原点であり、教育の原動力であり、現在の日本に欠けている精神です。
国家の連続とは、生命と、文化、魂の連続を必要とします。時代を担う子供たちに、国への「誇り」を伝え、人、社会、国への「愛」を育てる教育こそ、今の日本に求められているものだと思います。
わが国の文化をよく知る外国人の方々は、わが国の最大の特徴として、皇室の存在を挙げる人が多いのです。彼らには、これは大きな驚きなのです。神代から今日まで王室がずっと続いているということなど、盛者必衰の日本意外の国では考えられないことだからです。
わが国の皇室は、古代から今日まで、一筋の家系、男系で続いています。その起源は、神話の時代にさかのぼります。神話の中に現れる神を祀る神社が現存し、多くの人々が参拝し、今日も祭祀が行われている。また、その神話の神が、皇室の祖先です。その神の子孫が、現代に生きており、国の象徴、元首として仰がれています。これは日本人が誇りとすべき随一のものです。
国柄についての事実を教えることが、日本人としての誇りを育てます。そして重要なことは、皇室について触れなければ、日本の国のことも、日本の歴史についても、肝心なことは伝わらないということです。
わが国の皇室は、古代から今日まで、一筋の家系、男系で続いています。その起源は、神話の時代にさかのぼります。神話の中に現れる神を祀る神社が現存し、多くの人々が参拝し、今日も祭祀が行われている。また、その神話の神が、皇室の祖先です。その神の子孫が、現代に生きており、国の象徴、元首として仰がれています。これは日本人が誇りとすべき随一のものです。
国柄についての事実を教えることが、日本人としての誇りを育てます。そして重要なことは、皇室について触れなければ、日本の国のことも、日本の歴史についても、肝心なことは伝わらないということです。
「日の丸」が世界の国旗のうち、一番古い旗であり、国歌「君が代」が古今和歌集より謳い継がれた千年以上の歴史を持つことも誇りなのです。
そしてそれら、すべてが皇室に連なっているのです。
学校で教えてくれないと嘆くばかりではいけません。お子さんのいる方々は、日本の国のことを、祖国のことを、自分の子どもに話してみていただきたいです。地域の子どもに接する機会のある人は、子どもたちに話してみていただきたい。
誇り高き日本人の「誇り」を持つでしょう・・・
冒頭の動画にもありますが、我々の先人・先達は何を護ろうとしたのか、己の命と引き換えに何を護ったのか?
混迷・迷走を繰返す今日、一考せられたい。
きっと、「美し国、日本」が見つかるはずです。
きっと、「美し国、日本」が見つかるはずです。
続く・・・・・